元・八百万界の救世主は、今日も影から世界の平和を守っています

 宿に帰る道中、オオタケマルはこぼした。

「相変わらず甘ェな。もっと強請れたってのに勿体ねェ」

 オオタケマルは舌打ちをすると「そうでもないわよ」と独神が言った。

「呉服屋って横の繋がりが結構強いのよ。お客が欲しい着物が手元にない時に譲ってもらったり、仕入に協力したり。町内だけでなく他所の町とも繋がっているものなの。後々のことを考えれば、下手な欲を出さない方がいいものよ」
「なんだ。ちゃんと考えてんじゃねェか」
「だって、そうして欲しいのでしょう? ならあなたのそばにいる間はこういう私でいるわ」

 独神の言葉に、オオタケマルは一瞬言葉を失った。鋭い観察眼と適応力には舌を巻く。
 どんなにみすぼらしくとも中身は界を制したあの独神に違いない。
 嬉しい誤算であるが、その分オオタケマルも気を抜けない。全てのやり取りが駆け引きになる。
 裏切らせないような策が早急に必要だ。
 宿に戻った二人は早めの食事をとった。部屋に運ばれるので周囲を気にすることなく会話ができた。

「そういや、生命維持に精一杯、とか言ってたな。どういう生活してんだ」

 オオタケマルは箸を置き、酒を注ぎながら用心深く独神を観察していた。独神は軽い口調で答えた。

「食事は数年していなかったわ。それでも畑仕事や山菜取り、罠にかかった魚も毎日採っていたから、普通になら生活できるみたい」

 独神は淡々と答えた。その声には感情が込められていないが、オオタケマルには何か引っかかるものを感じた。

「ほら、主人は普通の人だったから食事をしなくちゃいけなくて。彼が健康に過ごせるように食料の確保を最優先にしていたの」
手前てめえ)なら金でどうにもなるじゃねェか」
「私に財なんてないわよ。そんなのとっくに使っちゃった」

 独神の資産も奪う気でいたが、あてが外れたか。
 いやまだ判らない。独神がオオタケマルに全てを言うとは限らない。

(しっかし、まァ使い方がなってねェ。御大なら金のある奴に貢がせるだけでいいだろうが。その為には人の多い町の方が良い。村に引きこもったって御大の良さは発揮出来ねェって考えなくても判るもんだろうよ)

 オオタケマルは独神の言葉を聞きながら、歯軋りしそうになるのを抑えた。
 同時に独神へも苛立ちを覚える。
 何故全てを捨てた。
 その後幸福を追求するわけでもなく、界のために耐え忍ぶわけでもなく、と行動理由が不明すぎる。
 そんなことは露知らず、独神は食事を一口一口嬉しそうに食べている。

「やっぱり食事って楽しいわね! けど独神ですら他人様の命を頂かないと力が発揮できないなんて難儀だわ……」

 その様子を見ていたオオタケマルは、独神の言葉の意味を考えていた。
 他人の命を取り込まなければ、強大な力は行使できないということ。
 そう考えると、独神が長年食事を取らなかったことに、別の解釈が見えてくる。

「爪も髪もぼろぼろだし、術も使えないから。しばらくはごめんなさいね」
手前てめえ)はまともになることだけ考えてろ。連れ歩く方の身になりやがれ」
「ええ。そうね。あなたに恥をかかせるのは申し訳ないわ」

 早々に食べ終えた独神は手を合わせてごちそうさまと呟いた。
 オオタケマルは酒を飲みながら、ガツガツと食べていく。
 オオタケマルの食べ方は荒々しく、独神のそれとは対照的だった。

 食事が下げられ、部屋の中は静寂に包まれた。
 過去に同じ屋根の下で暮らしていたとはいえ、所詮は二百人中の一人と主人。
 奇妙な緊張感が漂う。

「ねえ。あなたは今までどんな生活をしていたの?」

 独神が静かな声で尋ねた。その眼差しはやわらかだった。
 オオタケマルは無造作に酒を煽りながら、つまらなそうに答えた。

手前てめえ)が本殿を畳む前と変わらねえよ。好きなだけ酒と肉と食ってお宝集めて終いだ」

 独神は少し体を乗り出し、期待を込めて問いかけた。

「でも少し変わったところはない? 悪霊がいなくなってからよ」

 オオタケマルは冷ややかな目つきで一刀両断した。
 世界に対する諦めと冷笑が混ざっていた。

「何も変わりゃしねェよ。政治の中心部、それなりの身分がある奴に恩恵があるだけだ。最下層のゴミどもは変わんねェし、悪霊が野盗に代わっただけだろうよ」
「そうなのね…………やっぱり」

 独神は目に見えて判るくらいに肩を落とした。
 相変わらず頭の中は八百万界の平和で埋め尽くされているらしい。

「だが手前てめえ)に影響された奴等は違うかもな。そうだ、手前てめえ)は今、英傑の誰と繋がってる」

 違和感のないようにさりげなく話題をすり替えた。
 オオタケマルは酒を見る振りをして独神の様子を観察した。

「フウマコタロウだけ。他は全然」

 独神の答えに、オオタケマルの目が細くなる。

「動ける目と耳だけは確保してやがったか。抜け目がねェな」
「違う。コタくんは何度言っても私に接触してくるの。私が望んだことは一度だってない」

 独神は眉をひそめ、少し迷惑そうな表情で言い切った。

(忍は厄介だ。風魔といや規模は小せェが暗殺に特化した集団。主を失って尚仕えるか。報酬がねェってのに気がしれねェな)

 オオタケマルは腕を組み、眉間に深い皺を寄せた。
 思考が渦巻く中、フウマコタロウの存在がオオタケマルの計画に暗い影を落とす。
 全ての英傑との縁を断ち切ったはずの独神に、なおも執着し追跡を続けるフウマコタロウ。その執念深さは、オオタケマルの思惑を大きく揺るがしかねない。
 村の虐殺、そして独神の"救出"──これらの出来事は、きっとフウマコタロウの耳に入っているだろう。
 フウマコタロウとの接触は時間の問題だ。オオタケマルは迫り来る事態に備え、心を引き締めた。

「フウマは手前てめえ)の方で呼べるのか」
「出来なくはないわ。多分私のことずっと部下に見張らせているから」

 オオタケマルは舌を打った。既に動き出しているに違いない。

「判ってる。コタくんのことは私でなんとかする」

 独神は少し唇を尖らせて言った。オオタケマルの懸念を判った上で、自分でけりをつけると言っているのだろう。

「ならねェ時はどうする」
「…………一戦交えることになる。しかも風魔自体と」
「面倒くせェな」

 オオタケマルは苛立ちを隠さず吐き捨てるように言った。

「そうならないようにするから」

 独神は必死に訴えた。オオタケマルはじっと見下ろした。

「しっかりやれよ」
「します」

 独神は力強く言い切ったが、オオタケマルは話半分で聞いていた。
 英傑に甘い独神に、フウマコタロウに対する厳しい措置など望めるはずもなかった。
 もう一度盃を傾けようとしたが、忍たちのいやらしさを思い出し、大人しく畳の上に置いた。
 独神は部屋の備え付きの風呂に向かった。
戻って来た時、部屋の空気が一瞬で変化し、オオタケマルの目が湯上がりの独神に釘付けになる。

「ここの石鹸、私の好きな香りだったのよ。ねえねえ、どうかしら?」

 たった一度の入浴で独神の姿は見違えるほど変貌を遂げていた。
 元々の顔立ちの良さが際立ち、そこらの女よりずっと目を惹く可憐さを取り戻していた。
 オオタケマルの沈黙に、独神は軽くため息をつく。

「無視……? まぁ、あなたってこういうの興味なさそうだものね、しょうがないか」

 濡れた髪を拭きながら、独神は窓際に腰かけ外を眺めた。
 その横顔に、オオタケマルは思わず息を呑む。
 風で髪がなびくたび、清々しい香りが漂う。くっきりとした目鼻立ちは彫刻のように整い、その美しさは目を奪わずにはいられない。
(立てば芍薬 座れば牡丹……ねェ)
 オオタケマルの心の中で、かつての美しい独神の姿が重なる。

「風呂如きで随分楽しそうじゃねェか」
「お風呂だけじゃないわ。全部久しぶりなんだもの! 町も着物を選ぶのも、食事も、こうやって誰かと話すのも」

 独神の声には、久しぶりの平穏な時間を過ごせる喜びが満ちていた。その素直な反応に、オオタケマルも心の中で悪くないと思っていた。
 だからこそ余計に理解できないのだ、つまらない結婚生活を続けていたことが。

「ねえ、明日はなにをするの?」

 目を輝かせて、緊張感の欠片もなく笑みを向けてくる。本当に自分の立場を判っているのか。

「何も決まってねェ。監視ついでに手前てめえ)に付き合ってやる」
「そうなの? 良かった」

 素っ気ない返事にも、独神は嬉しそうにしている

「そういえば、あなたはいつ寝るつもり? それとも、先に私が寝た方が安心する?」
「そう思ったならさっさと寝りゃ良いだろ」

 いちいちお伺いを立てられて鬱陶しくなったオオタケマルは荒っぽく返した。

「……少し勿体なくて」

 独神の声は寂しそうだった。しかし、すぐに切り替えたように明るい声で言った。

「先に休ませていただくわね」

 そう言うと、丁寧に髪や肌の手入れをした後早々に蒲団に転がり込んだ。

「おやすみなさい」

 独神はすぐに寝息を立て始めた。
 オオタケマルは少しだけ中身のある徳利を弄びながら、良い頃合いをひたすら待つ。
 独神の眠りが深くなり寝返りもうたなくなってから、近くへ忍び寄る。
 オオタケマルの足音は、畳の上でかすかに響くだけだった。月明かりに照らされた部屋の中で大きな影が独神に覆い被さるように伸びていく。
 整った顔が転がる様をじろじろと鑑賞する。
 散々民に虐げられて荒れた肌に、長い睫毛が頬に影を落としている。
 美しさが残っている。これを力も知恵もない者達に良いように弄ばれたと思うと激しい怒りがわく。
 その経験がありながら、オオタケマルを前にしてこうも無防備に寝られる独神にもまたそれ以上の苛立ちが膨らむ。

(こいつ、俺の前でこうも寝られるなんざ、舐めてやがるのか?)

 オオタケマルが、英傑達にすら危険視されていたことを忘れていたとは言わせない。
 オオタケマルは怪しく光る刀を抜き、規則正しく上下する喉に向かって真っ直ぐと刺した。
 月光に反射して、刀身が不吉な輝きを放つ。
 ところが、刺さらなかった。刃は皮膚の前で止まっている。
 ぱちっと目を開ける独神。闇の中で黒目だけがぎょろりと動いた。

「あなたの方が寝首をかくとは思わなかったわ」

 独神の声は冷静で、少しも動揺している様子はなかった。
 刀を構えたまま、後ろへ下がると、独神はむくりと身体を起こす。
 寝起きとは思えない流暢さで非難した。

「私を便利に使いたいのでしょう? だったら、演技してでも私に信用させる方が都合がいいはずでしょうに。それとも裏切るかもしれないと思っての行動? 警戒心が強いのは良いけれど、そこまでくると臆病ではないかしら」

 独神の率直な物言いに、オオタケマルは苛立ちを覚えた。殴りつけて、指でも切り落とすところだが、見た目にも価値のある独神を軽率に傷つけられず、代わりに嫌味で返す。

手前てめえ)がその調子だから捨てられたんだろうよ」

 独神の表情は変わらなかった。が少し止まって。

「……ごめんなさい。確かに今のは"物"としての態度がなっていなかったわ」

 申し訳御座いませんでしたと、改めて謝罪すると蒲団を被って眠ってしまった。
 多少なりと反撃して余裕が生まれたのか、オオタケマルはわずかながら自省の念を抱く。
 最強の駒を手に入れたはずが、自らの判断力を鈍らせているのではないか。

 オオタケマルは残っていた酒を流し込んでから風呂に向かい、その後就寝した。
 独神は疲れ切っているはずだ、と自分に言い聞かせ、夜の間は自由に過ごした。
 しかし何度部屋を離れても、戻れば独神は常に蒲団で眠っていた。オオタケマルの警戒心は次第に緩んでいく。

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