すりぃ部発売記念(ヌラとモモ)

◇ヌラリヒョン
 
 なんやかんやあって雪山で遭難し、偶然見つけた小屋へ二人で避難した。
 中には最低限の薪とペラい蒲団はあった。
 ありがたい。でもありがたくない。
 
「(やばい。この展開……裸で温め合うヤツじゃん)」
 
 今日に限って付き人はヌラリヒョンのみ。
 この男、年寄りなだけあっていつも余裕を滲ませており、誰に対しても人当たりが良い。
 殆どの人が「良い人」という第一印象を保ち続けることだろう。
 私は出会ってから七年くらい経つが、最初からずっとこの男をあまり信用出来ていなかった。
 口元を緩めて朗らかに笑う様子は、確かに親しみが持てるが、それが上っ面だけに見えてどうにも苦手だ。
 仕事だけはよく出来るからとそれなりに重用してきたが、まさかまさか、こんな展開になってしまうなんて。
 蝦夷の海鮮丼が食べたい♡なんて言うんじゃなかった。
 
「困ったな。入ったは良いが今度は雪で扉が開かぬ。屋根だけはせり出した崖によって潰れぬだろうから、一晩ここで過ごすしかあるまい」
「(最悪か)」
 
 これで温め合う展開に二歩近づいた。
 なんとしてでも阻止しないと!
 
「でもでも、崖ごと落ちるかもしれないじゃん。ここからなんとかして出た方が良いよ!」
「外は猛吹雪で夜だ。確実に死に至るぞ」
「う」
 
 カッチーンと凍っている自分が目に浮かぶ。
 
「なんかないの!? 蝦夷の大地と秋津島(あきつしま)をくっつけて気候を変えるとか!!」
「むう……。界を分断ならやれそうな気がするが……」
 
 界を分断……。
 新しい世界……支配……。
 なんだか覚えがあるような。ないような。
 
「術で燃やす。雪。全部。どうよ?」
「儂にはこれしかないぞ」
 
 そんな枝分かれした変な剣じゃ役に立たない!!!
 
「くしゅん」
(ぬし)大丈夫か?」
「大丈夫! 大丈夫だから!!」
 
 近づこうとしてきたので両手を振って拒否した。
 私はヌラリヒョンと温め合うなんて絶対にごめんだ。
 
「独神の力でなんとかしよう!」
「頼んだぞ。儂は大人しく見させてもらう」
「……」
 
 出来ないから困ってるんだって。
 
「もーーーーー!!!! なんとかしてして!」
「普段から其方をつけ回している忍はどうした」
「謁見ブッチした身で海鮮丼掻き込んでたら絶対グチグチ言われるからついてくんなって言ったの!!!!」
「自業自、いやなんでもない」
 
 ゴマすり男(帝)が嫌すぎて、変装した忍を身代わりに立てたが裏目に出てしまった。
 
「手を貸してみろ」
「何する気!?」
 
 問答無用で手を取られた。
 幸いヌラリヒョンはいつもの白い手袋だったので肌感はなかった。
 
「指先が動かぬのか」
「そうじゃないし! 元気だし!」
 
 ああそうだよ。
 少しでも温かくなるように、こうやってギャーギャー騒いで身体を動かしている。
 それでも手先足先は痺れて感覚がないし、寒いを通り越して眠気もやってきている。
 根性と気合が続く限り、なりふり構わず抵抗し続ける所存だ。
 
「……知っておるか。体温を保つには二人が」
「聞こえない聞こえない!!! 聞かない聞かない!」
 
 裸の男女が照れあって相手の体温を感じたり自分の身体との差異を見つけたりなんざ、絶対に!! しない!!
 
「独神の身体でも凍傷はするだろう。無理するでない」
「凍傷はするけど、他の人みたいに腕を斬り落とす程酷くならないから良いよ」
「やれやれ困ったものだ」
 
 ヌラリヒョンは上着の釦を二つ外した。
 臨戦体制に入った私を尻目に裏地の小袋から蛇腹に折られた紙を取り出した。
 
「ほれ。其方宛のものだ。くれぐれも声に出して読んでくれと言っておったぞ」
 
 あやしーなー……。
 動かない手で受け取り、蛇腹をばっと開いた。
 
「えーっと。なになに…………万物の精霊よ我の声を聞き従い給え。……独神って誰かの力を借りるのは無理だよ?」
 
 生命の制御や血脈の操作には通じているが、一度生まれた生命への干渉は殆ど出来ない。
 目に見えない精霊だとか、黄泉へ行かずふらふらたむろしている幽霊だとかは専門外である。
 
「承知している。だが其方は唯一無二の強い霊力を持っている。探知は容易いらしいぞ」
「え! じゃあ誰かが私のこと見つけてくれるってこと!?」
「そうそう多分な」
 
 多分ってなによ。
 と、言った言葉は音にならなかった。
 不思議だな……急に眠気が……。
 瞼が落ちる間際、私を見下ろすヌラリヒョンが映った。
 …………やられた。
 
 その後のことは判らない。
 目が覚めた時には蒲団の中にいて、横にはすやーと寝ている老妖がいた。
 
「服!? ある!?」
 
 みみみ、乱れているってことはない。腰紐の締め方も自分の癖が出ている。
 いやでもこの男のことだ、私の締め方を模倣したとか……いやそんな面倒なことする?
 このもやもやに耐えきれないので、ぐっすりと寝ていたヌラリヒョンを揺り起こした。
 
「起きて!! 私に何したの!! 正直に言いなさい。主の命令よ!」
「んん? ……ああ、起きたか」
 
 細目で私を見上げながら、くはっと欠伸をした。
 
「あのままだと其方、体力の全てを使い切ってでも騒ぎ続けていただろう。故に強制的に寝かせた。術者でなくとも術を使う方法はいくつかあるのでな」
 
 誰だ、そんな便利なものをこの男に渡したのは。
 
「其方が寝た後はあるもの全て燃やして暖を取った。其方が心配するようなことは何もない。嘘はないといくらでも誓えるぞ」
 
 少し身体を動かしてみたが、感覚はいつも通りで無理やり何かをされたような感じはない。
 頭がすっきりしているのも、十分な睡眠をとった証拠といえよう。
 
「それとも儂との同衾が希望だったか。であれば期待に添えずすまなんだ」
「そんなんじゃないし! どどどど同衾なんて不潔じゃんよ!」
「そうだな。主である以上、相手は慎重に選ばねばならぬ。流れや気の迷いなど許されぬものではない」
 
 さっきとは打って変わって突き放した言い方をする。
 冗談を言うなら最後まで言い続ければ良いのに。
 距離感が迷子になって…………ほんと、迷惑。
 
「別にそこまで拒否ってないけど? マジで死にそうな時は何でもしたよ」
「儂とでも肌を合わせてくれたか?」
「するよ。臣下の命が一番なんだから」
 
 信用の有無など取るに足らないことだ。
 私の下で働いてくれる者を守る。それは主として当たり前のことだ。
 するとヌラリヒョンは残念そうな顔をして、
 
「それなら術でも使ってもっと降雪させるべきだったな」
「君が剣士であることを今以上に喜んだことないよ」
 
 昨日は開かなかった扉を触ると、少し重かったが私たちの身体分は開いてくれた。
 
「ほら。よく寝たんだからもう動けるでしょ」
「元気だなあ其方は」
「誰かさんのお陰でね!!」
 
 私たちは日の光で輝く雪をざくざく掻き分けて、江戸行きの船がでる港へと向かった。
 穏やかな気候が保たれた本殿に帰ろう。
 懐かしの我が家へ。
 
「え!? 橋が落ちて帰れない……!?」
「宿が旅人でごったがえしておるな」
 
 あー嫌な予感。
 
「橋なら明日、材料と職人が届きますよ。今日は動けないので皆さん朝から宿を取っています」
「じゃあ二部屋お願い」
「申し訳御座いません。空いているのが一部屋しか」
「じゃあ別の宿で」
「うち以外は埋まっていますよ。昨日から連泊の方が殆どですから」
 
 私は机を叩いて迫った。
 
「蒲団は二組ありますか!!??? ありますよね?????」
「申し上げにくいのですが、他に団体の方がおりまして一組しかご用意出来ない状況でして……」
 
 口元をひくつかせる私の横で「それで頼む」と即決した男の脛を蹴った。
 今夜も落ち着いて眠れやしない。
 
「儂はいつでも歓迎だぞ」
「なんで蒲団にいる前提? ヌラリヒョンは畳で一人寝れば良いじゃん」
「年寄り相手に惨いことを……。臣下は大切なのだろう?」
「それとこれとは話が別! 早くおうちに帰りたーい」
 
 
 
 
 
 ◇モモタロウ
 
 ふと寂しくなった私は、モモタロウくんの部屋に行って、職員室の扉を叩くようにコツコツと障子の枠を叩いた。
 
「あのさ。起きてる?」
 
 答えは返ってこなかったが、障子が自動で開いた。
 
「入って。早く」
 
 まだ蒲団は敷かれていない。しかし灯りもない。
 真っ暗闇の中でどこにいればいいのか判らず立ち尽くす。
 ぼんやりと見えるモモタロウくんをじっと見ていた。
 
「その辺座れば」
 
 指示を受け、その場にさっと座った。
 
「直って……座布団くらい勝手に出して勝手に使いなよ」
「いいの?」
「僕を何だと思ってるの」
 
 手の感触を頼りに部屋に無造作に投げられていた座布団を膝下に差し込んだ。
 モモタロウくんは直に床に座ったまま動かない。
 
「なにしてたの?」
「瞑想」
「迷走?」
「頭の中で刀を振るうんだよ。暫く生身の相手は殺してないから」
 
 殺しを禁じたのは私だ。
 それを責められたような気になった。
 
「で。用は何」
「用って言うと……ないんだけど」
 
 迷惑そうな口ぶりに、小さな声で答えた。
 
「そう」
 
 そっけない返事の後、黙ってしまった。
 もうちょっと何か声をかけてくれても良いんじゃない?
 などと思うのは私の我儘なのか。
 
「……やっぱり、なんでもないから帰る」
 
 来るタイミングが良くなかったのだろう。
 運が悪かったと言い聞かせて、立ち上がった。
 
「帰るのは良いけどちゃんと障子閉めてよね」
「言われなくてもするって……」
 
 私今まで開けっ放しにしてたっけ。してないよね。
 変な憎まれ口を疑問に思いながら部屋へ帰った。
 
 
 — ◇ —- ◇ —–
 
 
 ────夜更けに一人で部屋に来るものじゃないでしょ。
 
 宿代を浮かせるだとか護衛の関係もあって、旅の間は同室で寝ているにしても。
 それで主は麻痺してしまったのだろう。
 年頃になれば、夜に他人の部屋を訪問することがいかに非常識か教わらずとも判るはず。
 けれど、あの主は判らない。多分馬鹿。呑気で警戒心なし。
 もしくは、モモタロウを安全牌と認定し、恋慕の対象になっていないか。
 
 ────安心感を与えているなら付き人としては優秀なんだけど……なんかムカつくんだよね。
 
 余計な感情が沸き上がって瞑想どころではない。
 悶々とした気持ちを解消すべく外に出た。
 肌が粟立つ。冬が近づいていた。
 モモタロウは刀を抜いて素振りを始めた。
 振る度に自分の打ち方を確認しているのだが、さっきの主が頭にチラつく。
 主は他の英傑ではなくわざわざ自分の所に来た。
 自分に追い出された主は、他の者の所へ行っていないか。
 まさかあの下品で常に酒臭い鬼の所へは行っていないか。
 夜には絶対に行ってはいけない要注意人物である。
 モモタロウはだんだん心配になってきて、一度主の部屋に行った。
 
(あるじ)さんいる? いるよね?」
 
 戸の向こうには気配がある。
 二人だ。
 ……二人!?
 急いで戸を開け放ち、刀を構えた。
 
「は? ……闇討ち?」
 
 そこには主が一人いた。
 
「さっき誰かいたでしょ。誰」
 
 モモタロウが責めると主は顔をしかめつつも答えた。
 
「サイゾウさん。今日も特に異常はなかったよって教えてくれたの」
 
 主は忍を信用しているらしいが、モモタロウはそうでもなかった。
 持ってくる情報に助かることも多いが、いつ寝返るかわかったものではない。
 主に金と力があり、忍側に大きな利点があればある程度は信頼出来たろうが、如何せん。
 自分の主は何も持っていない。悲しいほどに。
 なのに腹に一物がある英傑だけは寄ってくるので、自分が精査しなければならないのだ。
 そうやって主を守ってやらないと。
 
(あるじ)さん。今日はもう寝るよね?」
「そうしたいのは山々なんだけど、寝付けなくて……」
 
 危ない。
 こういう時、主はふらふらとどこかへ行ってしまう。
 一番行きたい者の所は躊躇いがあるのかなかなか足を運ばず、丁度良い相手を選んでしまう。
 つまりは都合の良い、適当な相手。
 主のそういう所が嫌いだ。
 いつも臆病で二の足を踏んで、妥協を当たり前とするところ。
 それに振り回される自分を含む英傑たちの苦悩を判らない鈍感さも嫌いだ。
 だからと言って放っておけず、モモタロウは溜息を滲ませながらも言った。
 
「……まあ、僕は少し暇なんだけど」
 
 もっと自然に言えば良いのにと理解はしていてもなかなか難しいことだった。
 案の定。
 
「暇なら寝たら? もう遅いんだから」
「いや……」
 
 伝わらない。
 
「心配しなくても、暫くしてればそのうち寝ちゃうから。私こういうので徹夜したことないしね」
 
 察しの悪い主である。
 
「…………暇だから。君が寝るまで一緒にいてあげてもいいけど?」
「だから大丈夫だって」
 
 ここまで言わせておきながら何故追い返せるのか。
 主の神経を疑う。そこは察して受け入れるところだろう。
 自分が先に主を追い出したことは当然棚に上げている。
 
「面倒くさいなあ。良いから寝てよ」
 
 敷かれていた蒲団に主を押し付ける。
 所謂押し倒した状態なのだが、モモタロウは気付いていない。
 
「今日のご飯でも思い出しながら寝なよ」
「魚……?」
「そうだよ。君が大物逃がしたんでしょ」
 
 大人しく横になった主の上から退け、枕元に正座すると様子を伺った。
 
「プレッシャー凄いんだけど。それならいつもみたいに横にいてよ」
「蒲団持ってくるほどじゃないでしょ」
 
 簡単に言うが、こちらは蒲団を並べて寝るだけでも意識してしまうものだ。
 普段はもう一人が安全装置として機能しているお陰で冷静さを保っているだけで。
 二人きりは勝手が違う。
 
「じゃあ蒲団半分貸すよ。狭くて寝られないかもだけど」
 
 うん。別の意味でね。
 と、喉まで出かかった。
 
「良いから早く。寝て」
「こんなに圧を与えられては無理だって。言ってるでしょ」
 
 どうして大人しく言うことを聞かない。
 さっさと寝かせてこの場から退散したいのに。
 
「つまんない話して。面白い話は聞いちゃうから駄目」
「無理」
 
 話術なら求める相手が違うだろう。
 
「やっぱり蒲団持って来ようよ。私が運ぶから」
「それだったら帰る」
「どうぞ」
 
 間違えた。
 理性を奮い立たせてでもここにいるのは、寂しそうにする主を支えたいからなのに。
 
「だから僕は……」
 
 心配だから傍にいたい。
 一人にしたくない。
 安心させてあげたい。
 他の英傑を頼らないで。
 一言で済むのにいつまでも言えない。
 
「良いから。僕がいる間に寝てって!」
「だから上から睨みつけないで横で寝てって言ってるでしょ!」
「何かあったら嫌でしょ」
「ないでしょ」
 
 口を滑らせた。けれど主は「ない」と言い切った。
 自分とは何もない。
 自信を失わせると同時に怒りが湧いてくる。
 
「じゃあ良いよ」
 
 何かを起きても文句は言わせない。自分が許可したんだから。
 部屋から蒲団を持ってきたモモタロウはいつもの宿のように川の字で寝転んだ。
 そのうちの一画が足りないせいで収まりが悪い。
 他人の目の有無で理性のグラつきが大きく違う。
 売り言葉に買い言葉でこうなってしまったことを後悔しているモモタロウとは裏腹に、主は落ち着いているようだった。
 
「そうやって横になってる人がいると眠くなるんだよね」
 
 モモタロウとは逆の感想を呟きながら、主は天井を見つめる。
 
「一人で寝ると空しいし怖いんだよね。……起きた時に誰もいないし」
 
 数部屋先に他の者の部屋があるので、それほど距離はない。
 それに全員朝が早いので。主が起きた頃には声や音が聞こえているはずだ。
 寂しがるようなものではないとしか思えないのは、モモタロウが一人に慣れているせいかもしれない。
 
「君はさ、僕らとの生活を夢だとでも思ってるの?」
 
 度々倒れたり、記憶がぼやけてしまう主にはそう思ってしまうのかもしれないとモモタロウは考えた。
 
「どっちだろうね。夢なのは」
 
 投げやりにも、困惑しているようにも聞こえた。
 
「ニホンに戻りたい?」
「どっちだろうね。ここは優しいひとが多いのは嬉しいんだけど」
 
 主がいなくなる。
 数ヶ月寝食を共にしている相手がいなくなる実感が湧かない。
 ニホンは遠いのだろうか。
 会いに行ける距離なのだろうか。
 自分のいないニホンを捨てきれない主のこと、身勝手ながら嫌になった。
 自分だったら故郷よりも主のことを取る可能性が高いのに、主は同じではないのだ。
 
「そんな隙を見せるから下心ある優しさが見抜けないで騙されるんだよ」
 
 自分はこうやっていつも余計なことを言う。
 きつい言葉を投げかける場面ではないのに。
 
「じゃあモモタロウくんなら安心だね」
 
 警戒心の全くない柔和な笑みが夜目でも見えた。
 鬼を斬る子供と恐れられる自分といることを、主は安心だと信頼してくれる。
 人として見てくれる主を衝動的に抱きしめそうになった。
 他の者は好き勝手触れているのを、いつも苛立ち紛れで見ているが、自分もそうしたいという欲を持っている。
 今なら誰もいない。今だ。今なら。
 
「……ま、万が一にもあるわけないでしょ。一応主人扱いしてあげてるんだから」
「ありがと。モモタロウくんは凄いね」
 
 ギリギリで耐えた。
 自分は馬鹿かもしれない。主はもっと馬鹿だけれど。
 
「なんだか気が紛れてきたよ。眠れそう」
「あっそ。じゃあさっさと寝ちゃいなよ」
「そうする」
 
 あれだけ手間をかけさせておきながら、あっさりと寝てしまった。
 
 ────もしかしたら僕が何かするかもって思わないから駄目なんだよ。
 
 無防備に寝ている主から目が離せない。
 少しだけ。指先だけなら。
 でも止まらなくなったらどうしよう。
 主の小さい手が赤子のように軽く握られている。
 自分の手なら掴めてしまう。
 それだけなら。
 
「……僕は、君に仕えるって決めたんだもんね」
 
 供する者は如何なる場合も主を脅かしてはいけない。
 そうやって無理やり自分を言いくるめた。
 けれど寝顔を見るくらいは許してくれて良いだろう。
 つんと難しそうな顔をする主は、夢の中でもまた変なことに巻き込まれているのかもしれない。
 殆どの人が可愛くないと思うその顏でも愛しさが込み上げてくる。
 信頼に応えたい。生殺しも耐えてみせよう。
 
 一緒にいられる時間を大切にしてあげたい。
 
 
 
 
 
 ◇ヌラリヒョン・オマケ
 
「いーい? 半分だからここより先は来ないで」
「はいはい」
 
 蒲団なしで蝦夷の夜は越えられない。
 酒盛りをして朝まで耐える案もあったが、睡眠欲が強い私たちは仲良くお陀仏の可能性が高いと断念した。
 なので仕方なく火鉢の傍で一組の蒲団に二人で潜り込むことになった。
 一人用をきっちり半分に分けたが肩が寒くてしょうがない。
 けれど私より大柄のヌラリヒョンはもっと寒いはずだ。
 文句を言わない顔が少し暗いような気がして、私は渋々歩み寄ることにした。
 
「普段って上向いて寝る? それとも横?」
「上だな」
「たまには横にしたら」
 
 察したのか、私の方にもぞもぞと身体を向けた。
 これなら肩が蒲団に入るので少しは暖が取れるだろう。
 けれど次は背中だ。私への遠慮だろう、触れないように一定の距離を保っているので背部分は蒲団が足りていない。
 
「ここまできたんだから。当たってきて良いよ。うるさく言わないからさ」
「そうしたいのは山々なんだがな」
 
 こういうことは私から行ったほうが良いだろう。
 足先で足先に触れると蒲団の中ながら氷のように冷たかった。
 こんなになったなら文句でもなんでも言えば良いのに。
 大胆になった私は足を搦めて自分の体温をおすそ分けにかかった。
 その時に触れた、得体の知れない硬質なものに驚いた。
 ヌラリヒョンの武器は蒲団の横に置いてある。だったらこれは。あれだ。
 
「嘘。ごめん」
 
 私はヌラリヒョンに触れるのをやめ、すぐに謝罪した。
 欲そのものに対面すると急に目の前のなんちゃって老人に緊張してきた。
 目と鼻の先にいながら私に触れない。何度も軽口を言っていたくせに。
 少しも身体を傾けないよう細心の注意を払ってくれている。
 寒くて凍える夜でも、きちんと線を守っている。
 自分が大事にされていることを嫌でも実感する。
 だから、手が伸びた。
 一回り大きな身体に腕を巻きつけるとお互いの身体が密着した。
 硬くて逞しい肉感が私を押し潰す。
 ヌラリヒョンが小さな声で「退けぬぞ」と言って、私の尻を掴んで自分を押し付けた。
 
 その後はまあ、そういうことだ。
 
「結局しちゃってんじゃん……」
 
 朝起きて一番に見たのは上半身裸の男。
 次に見たのは胸がぽろりと零れてしまっていた自分。
 そしてなんとなく漂う呑気な空気。こんなの嫌でも溜息が出てしまう。
 
「そういう時もあるさ」
 
 肘を付いて言われても、なんの慰めにもならない。
 
「流れや気の迷いは許されないんじゃなかったの?」
「望んだ道を歩ける事の方が少ないものさ」
「道から突き落とした本人が言う、それ?」
 
 笑ってばかり。このまま押し通すつもりだろう。
 私ばかり文句を言っていてもどうしようもない。
 実際の所、手を出したのは自分で、拒否しなかったのも自分だ。
 今思い返すと、なんで、となるがその時はまあいいかと魔が差してしまった。
 ……北の大地の厳しい寒さのせいだ。
 
「薄着のままでは寒いだろう。早く下の炬燵に入らぬか」
「あー行く行く」
 
 長襦袢だけでいられたのも隣の熱源のお陰だろう。
 暖かくて心地よくて、ずっと寝ていられた。
 
「昨晩はありがとう」
 
 上に立つものとして、礼は欠かさず伝えた。
 するとヌラリヒョンは困った顔をして、
 
「礼を言うのはこちらの方だ。雪が見せた幻のようだと、未だ夢の中にいるように感じる」
 
 そう言われると照れくさい。
 
「幻ではないでしょ」
 
 身体には昨日の残滓が残っていて、じくじくと傷むそれは現実を表していた。
 
「儂には湖面の月だったのだよ。決して触れられぬはずのな」
 
 そう言ったヌラリヒョンは着替え終わっていて、一人で階下へと降りていった。
 私も身だしなみを整えて、独神の顔を作った。
 私たちは主従の線を引き直した。

新作グッズ出るなんてびっくりでしょ。
サービス終わったんだよ?????

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