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二度目の夜を駆ける 十話「京-参-」
「チンタラしてんじゃねェ! こっちに向かってきてるぞ!」
と外から聞こえたシュテンドウジさんの怒号に飛び上がった。
サイゾウさん(の姿をしたモモチタンバさん)を見ると、顎で外をさすので私たちは外へ出た。
まるで野球場のような大声と地響きで身体の芯が揺さぶられる。
逃げ場に迷う私たちであったが、サイゾウさんが先陣を切った。
「ついてきな」
迷いなく飛び出すと、遅れてみんながついてきた。
京の妖と人たちが何十人、何百人と私たちを追ってくる。
地べたを走る者。屋根を伝ってくる者。空から追う者。
ギラついた目をした大群に心理的に大きな負担がかかる。私は早々に息を切らした。
一日中京を歩き回った足は、少し休んだ程度では回復しない。
だが足を止めれば最後。追手に飲み込まれどんなことをされるかわからない。恐怖が棒になる足を動かしていた。
他のみんなは戦闘を重ねた分、私以上に体力を消耗しているだろう。
結界によって逃げ場を失った私たちが捕まるのは時間の問題だ。
サイゾウさんが言った。
「結界の発生源は突き止めた。解除にはお頭以外に出来ねぇ。邪魔が入らねぇようお前たちが足止めしてくれ!」
「はぁ? 忍野郎が何わけわ」
「主さん。どうする」
あからさまに不快そうにしたシュテンドウジさんを遮り、モモタロウくんが私の指示を仰いだ。
平和ボケした私なんかに戦の指示なんて求められても困るのだが、承知の上だろう。
私なりの考えを伝えた。
「お願い。難しいのは判ってるけど」
みんなにとって、サイゾウさん(中身はモモチタンバさん)は未知の存在で信用ならない人だ。
私しか彼を知らない。
だから私が、彼が信用に足る者と保障した。
実際の所、私自身も彼を信用出来ていないのだが、放っておいても死んでしまう私たちをわざわざ騙すことはないだろうと踏んで、今は信用することにした。
モモタロウくんは「判った」と短く返事をすると、走るペースを徐々に落として追手にじりじりと近づいていく。
「儂は行かぬぞ。役に立たぬからな。はっはっは」
こう言っているが、実際はサイゾウさん(モモチタンバさん)の監視の為だろう。
となるとモモタロウくんに加勢出来るひとは────
「シュテンドウジさんごめんなさいっ! お願いします!」
手を合わせてお願いのポーズをとったが、しっしと手を振られた。
「ぜっっってェ行かねェからな!」
「いらないよ。僕一人で十分」
モモタロウくんは完全に足を止めて、私たちに背を向けた。
鞘から長刀を抜いて波のように迫る追手に切っ先を向ける。
……本当にモモタロウくん一人で大丈夫だろうか。
追手は京中にいて際限なく湧いてくるのだ。
それを一人で捌けるだろうか。
いつものように気絶させる余裕なんてない。殺して確実に数を減らさなければならない。
それがモモタロウくん自身を守るために必要な行為だが、引き換えに新たな業を背負わせることになる。
そんなの嫌だ。
相手は悪霊ではなく、京に住むひとたちだ。
無差別に斬って良いわけがない。
例え私たちを敵と認識していたからといって、殺してしまっては私たちは悪霊たちと変わらなくなってしまう。
うううん……どうしよう……。
モモチタンバさんには結界の解き方を教えてもらって私一人で行けば、被害を最小に抑えられるんじゃ。あるいは、
「わあったよ! そんな顔すんじゃねェ! いいな、これはデッケー貸しだからな! 忘れんなよ!!」
考えている間に、何故かやる気になったシュテンドウジさんが身を翻して助太刀に向かってくれた。
追手がひょいひょい投げ飛ばされ、モモタロウくんと言い合っているのが聞こえて安心してしまった。
「ふむ。思ったより早かったな」
「ようやく仕事がしやすくなったぜ」
残った二人はシュテンドウジさんが行くことを最初から判っていたかのように言う。
もう。こっちは真剣に悩んでたのに。
「おおっと。来やがったな。お頭はそのままでいいぜ」
サイゾウさん(ややこしいので今後は省略する)は私の前から消え、左に見える屋敷の屋根に瞬間移動した。忍者みたい……って、正真正銘忍者だった。
そして彼は背負っていた荷物の布を取り去ると、現れたのは大型の手裏剣だった。
「さっさと片付けちまうぜ!」
軽い口調から一転、彼は一瞬鋭い顔つきをして大型の手裏剣を大衆目掛けて投げた。人混みの中に投げ込まれた手裏剣は弧を描きながら高速回転し、人々を切り裂くと、再び主の手の内へ戻ってきた。
みぞおちの辺りがきゅっと苦しくなる。
あんなので斬られたら痛いじゃすまない。
折角彼は追手を退けてくれたのに、私は罪のない住人達を傷つけた罪悪感で素直に喜べなかった。
引き続きサイゾウさんは忍術で地面をせり上がらせて人々の進行を阻んだり、火を放ったり、苦無を投擲したりして、私たちに安全な道を作ってくれた。
あらかた片付けると、彼は再び私の前に立った。
サイゾウさんは私を見て、不思議そうに首を傾げたが、なにかに思い当たったようで数度頷いた。
「心配しなくても殺さねぇよう手加減してるって。お頭がそういうヤツってのは当然頭に入れてるからな!」
戦場にそぐわない無邪気な笑みだった。
誰も死ななくて嬉しいはずなのに、拍子抜けしまった自分は気の抜けた声で、
「あ、はい。……ありがとう、ございます」
と言うのが精々だった。
本当に彼は、私の下で働くつもりでいるのだろうか。
手間のかかることを自発的にしてくれるなんて、信じて良いのかな。
……いやいや、まだ判らないぞ。
私は頭を振って、都合のいい思考をかき消した。
「それよりお頭。疲れてんだろ? 俺が抱いて連れてってやろうか?」
いっ!?
「結構だ」
即座にヌラリヒョンさんが断ってくれた。私もうんうんと頷いて同意を示した。
これは冗談なのか善意なのか。
見た目が人懐こいサイゾウさんでも、中身は無表情で冷たいモモチタンバさんなので、ギャップに風邪をひきそうだ。
サイゾウさんは顔を引き締めて、
「いいか、お頭以外に出来ねぇんだ。いざって時にはどんな手を使っても連れてく。終わった後に殴るとか説教とかなんでも受けてやるからさ」
などと言うから私は一言。
「頑張ります」
と伝えた。
「ナナシは期待されても困るんだろうけどな、俺はもしかして、って思ってんだぜ?」
おっしゃる通り、期待は苦手だ。応えられる自信がなくてプレッシャーになる。
けれどそれ以上に嬉しくなるし、なんとかしてあげたいと思っている。
それに、モモチタンバさんも……私の従者だ。新しく加入した仲間だ。
私の願いを聞いて働いてくれる人の願いは、叶えるのが主の仕事。
もう迷うのはおしまい。
「大丈夫。きっとなんとかなるよ」
決意で自然と笑みが溢れた。
モモチタンバさんはきょとんと一瞬隙を見せると、にししっとサイゾウさんみたいに笑った。
「露払いは任せな」
そうしてサイゾウさんは私たちの道を切り開いてくれた。倒れたどのひとも殆ど出血がなく気絶しているだけのようだ。大人数相手で命を取らないなんて芸当は、もしかしてだけど、モモチタンバさんって八百万界でも強い方なのでは。今度本物のサイゾウさんに聞いてみよう。
そんな彼によって倒れ伏した人々の間を走る私は身分不相応で落ち着かなかった。
「これから俺の言うとおりに動いてくれ。慌てて間違えんなよ」
サイゾウさんの指示に従い、町屋が立ち並ぶ路地を右へ左へと曲がったり、通り抜けたり、時折壊したりしながら歩き回った。同じところばかりを歩かされ、何をさせられているのかと不安が募る。
しばらくして、ヌラリヒョンさんが代弁した。
「本当に結界の発生源が判っているのか。まるで時間稼ぎをしているようにしか思えぬ」
これに対し、サイゾウさんは理解を示した。
「だろうな。俺も自力じゃ入口なんて見つかんなかっただろうよ」
ヌラリヒョンさんはちらっと私を見た。私が頷くとそれ以上何も言わなかった。
信じると決めたのだ。黙って従う。
景色が蜃気楼のように揺らめいたのはすぐだった。
飛び掛かった三人の妖を火炎の術で退けながらサイゾウさんが声をあげた。
「お頭には見えたんだろ! その先へ進め!」
「はい!」
私は揺らいだ景色の中に向かって飛び込んだ。
足を踏み入れた途端、大きな赤い建物に出迎えられた。
今日行った上賀茂神社の楼門のような朱色の神社だ。
屋根は檜皮で造られていて、相当に古い建物なのだろうと想像出来る。
ここは京ではない。
赤い建物以外はぽつぽつと建物が見えるだけの広大な敷地はとても街中とは思えない。
しかも後方には鳥居が水の上に浮かんでいる。
広島の厳島神社を思い出したが、それとも違うようだ。
ここは黄泉のような別世界なのか、はたまた幻覚か。
周囲を見る限り誰もいないので襲われる心配はなさそうだ。
まず、拝殿と思しき場所へ続く階段を上った。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいますか」
大声で呼びかけてみたが反応はない。
人がいたとしても広すぎて聞こえないのかもしれない。
敵意を向けてくる者がいないからといってのんびりしていられない。こうしている間もみんなは戦っているのだから。
私はドタドタと外廊下を走った。
かすかに声が聞こえてくる。
「主様」「主」「頭領さん」「頭」
複数人の声が重なって会話の内容までは判らないが、同じ人に話しかけているのだろう。
声から溢れ出る親しさに聞いている私まで胸がじんわりと温かくなる。上下関係でありながら表面的な付き合いではなく、信頼を含んだ関係を築けている。
きっとこの建物の主とやらは、とてもいいひとなのだろう。と、ありきたりの感想を抱く。
しかし肝心の人影はどこにもなく、声だけが幽霊のように通り過ぎていくばかり。
気味が悪いと思いながら廊下をひたすらに歩いた。
神社には拝殿や本殿があり、大広間も作られていることもあるが、この建物は六畳くらいの部屋がいくつも続いている。
十以上、もしくは数十か。いっそマンションのように縦に並べてしまえば良いのにと思うのは現代日本人の感覚からだろう。
襖が開けっ放しになっている部屋たちは、殺風景だったり、着物で溢れていたり、凝ったコーディネートをしていたり個性が出ていた。
しかし本殿内に個人の部屋なんて作るだろうか。居住区は離れに設置するものではないか。
よく判らないまま無遠慮に部屋を拝見していく。
ある部屋にいくと香のいい匂いがした。板敷の床には天蓋付きのベッドがあって、壁紙が張られていた。
洋風の部屋で八百万界にしては珍しい。
クローゼットには女物の衣類がみっちり詰められ、引き出しにはアクセサリーがもりもりと入っていた。
確実に女の部屋だ。それもかなりのおしゃれさん。
何を見ても高そうな物ばかりで気後れする。落ち着かずキョロキョロと見回しているとべッドのサイドテーブルにある古めかしい箱が目についた。
部屋にそぐわないそれを手に取って開けてみた。中には横笛が入っていた。
声が頭に流れてくる。
視界がぼんやりとしてきたが、すぐに鮮明となった。
「主殿。まさかわらわにこんな小汚いものを渡すつもりか」
こちらを見て呆れているのはタマモゴゼンさんだ。
……って、タマモゴゼンさん?!
「嫌とは言っておらぬわ。まったく。………………服と聞いておったからそれに合うものをと色々準備しておったのに!」
口を尖らせて頬を染めていた。
私が会ったタマモゴゼンさんは美しい人だったけれど、目の前の彼女はとても可愛らしくて同い年の女の子のよう。
彼女は私に向かって言っているようだが、私は声を出せない。
視野の自由は効くのでVRの世界に入ったような感覚だ。
「で、これはなんじゃ、わらわに吹けと申すのか? ……なに。一緒に演奏出来るように練習するから、それまで待っていて欲しいとな」
わざとらしい溜息をついているが、始終同性には使わない媚びた声を使い、会話相手のことが好きなのだと私ですら判る。
「本当は今日までに演奏を完璧にするつもりだったのに間に合わなかった、と。はあ。仕方がないのう。
ほれ。何をぐずぐずしておる。早く自分の笛を持たぬか。……わらわが合わせてやるのだからありがたく思うのじゃぞ」
そう言って彼女は帯から漆塗りの笛を取り出して、私の方に差し出した。彼女は贈られたばかりの笛を手にして形の良い唇を当てた。彼女が息を吹くと、笛からは柔らかな音が出てきて、軽やかに跳ね回った。
「んふふ。本当に主殿はたどたどしくて聞いていられぬな。拙すぎて数百年経っても忘れられぬわ」
耳をぴくりぴくりと動かして口を大きく開け笑い飛ばした。
けれど彼女は笛を吹き続けた。
きっと相手は相当下手だろうに、笑顔は一度も絶えず、下手だ下手だと言って指導してやっていた。
演奏は三十分くらい続き、相手は慣れない演奏で疲れてしまったらしく、タマモゴゼンさんは渋々と演奏をやめた。相手は何度も謝罪し、タマモゴゼンさんが「詫びとして次の逢瀬は一週間後にせよ」という可愛い我儘を聞かせることで機嫌を戻した。
「主殿。次の年も祝ってくれるか。……そうか。毎年か。ふふ、楽しみにしているぞ」
はにかんだタマモゴゼンさんの声が遠くなり、顔がぼやけていく。
豪華で愛らしい部屋はたちまち怒号が飛び交う街並みへと変わった。
「戻ったか! 結界はどうにか出来るか!?」
金髪の男が妖を蹴り上げて私に喚いている。乱暴にされるのではと怖くて私は身体を丸めながら男から距離をとった。
「その笛……。そいつが媒介か。今すぐ壊しちまえ!」
私は獣のように吠えた。
「そんなこと出来るわけないでしょ!!」
私はいつの間にか手の中にあった笛を胸に押し付けて守った。
これはタマモゴゼンさんが大切にしている笛だ。壊すなんてとんでもない。
さっきから妖たちを容赦なく暴行する男の言うことなんて聞くものか。
怖いけど、逆らうだけの価値がこの笛にはある。
タマモゴゼンさんの思い出を穢させてなるものか。
「ここから出られるのに何躊躇ってんだよ!」
苛立った声に身体がびくついてしまうがじっと耐えた。
男は思い通りにならない私へ手を伸ばした。無理やり笛を奪う気だ。
私が駆け出すともう一人の男が立ち塞がり、手にした剣が上から下へと振るわれた。
笛を握っていた手が、かくんと左右に逃げていく。見ると右手と左手とに笛が真っ二つに分かれていた。
斬った男は私に近づいて、あろうことか抱きしめてきた。驚き過ぎて声も出ないし手も出せない。
男は言った。
「自分を思い出せ、名を消された娘よ」
思い出すって。私は私だ。
おかしなことを言う。
そんなことより笛だ。大事な笛なのに真っ二つになってしまった。タマモゴゼンさんを悲しませてしまう。それが辛い。
あんなに喜んでくれたのに。
世の珍しいものは全て贈られたタマモゴゼンに何を贈れば良いかと、当日まで悩み抜いた笛を彼女は喜んでくれた。耳が動いていたので嘘偽りのなく心から喜び、笑顔を向けてくれた。私も嬉しかった。誰にも相談せず自分自身で考え抜いた物だったから余計に。
なのに。
なのになのになのになのになのに!!!!
「其方を信じて待つ者のことはせめて、忘れてくれるな」
忘れるなって。誰を。
睨みつけると、男は少し困ったように笑った。
ああそうだ。この顔には覚えがある。
迷ってばかりで蛇行して歩く私を適切なタイミングで引き戻してくれる。
このひとはお世話になっているヌラリヒョンさん。
そして私は、──で、ナナシで、独神だ。
「状況を呑み込めたか?」
私たちを狙って襲い掛かる妖たちを、サイゾウさんに変装したモモチタンバさんが忙しなく動いて追い払ってくれている。
ヌラリヒョンさんが私に構うから一人で戦わざるを得なくなっているのだ。
私はヌラリヒョンさんから急いで離れた。
「……すみませんでした」
「いや。其方は役目を果たした」
手の中にある真っ二つになってしまった笛を見た。
鋭利な切り口をそっと合わせたが、もう元には戻らない。
タマモゴゼンさんの嬉しそうな顔を思い出すと罪悪感が止めどなくわいてくる。
けれど結界の媒介である以上、やるしかなかった。
結界に閉じ込められたまま生き残る道はない。
しょうがない。みんなの為には必要な事だった。
そうして無理やりに自分を納得させ、心の中でヌラリヒョンさんにはお礼を言った。
「おい。見てみろ!!」
サイゾウさんが指した空は地面に近い方がじわじわと赤くなっていた。
朝日で染まっているのではない。これは火だ。火が京の外一面燃え広がっている。
今まではそんなのなかったのに。
「結界ってのは目くらましも兼ねてたってわけかよ。俺が外にいた時はなかったんだぜ」
京周囲にも大小多くの村や町があった。
八百万界の自然に溢れた木造建築の集落なんてほんの小さな火花によって壊滅する。
京を取り囲む大規模火災となると……考えたくないがここ一帯の生命全てが黄泉送りになる。
この戦いは、私たちをどうこうしたくて起きたものじゃなかったっけ。
たった数人を追い詰める為に、都市を火の海にする必要ある?
こんなことが平気で出来るなんて、オダノブナガは正真正銘の魔王だ。
オダノブナガさんを止めるなんて思ったせいで名前も顔も知らないひとたちを大勢巻き込んで犠牲にしてしまった。私のせいだ。
────きっと今回もなんとかなる。
私何言ってんだろ。馬鹿みたい。
全然なんとかなってないよ!
「小僧の加勢に行くぞ」
息苦しくなってきた私に喝を入れるよう強く言われた。
お陰で湧き上がった負の感情に一旦ストップをかけることが出来た。
後悔しても時間は巻き戻らない。
結界は消えても囲まれているには違いなく、今は見えない誰かを心配する余裕はない。
私が置いてきた二人の安否を確かめて、それから他の人のことを考える。
……本当は泣きたいし逃げたいしこの世界は夢だと思いたいけれど、私なんかを信じてくれたひとたちの為にも踏ん張る。踏ん張るんだ。
まずは二人に合流する。
「其方は何を見た」
ヌラリヒョンさんを追いかけながら、急速に薄れていく記憶を慎重に辿り、間違いのないようにゆっくりと伝えた。
「赤い、大きな神社みたいな建物。沢山の人が住んでるらしくて何部屋も並んでいて、その一つがタマモゴゼンさんのお部屋で、入ったら笛があって、その笛は誰かからの贈り物で、タマモゴゼンさんはとても喜んでいました」
「その送り主の手がかりは」
「なにも。性別も種族も。でもタマモゴゼンさんに凄く好かれているのは確かです」
私の知るタマモゴゼンさんは京の王を目指す支配的な方だけれど、あそこにいたタマモゴゼンさんは懐いた飼い猫のように愛らしい狐だった。
私たちに牙を剥く姿と合致せず、狐違いのようにも思ってしまう。
笛を渡したひとは今、どこにいるのだろう。そのひとならタマモゴゼンさんの暴挙も抑えてくれるのかも。
と、思うのだがこうなっているということは、きっといないのだろう。
彼女が愛した笛も、私たちの手で壊してしまった。いや、肩代わりさせてしまった。
「笛、ありがとうございます。ヌラリヒョンさんがやってくれなかったらきっと無理でした。私がしないといけないことだったのに」
「気にすることはない」
走りながらでもぽんぽんと肩を叩いてくれた。
この慰めを鵜呑みにしてはいけない。次こそ、悪者になる覚悟を決める。
他人にばかり汚れ仕事をさせるのは主じゃない。私もやるんだ。甘えるな。いつか絶対後悔する。
二人は別れた所から殆ど動かず戦っていたようで、周囲には様々な妖族が折り重なって山になっている。生死までは考えない。二人が無事でいることを喜ぶ。
「主さん!」
「おせーよ!」
二人がほっとしたように顔を緩ませた。
サイゾウさんがすかさず二人の援護に入って、押し寄せるひとたちを攪乱している。
「ごめんなさいでも結界はなくなったから」
「そのせいでもっと敵が増えてんだろうが!!」
そうなのだ。
逃げ道が出来たと同時に、向こうも援軍が送れるようになったらしい。
遠くから元気よく進軍する人族、神族や妖族を生命の気配で感じた。
京内の妖だってまだまだいるのだ。この大人数を私たちでどうしろと。みんなだって限界が近いのに。
パニックにならないように努めながらもおろおろする私を、あのひとが笑い飛ばしてくれた。
「此度の戦は老いぼれに花を持たせてもらうぞ」
ヌラリヒョンさんはすっと剣を天に掲げた。
それだけで騒々しいだけの空気がぴんと張り詰めた。
これから何が始まるのか。
もう何度もお世話になった私には判る。
「……さあ、呼び声に応えし物の怪ども。この京を平定しろ!!」
彼の太くなっていく声が全身をぞわっとさせた。
いつも私を受け止めて、手を引いてくれる優しいヌラリヒョンさんはいない。
牙を見せつけるかのように口端を吊り上げ、黄色い瞳孔を大きく広げた。
たった一人の一声で赤い空に闇色の帳が落ち、恐怖劇が開演した。
「……どんだけ集まってくるんだ」
空では烏が群れたように黒い点々とした影が空を覆い、地上では苛烈を極めた戦闘の音で耳が千切れそうだ。
どれだけの数が交戦しているのか見当もつかない。シュテンドウジさんでさえ引いて驚いている。
同族がぶつかり合う様を、大将であるヌラリヒョンさんは不敵に笑うばかり。
京のひとたちを巻き込み、大規模な戦を仕掛けたオダノブナガが魔王ならば、それに対抗する兵を動かせるヌラリヒョンさんは何と称しよう。
私の視線に気づくと、ヌラリヒョンさんは柔らかく笑いかけてくれた。
「たまには儂も役に立つだろう?」
役に立つなんてものじゃない。
本来大将とはかくあるべきと感服する。
「……前よりずっと凄いじゃないですか。聞いてないですよ」
一個師団はいるんじゃないか。
前はもっと百人以上でわいわいとしていたのに。殺伐としている。
「其方を驚かせようと思ってな、密かに仲間を増やしていたのだよ。それに」
「それに?」
端正な顔が悪戯っ子みたいに微笑んだ。
「強くあらねば、この先其方を守ってやれぬだろう」
反則級の笑顔に続いた反則級の台詞で私の心臓は撃ち抜かれた。
好き。
無理。
かっこよすぎる。
なんでこんな時こんなこと言うの。
意識しちゃうに決まってるじゃんか。
「ま、これはガキには出来ねェ芸当だな!」
「うるさい触るな」
シュテンドウジさんはばんばんとモモタロウくんを叩いて、鬱陶しそうに振り払われていた。
「所詮相手は寄せ集めの烏合の衆。其方の障害にはなりえぬさ」
堂々とした立ち振る舞いが、不安や恐怖を跳ね飛ばしてくれる。
赤くなっていく顔を隠すことも出来ず、呆然と……あるいは陶酔して眺めていた。
「おまえも耐性ねェな」
「うるさいですよ」
耳まで赤くなってもヌラリヒョンさんはなんとも思わない。
だって私はたかが小娘でしかない。路傍の石ころだ。
ヌラリヒョンさんの存在は大きすぎる。
きっとなんでも笑って受け止めてくれる。
だから私の持つ何もかもを預けてしまいたくなる。
このひとならば。もしかして。
両親でさえ持て余した私を……。
だめだ。
行き過ぎた期待は自分を傷つける。
ヌラリヒョンさんはすごい。かっこいい。つよい。それでいい。
好きになりすぎては、だめ。
「お頭、ちょっといいか」
すっかりヌラリヒョンさんしか見えなくなった私だったが、サイゾウさんの声で我に返った。
いつのまにかサイゾウさんの傍に知らない忍がいて、私が目を向けるとさっさと離れていってしまった。
「仲間の報告だ。大江山が襲われてるってよ。数に押されて状況は良くねぇ」
シュテンドウジさんの髪が見るからに逆立っていく。
「シュテンドウジさん急いで行って下さい」
「黙ってろ!」
拳を握りしめ、地面を見つめている。
まさか私たちを気遣って迷っているのだろうか。
であるならば、私も負けじと語気を強めた。
「大丈夫。行って。皆さんもシュテンドウジさんがいるだけで元気づけられるから!」
シュテンドウジさんは舌打ちし、襲い掛かった妖を見もせず殴り倒した。
ふう、っと短く息を吐く。
シュテンドウジさんは「悪ぃ」と短く言った。
「おれが戻るまでくたばってんじゃねェぞ!」
弾丸のように肉体で敵を蹴散らしていく彼に向かってモモタロウくんは呆れて言った。
「自分と子分の心配だけしてればいいのに」
鬼なんて全滅すれば良いのにと言わないあたり、優しさを感じた。
シュテンドウジさんも、私を頭だと認めていないと言うわりには私たちのことを気にかけてくれていた。
そうやって少しずつ気遣い合って、憎しみ殺し合う関係がなくなればいいな。
「モモタロウくんはこのまま私といてくれる?」
「そのつもり」
「私たちが戦っている間って人も神も殆ど見てないでしょ。
でもきっと逃げ遅れて困っている人がいると思う。その人たちを助けようと思うんだ」
「いや助けるって。僕らのせいでこうなったんでしょ」
切れ味の良い返答に言葉に詰まった。その通りである。
変に首を突っ込んだ私が美しいはずの京をめちゃくちゃにした。
元凶に助けられても困惑するだろうし、そもそも信用されないから助けることも出来ないかもしれない。
罪悪感を少しでも和らげたいがための薄っぺらい気持ちもある。それは否定できない。
でもだからって、困っている人をそのままにして私たちが逃げ果せればそれで良いわけではないはずだ。
私はそう思う。
「……逃げるついでだからね」
これ以上の譲歩は無理だときっぱりと伝えられた。
しょうがない、と諦めた顔をしているが、壊れていく京の町をまっすぐと見据えている。
私が何も言わなくたってきっと助けていたであろう目だ。
「ありがとう! ヌラリヒョンさんは、」
「儂は残る。妖どもの指揮をせねば。其方らのことはここから援護する」
「そう」
モモタロウくんは私より先に冷たく言い放つと、私の腕をむんずと掴んで引っ張った。
「あ、そうそう。無傷で帰ってきたら団子でも奢ってあげるよ」
「それはいい。楽しみにしているぞ」
「え、でも、ぬ、ヌラリヒョンさん!」
「良いから!」
指先にぐっと力を入れられて私は従者に従わされた。
「あとでな」
言い聞かせるような口調に宥められた私はジャージの上着を脱いで、ボールのように丸めてヌラリヒョンさん目掛けて投げた。面食らいながらもちゃんと受け取ってくれた。
「気休め!」
神様のありがた~いご利益つきの上着だ。効果は多少あるだろう。
そして私はみんなのご厚意により逃げさせてもらった。
いくら強いと言っても、ヌラリヒョンさんを一人にすることは不安だ。
けれど私がいたところで足を引っ張ることが精々で、ここは別行動をすべきなのだろう。
私の意向を聞くと言っていたサイゾウさんも、モモタロウくんを止めてくれない。
だから、そういうことだ。
「サイゾウさんは京を出た後の退路を調べてきて下さい!」
「了解。二人は戦闘は避けろよ。特にオダノブナガの手下に遭遇したら絶対に逃げろよ」
「嫌だけど、判ったよ。嫌だけど」
「絶対戦いません」
サイゾウさんは私の返事を聞くや否や消えてしまった。
それを面白くなさそうにするモモタロウくんと一緒に、暫くはこそこそと逃げよう。
ヌラリヒョンさん、ご武運を。
◇
「やれやれ。やっとお出ましか」
のっそりと立ち上がったヌラリヒョンはひとを惑わす香りを漂わせた車に向き合った。
前簾から現れたタマモゴゼンは用意された前板を使ってしゃなりしゃなりと戦場へ降りた。
「そろそろわらわが出てやらねば、観客もつまらぬだろうと思うてな」
ケラケラと大小の笑い声がヌラリヒョンを取り囲んだ。
その数、百、三百、いや五百か。次から次へと現れて、二人の大妖怪の様子を眺めた。
「……アレを壊せたのだな」
「笛か」
「そうか。と言うことはもう」
神妙な面持ちで目を閉じたタマモゴゼンをヌラリヒョンは用心しながら構えた。
目を開けたタマモゴゼンは地表から三尺ほどふわりと浮いて、透明な椅子に腰かけたように足を組んだ。
──地面などと汚いものになぜわらわの足を置けようか。
以前そんなことを言っていたことを思い出していると、桃色の宝玉が二つ現れてタマモゴゼンの周囲をぐるぐると漂った。
ヌラリヒョンは右手に握る枝分かれしたような剣で斬りかかった。宝玉が剣から主を守る。体重をかけて押し切ろうとするがびくともしない。
「せっかちじゃのう」
形の良い唇がすぼまってふうっと息を吐くと、ぼふ、ぼふ、と大人の身長くらいの鬼火が散布された。ヌラリヒョンは黒い外套をはためかせながら器用に避けていく。
妖術の炎は時間経過とともに増えていき、逃げ場を奪っていく。
集まった妖たちは追い込まれていくヌラリヒョンを嘲り囃し立てた。
「棒切れを振り回すことしか出来ぬと可愛いのう。ほうれ、踊れ」
すると、乾いた土が岩漿へと変化した。普段汗の少ないヌラリヒョンの毛穴から汗が噴き出す。
「くっ」
タマモゴゼンが指さす場所が次々と岩漿となるので、ヌラリヒョンは足を動かし続け、安全な場所へと駆け回った。
それは、狩人に追い詰められた兎のようだった。
「剣士など速さもなければ射程も短い。わらわの敵になれるわけがなかろう」
煌々と光る溶岩がヌラリヒョンを囲むと、上から炎の玉が降り注いだ。有名な北の老妖もここまでだと一層歓声が強まった。
ヌラリヒョンは顔を守るように腕で覆った。
炎はヌラリヒョンに触れると左右へと分かれていった。
観客たちはざわついた。
「なんじゃそなた。呪を得たのか」
タマモゴゼンは眉を顰めた。
「儂がいつまでも変わらぬと思ったら大間違いさ」
「いつまでもぶんぶん棒切れを振り回しておれば良いものを。小賢しい」
顔を歪めて皺を作った。その姿にヌラリヒョンは安堵した。
防具の裏に隠している布の塊には気づかれていないらしい。
(娘には感謝せねばな。普段娘が身に着けているせいか、姉妹神のお陰が知らぬがこれで前に出られる……!)
野次馬たちは巻き込まれないように遠くで二人の戦いを眺め、慄いた。
「こんな戦い見たことねぇぞ……」
「タマモゴゼン様が押されるなんて」
「おい、ヌラリヒョンってやつはただの爺じゃなかったのか」
「田舎爺がホラ吹いてやがったんじゃねぇのかよ」
「八百万界の初期からいたやつらはこんなに違うのか!?」
異様な光景だった。
煌びやかな京に溶岩が流れ、火柱が立ち並ぶ。
遠目であっても汗が噴き出る。夏の暑さも相まって喉はカラカラになった。
うだるような熱さに立つのも億劫になるというのに、二人の妖だけは意に介さずひょいひょいと動き回っている。
別格だ。
本当の強者の姿に、敵味方関係なく釘付けになった。
(しかし術は厄介だな。それに防御が堅い)
炎は攻略したヌラリヒョンであったが劣勢は続いている。
タマモゴゼンは浮遊したまま無尽蔵に炎の弾を放ってくる。
万一当たってもナナシのボロい上着の加護で無効化されるので、臆することなく剣を振るった。
並の術師ならばそれだけで勝てるが、相手はタマモゴゼン。
生まれは大陸とも言われ、何千年もの時を過ごして妖力を高めてきた九尾の狐。
一方、ヌラリヒョンは周囲が持ち上げるほどの特別な力はない。
誰にも知られず饅頭を食うのがせいぜいである。
また剣が宝珠に弾かれた。だが防御が薄くなったところを蹴り飛ばして追撃する。
タマモゴゼンは宝珠で受け損ねたが、服をいくらが斬られただけで済んだ。
ヌラリヒョンは一定の笑みをずっと湛えている。強者との戦いは久しく、血が沸くのを感じていた。
「気色の悪い」
「其方は苦しそうだな」
「ふん。見間違いじゃ」
帯の内側から取り出した扇子をそっと仰ぐと強風が発生した。
ナナシの上着も風は消滅させてくれず、ヌラリヒョンは前に進めなくなった。
これ幸いとタマモゴゼンはしっかりと距離をとった。
覚えのある展開にヌラリヒョンは相手の動向から一時も目を離さなかった。
「んふふ。なんじゃ、そなたこそ体力切れだったか。歳は取りたくないものじゃのう」
手をかざしただけで炎の弾を放つが、それが効かないことは既に理解しているはず。
ヌラリヒョンはもしや、と思った。
「待ってやるから使って良いぞ。ここにいる者たちを全て骸にして兵にすれば、儂なんぞ簡単に殺せるではないか」
「誘っておるのか。下手じゃのう」
「まあな。どうせ使えぬのだろう?」
タマモゴゼンは口元だけで笑った。
「理由は知らぬが儂にとってはありがたい」
タマモゴゼンは火や風を出すだけの術師ではない。
妖力で他人を魅了し、思うままに操る精神操作にも長けている。
そして、もっとも得意としていることは、己の指定する範囲の生物を全て死に至らしめ、死者を操り兵にすることだ。
妖力が増幅する京ならば、死者の大軍団をもってヌラリヒョン率いる妖とぶつけられる。
元々それを想定しての大群であったのだ。タマモゴゼンが死霊の技を使わないのならば好機である。
余力を残す事を止め、ヌラリヒョンは剣を振るうことに専念した。
宝玉で防御をするタマモゴゼンだが、だんだんと精度が落ち、身体に剣が入るようになった。
歯を食いしばり苦渋の顔を浮かべる絶世の美女。
「すまぬが、脇役の其方はさっさと退場してもらおう」
次で決める。
そう斬りかかり、宝玉を砕いた。
────しかし。
別の宝珠が目の前に現れ、紫色の煙を顔面に噴き出した。
無臭のそれを吸い込んだヌラリヒョンは、途端に喉が焼かれて血を吐きだした。
「なんじゃ。こっちは効くのかえ」
タマモゴゼンは下卑た笑いで腹を抑えた。
(儂としたことが焦った。暑さが気になるのは借りた加護の効果が下がってきたのか、剣を握る手が焼けそうだ)
白い手袋は汗でぐっしょりと濡れ、金属製の剣をいつまでも持ち続けることは難しいだろう。
「ほうれ、そなたら。これなら仕留められるであろう。譲ってやるからさっさと捻ってやれ」
炎に強い妖を中心にヌラリヒョンの方へとじわじわと近づいてくる。
ヌラリヒョンの呼び声に応えた者たちは、弱った大将をじっと見たまま動かない。
気紛れな妖にとって裏切りは日常茶飯事だ。
ヌラリヒョンは剣を握り直す。
そして、妖たちが一斉に襲ってきた。
「ふふ。次はあの生意気そうな子供を、」
ヌラリヒョンに背を向けた瞬間だった。
身体が動かなくなり、指先さえ自由に効かない。影が地面へ縫い取られている。
ヌラリヒョンを襲おうとした妖たちが彫刻のように動かないタマモゴゼンを囲っている。
「なんじゃ。なにをしておる。さっさとヌラリヒョンを仕留めてしまえ」
狼狽する狐にヌラリヒョンは不敵に笑った。
「いつから京の妖が自分の味方だと思っておった?」
「……どういうことじゃ」
「簡単なこと。儂ら妖はどうしようもない馬鹿ばかりだ。弱い者に牙を剥き、力ある者に平伏すのさ」
タマモゴゼンはきっと目を吊り上げた。
「わらわがそなたの格下なわけがあるまい!! ええい、そなたらも早くあの手負いを殺してしまえ!」
狐の呼び声は届かず、妖たちはにじり寄っていく。
ヌラリヒョンは五属性を操れなければ幻術も使えないただの剣士である。妖としての格も大陸出身者のタマモゴゼンには劣る。
しかしながら、ヌラリヒョンは長きにわたり妖にも神にも討たれることなくこの八百万界を生きてこられた。運だけではない。
それが統率力と将としての魅力であり、先を見通す力だ。
一人の子供を拾い、腕のたつ侍小僧と会い、自分はこのままではこの先役に立たないことを早々に察し、二人に黙って手足となる妖をあの手この手で引き入れてきた。
必ず必要となる場面があることを読んでのこと。
そして今がその時であった。
「京は儂がもらうぞ」
美しい九尾の狐は空に吠えた。
「やらぬぞっっ!! ここは主殿の、そなたなんぞに」
自分を縛る術を強引に破り、目をひん剥いて獣のようにヌラリヒョンに飛び掛かった。
長い爪で身体を掴み、肩口へ噛み付く。
肉を噛み千切られながらヌラリヒョンは冷静に、しっかりとタマモゴゼンの腹を貫いた。
その後すぐに妖たちがタマモゴゼンに襲い掛かる。
殴られ蹴られ刺され噛み付かれ、白く美しい肌が赤い肉片となっていく。
「あ、……じ……ど」
裂かれた喉では言葉が形にならなかった。
肉は散乱し、高級な着物も塵になり、タマモゴセンは絶命した。
「ヌラリヒョン様。本当にタマモゴゼンを食っちまうなんてな! これならシュテンドウジの首も、」
喜びの声をあげた妖が剣で刺された。歓喜していた妖たちがしんと静まり返った。
「余計なことを言うなと儂はあれほど念を押したはずだが」
妖たちを見回す。
「……判ったな?」
念を押し終えると、ふっと笑う。
「あとは好きにしろ。儂は“無関係”なのでな」
ヌラリヒョンは外套を大きく広げて、名無しの子どもとお供が行った方角へと走っていった。
(血に塗れるのは儂だけで良い)
◇
「モモタロウくん!」
私がちょいちょいと手招きをして指差した。
「ほら。やっぱりでしょ」
崩れた家屋の中にいたのは子供たちだった。
幼稚園くらいの子が三人で固まっていた。私たちを見てきゅっと身を寄せ合った。
「君たち大丈夫? ここは危ないから私たちとここを離れよう」
きっとこの年齢ならば、戦場と化した京を理解出来ないし、対処も出来ない。
過去の自分よりもひどい状況なのに、怯えた目をする子供たちに自分を重ねた。
「一緒に行こうか」
「嫌だ」
三人のうち一番小さい女の子が言った。
「まってて。いってた!」
「それってお母さんとかお父さん?」
「おかあさんとかおとうさん」
他の二人はぼんやりとした顔で私とモモタロウくんを見ている。
幼さゆえに言葉のやりとりが難しそうだ。
「ここは危ないよ。きっとお母さんお父さんも安全なところに逃げたよ。だから行こう」
「まってていったの!」
果たして本当に待てと言われたのだろうか。
すぐに戻るつもりで言ったなら放っておくべきだし、待てと命じたのが随分前なら子供だけでも安全な場所へ逃がすべきだ。
どっちだろう。全然判らない。
「みんなが怪我するとお母さんやお父さんが悲しいよ。だから一緒に逃げよう」
「まっててていったの!」
地団太を踏んで甲高い声をあげた。
「僕は君たちのお母さんに頼まれたんだ。連れてきて欲しいって。今から会いに行こう」
モモタロウくんの嘘を信じた彼らはすっと立ち上がった。
「はやくはやく!!」
勝手に走り出してしまっている。
けらけら笑って、三人の中では競走が始まっている。
さっきまで石みたいに動かなかったのに。
「待って! 危ないから!」
八百万界の子どもは私よりも元気ですいすい走っていく。
追いついた時には私の方がぜーぜーと息を荒げていた。
「あの。手、繋ごう。うん。手。そうしよう」
子供たちは初対面の私の手を迷わず掴んだ。
右に一人。左に一人。
繋げなかった子はモモタロウくんの隣にかけていって、手を掴んだ。
「いや。……」
モモタロウくんはなにかを言いかけて、そのまま何もなかったかのように黙って歩いた。
私も似たような気分だ。
子供の手を引いている自分を、もう一人の自分が遠目で見ている。
小さい子への接し方がよく判らない。
嫌いではない。戸惑っている。
ぎこちなく歩くモモタロウくんに「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫だけど?」と返ってきた。
でもどう見ても大丈夫ではないし、私も人のことは言えない。
滑稽な私たちに笑ってしまう。
「なに」
不機嫌そうに言うモモタロウくんに違うよと言った。
「私たち、似合わないよね」
「そう?」
モモタロウくんは意外にも否定した。
「慣れるよ。主さんなら」
そうかな。
私は子供を見下ろしながら、昔の自分を思い出した。
手なんて繋がなかったな。
「子供はいるもんね。将来的には絶対慣れないと」
世の中は大人ばかりではない。弱い子供たちの方が救う機会の方が多いはずだ。
……と思ったわけだが、モモタロウくんは顔を引きつらせて赤くなっていた。
「え。なに。私おかしなこと言った?」
「君こそ何言い出してるの!?」
何故か知らないが勝手に不機嫌になってしまった。
赤いってことは怒っているわけではないんだろう。
(将来ってなに!? 結婚でもするってこと!?)
まだ何か考えてそうだけれど、怒ってないならいいや。
私はさくっと理解を諦めた。
……こうして、三人の子供を安全な場所に連れて行き、無事親とも会えてめでたしめでたし。
────とはならなかった。
「何人引き連れる気?」
「逃げるついでなら良いんでしょ」
逃亡中、三人の子供以外にも、大人、老人、子供と逃げ損ねた人を沢山見てきた。
動ける者は少なく、中には意識がなく寝たきりの人や、障害なのか呪いなのか意思疎通が難しい者もいた。
そういう人は見捨てた。一人だけではない。何人も何人も、だ。
二人ではどうすることも出来ないとの判断だ。
動ける者でも、なにがなんでもこの京を離れたくない人や、動けない家族に寄り添う人、私たちの手を借りたくない人。
そういう人達は説得してでも連れて行こうとはしなかった。
全員は抱えきれないと思った。
人が増えれば、護衛のモモタロウくんの負担が増える。
私は弾除けにはなるが、力がないので足の悪い人を抱えることは出来ないし、地理に疎いので的確な道選びも出来ない。
自分は無力だ。独神なんて肩書だけで、見るもの全てを助けられるような万能さはない。
ヌラリヒョンさんも知らない間に強くなってたし、私も何か頑張らないと。
「……あ。モモタロウくん」
「今度は何? また見つけたとか言わないでよ」
「見つけてはないよ。いそうだなあって」
「また君は……」
さっさと行ってきなよ、とばかりに手で追いやられた。
ごめんね。
私はそう思いつつも、民家の隣にあった竹林へ走っていった。
きちんと管理された竹林ではあったが、竹稈には血飛沫が吹き付けられ、葉の落ちた地面にはまばらに人が倒れ、すっかり気味の悪いものになっていた。
どの身体からも生命の光は感じない。
私たちさえ訪れなければ、こんなことには……。
いや、反省は後回しだ。まずは生きている人を探そう。
「誰かいますか。お困りなら手を貸しますよ」
かさっ。
山盛りの笹が動いた。用心しながら近づくと、赤黒いマントを頭に被ったひとがいた。
「大丈夫ですか? 歩けないなら肩を貸しますよ?」
反応がない。マントで顔が見えないので感情が読み取れない。
「あの。私怪しいものじゃなくって。名前、ナナシって言います。戦場になる京から逃げようとしてて、他にもそういう人がいたら逃げる手伝いをしようって思っているんですが……」
我ながら怪しすぎる。逆に警戒心を強められてしまいそうだ。
予想に反して、マントの人はこくりと頷いて立ち上がった。頑なに声を発しないのはそもそも出せないのかもしれない。
マントの人のペースに合わせて歩きだしたが、この人、足取りがしっかりしている。体格やマントに隠れていない足の逞しさから男性と見受けられた。健康そのものに見えるこの人が竹やぶに座り込んでいたなんて、少し気味が悪い。
けれどそれ以上に気になるのは、この人に英傑に似た気配があることだ。
「あの。あなたはどうしてあそこにいたんですか。はぐれたとか?」
大きく首を振る。
「じゃあ、この先に家があるとか?」
再び大きく首を振る。
「えっと……。たまたま?」
今度は縦に大きく振った。
いちいち振りが大きくて嫌だなあ……。
どうしても気味が悪いのでもう話しかけない事にした。
妙な圧があるのも口を重くさせる一因である。
怒っているのか。私に何かを言いたいのか。
気まずいので、早くモモタロウくんに会いたい。ほっとしたい。
早々に竹林を抜けると、モモタロウくんが手を振って合図をしてくれた。
「どうだったの?」
「やっぱり人がいたよ! この人も連れて行くけどいいでしょー?」
「いいから早く来てよ。どいつもこいつも自分勝手で疲れるんだよ」
「はは……」
大人数をまとめるのは難しい。
忘れ物をしたから家に帰りたいとか、疲れたから休みたいとか、早く行こうとか、逃げる者同士で言い合いとか。
協調性がひとつもなくて移動も一苦労だ。
毎回モモタロウくんが怒って大人しくなるけれど、それも長くは続かない。
鬼を統括するシュテンドウジさんは凄かったんだなと思い知らされる。
マントの人にモモタロウくんのことを説明しながら歩いていると、突如、地震が起きた。
「駄目!」
マントの人を抱いて衝撃に備えた。
立っていられないほどの大きい揺れであったが私たちには何もない。
空から何かが飛んできたり地面が割れなくて良かった。
「終わったみたい。大丈夫ですか?」
私が守るつもりだったけれど、寧ろ彼に支えられたように思う。
全然役に立たないな、私。
「……」
マントの人は私の肩を指先でチョンチョンと叩いて竹林を指差した。
「え。あっちに戻るの? 忘れ物?」
二度手間だが仕方がない。
「モモタロウくん! ちょっと物取りに行ってくる」
「はあ!? いいからこっち来なよ。状況判ってる?」
「急ぐって。すぐ帰るから!」
竹林方面に走っていると再び大きな地震が来た。
先程よりも揺れが激しく、今度は地面にしゃがみ込んで手をついた。
すると地面から炎の壁が視界いっぱいに上がり、モモタロウくんと分断されてしまった。
「主さん!? 無事なの!!!??」
建物が軋む音や地割れに悲鳴、ごうごうと火が燃える音でうるさいが聞き取ることが出来た。
「大丈夫!!! そっちに回り込むから、モモタロウくんは外に向かってみんなを連れて行って!!!」
「いいから大人しくしてて!! 僕が行くから」
「駄目なの! 火がこっちに来ててそっちに行くしかないの!!」
「判ったけど絶対無理しないで!!」
さて困った。地面から火柱が生えるなんて絶対に誰かの術だ。
私たちを狙ったものじゃなかったとしても、あんなものに巻き込まれたら丸焼けになってしまう。
ここは術が効かない私が動き回る方が安全だ。生身のモモタロウくんこそ無理せずじっとするべきだ。
仁王立ちしたままのマントの人に話しかけた。
「今竹林へ戻るのは危険です。向こうの方が安全のようなのでそっちに向かいましょう。あ、私とは絶対離れないで下さいね。私の服の効果で色々なものから守って……ああ! ない! ヌラリヒョンさんに貸したんだった!」
すっかり忘れてた。
ヌラリヒョンさんは大丈夫かな。無事だと良いけど……。
空の妖たちが最初の頃よりずいぶん減っているのも気になる。
心配で溜息が出てしまい、マントの人に小首を傾げられた。
ほんの少しの動きだけれど、とても綺麗な所作だと思った。
「ま、服がなくても私といれば大丈夫です。絶対あなたのことは守りますから」
もしもの時は。
私は身体にぶら下げている、固くて冷たいモノに触れた。
この懐刀は自分を守ることを想定して贈られたものだ。
もしもの時は躊躇うなと言ってた。
他人を守る時も、その「もしも」に入るよね。
モモタロウくんはきっと、そう思っていないだろうけれど、……ごめん。
私はぱっと笑顔を作った。
「じゃ、行きましょうか」
私が歩き出しても、マントの人はついてこなかった。
私の言葉では不安が拭えないのかもしれない。だったら。
私は手を差し出した。そして、勇気を振り絞ってその人の手を握って、手を引いてあげた。
その人は──フードの中の彼は、私を見下ろした。
モモタロウくんみたいな赤い目に気を取られた時だった。
「え」
私の中にずぶりと何かが入ってきた。
腹の中に熱した鉄棒を押し込まれたようで、痛み以上に理解できないことが怖くて、私は恐る恐る腹を見た。
日本刀が生えていた。
「あああああがあああ」
痛い。
熱い。
なんで。
なんで私が。
痛い。痛すぎる。
なんで、ここ、夢でしょ。夢なのになんでこんなに痛いの。ねえ。
私を刺した赤目の男は射貫くような視線で私を見る。
さっきまでは打って変わり堂々とした佇まいだ。
なんで、どうしてと目で訴えた。
「変わらんな、独神殿」
この男!
会ったことがないのに私は知っている!
「お、……だ、ノブナガ……」
おだのぶながおだのぶながおだのぶながおだのぶなが
この男だ。近畿周辺で戦を起こし、今回の京の戦を仕掛けた戦犯は。
「の、のぶ」
名前を呼ぶ途中で口から血が噴き出した。
痛いのが止まらない。苦しいのにどうしていいのか判らない。
泣きたい。泣けない。痛くて辛くて涙の出し方も忘れた。
「うぅ、うぅう……」
呻き声をあげながらも、私はオダノブナガを見た。というより睨んだ。
私が何をした。こんなことをされるような酷いことを、私がオダノブナガにしただろうか。いやしていない。
オダノブナガは私の頬を掴んだ。
「よく見ろ。貴様を殺せる男の顔だ。忘れるでないぞ」
人をごみのように見下すその赤い目、絶対に忘れるものか。
絶対。絶対に。
「…………良いな?」
厳しい顔をしていたオダノブナガは何故だか、ふっと顔を緩めて、子供をなだめるかのように言った。
まるで別人だ。でも私の網膜には恐ろしい魔王の姿が焼き付いている。
あの目に射殺された私は、糸が切れた人形のように意識を失った。
(2024/02/17)