元・八百万界の救世主は、今日も影から世界の平和を守っています

 朝日が鶴嶺館の屋根を照らし始めた頃、独神と中肉中背の男は重い米俵と野菜を乗せた荷台を馬に引かせて裏門に立っていた。二人とも質素な配達人の姿に身を包み、自然な表情を浮かべている。その姿は、周囲の朝の風景に溶け込んでいた。
 男は風魔の忍で、鶴嶺館の食材を運ぶ業者に変装している、
 昨夜独神の帯に紙を差し込んだ男だ。
 紙には宝物庫への侵入と運搬の協力の申し出が書かれていた。独神はその内容を思い出し、眉間にかすかな皺を寄せた。
(私の話は無視してるくせに、こういうのは手を貸してくれるのね。嫌な予感しかしないわ)
 独神は、食材配達の新入りに見えるように、いつもより少し情けない、強張った表情を作った。

「頼りにしているわ」

 独神の囁きに、忍は僅かに頷いた。

「万全の態勢です」
「じゃあ、行きましょう」

 裏門を叩くと、眠そうな目をした若い下働きが顔を出した。

「おはようございます。納品に参りました」

 忍の丁寧な物言いに、下働きは疑う様子もなく二人を厨房へと案内した。
 厨房は朝食の準備で既に活気に満ちていた。鍋や釜からは湯気が立ち昇り、包丁を叩く音が響いている。料理人たちが忙しく立ち働く中、独神と忍は慎重に歩を進めた。
 納品業者に変装した男が声を上げる。

「失礼いたします。米俵が通ります」

 忍の声に、多忙な料理人たちは素っ気ない返事を返すだけだった。誰も二人の正体に気づく様子はない。
 忍は独神に荒っぽく言った。

「いいな。場所は向こうだ。絶対皆さんの邪魔するんじゃねぇぞ。手早くやれ」
「はい。判りました」

 少しおどおどしながらも独神は、指示の通り米俵のある荷台へ行った。
 独神が米俵に触れた瞬間、仕掛けられた術が発動した。
 荷車の車輪が意図的に損壊し、積荷が滑り落ちる。
 米俵が転がり、麻袋の中の野菜が床に散乱し、木箱が大きな音を立てて落下した。
 厨房内に騒然とした空気が広がった。

「てめぇ何してんだ!!」
「た、大変もも、申し訳御座いません!」

 忍が独神を叱りつけた。その声は演技とは思えない真に迫ったものだった。
 料理人たちの注目が一斉に集まる。怒号と叱責が飛び交う中、独神と忍は深々と頭を下げる。
 料理長と思しき人物が二人に近づき、厳しい口調で言った。

「早急に片付けろ。損傷した品は受け取れんぞ」
「承知いたしました。直ちに対処いたします」

 怒る料理人たちに、ぺこぺこと納品業者に扮した男と独神が頭を下げた。

「いいから早く拾え。傷があるもんは買い取らねぇからな」
「申し訳御座いません。今すぐに片付けます」

 忍は独神を肘で強く突き、小声で「しっかりしろよ。やる気あんのか」と声を荒げた。
 独神は「すみませんでした」と更に謝罪し、散乱した野菜を拾い集める。
 料理人たちの間を縫うように巧みに移動し、目的地である食材保管所────そして宝物庫の入口へと近づいていった。
 独神の心臓は激しく鼓動していた。表情に出ないのは長らく英傑集団の顏として動いてきた胆力だ。
 善人でいつづけた独神に、盗みは初めての経験だ。
 迷う時間はとっくに終わったのだと、頭を切り替える。
 宝物庫の扉は、観音開きで小さな和錠がついていた。殆ど装飾がなく、一国の宝が眠っているとは到底思えない質素さだった。
 独神は鍵に両手を添え、深く息を吐いた。周囲の喧騒が遠のき、意識が鍵へと集中していく。厨房の騒がしい音や匂いが薄れ、独神の世界は鍵と自分だけになった。

(五人の術者……まずは個々の特徴を見極めなければいけないわ)

 独神の指先から微かな光が鍵に流れ込む。すると、鍵の内部で複雑な術式が浮かび上がった。まるで生きているかのように、光の糸が絡み合い、迷路のような構造を形成している。独神の目は真剣さを増し、額には薄っすらと汗が浮かんでいた。

(水、火、土、風、金。五行元素ね。でもこれほど緻密に組み合わされているのは初めて見るわ)

 独神は慎重に、術式全体を観察した。五つの要素が互いに影響し合い、絶妙なバランスを保っている。その複雑さに、独神は一瞬たじろぎそうになったが、すぐに気持ちを立て直した。

(単純に相克の関係を利用するだけでは崩せないわね。もっと深い次元で干渉しなければ)

 調和した五行をどう打ち破るのか。独神には少し当てがあった。長年の経験と知識が、この難題に立ち向かう勇気を与えている。

(……これ、アシヤドウマンね。珍しい。五人のうちの一人なんて嫌がりそうなのに。どうやって頼んだのかしら)

 独神は二百を超える英傑を従えてきた。
 判りあうため、違いを知るためにと、一人一人と対話を重ねた。その中で、術や武芸を教わり、独神はそれらを素直に吸収した。
 英傑達と過ごした溢れんばかりの思い出が独神を強くし、今この瞬間の独神を支えてくれる。
 独神は目を閉じ、自身の内なる五行の力を呼び起こす。そして、鍵の術式と共鳴させ始めた。
 独神の身体から漏れ出す微かな光が、鍵を包み込んでいく。

(五行は循環する。終わりなき輪廻……でも、完璧なものなんてないのよ。隙はある)

 独神の術が鍵の術式に溶け込んでいく。まるで水面に落ちた墨のように、ゆっくりと広がっていく。
 独神の額には汗が滲み、全身に力が入っている。しかし、その表情は冷静さを失っていない。

(相生と相克。陰と陽。その狭間に存在する「虚」を見出さなければ)

 独神は五行の循環の中に、わずかな「間」を作り出そうとする。それは五行の調和を乱すことなく、しかし確実に術式の核心に迫るものだった。独神の指先が微かに震え、額から流れる汗が顎を伝って落ちる。
 周囲では依然として厨房の騒ぎが続いていたが、独神の耳にはもはや届いていない。
 全神経を集中させ、鍵の術式と対話を続けている。

(そう、ここよ。五行の狭間に存在する「虚」)

 独神の術が「虚」を捉えた瞬間、鍵の術式全体が揺らめいた。それは肉眼では見えないが、独神には明確に感じ取れた。

(今!)

 独神は一気に持てる霊力を注ぎ込む。「虚」を通じて、調和した五行に干渉していく。
 水の流れを変え、火の勢いを操り、土の重みを軽くし、金の固さを和らげ、木の生命力を抑制する。
 術式が大きく歪み始める。しかし、それは破壊ではない。むしろ、新たな調和への再構築だった。独神の額には大粒の汗が浮かび、全身が緊張で強張っている。
 やがて、鍵の術式が完全に姿を変えた。そして────
カチリ、という小さな音と共に、鍵が開いた。
 爽やかな達成感が身を包む。

(なにごとも破壊一辺倒じゃ駄目ってことよね。良い術式だわ)

独神は周囲を素早く確認し、誰も自分に注目していないことを確かめると、そっと扉を開けた。中を覗き込んだ独神の表情が変わる。
 中は────殆ど物がなかった。
予想に反して殆ど物がなく、広い空間に大きな壺、書簡の棚、金の刀が置かれているだけだった。

 独神は迷いながらも、まず大きな壺に近づいた。壺の銘を確認したが何も書かれていなかった。手で触れてみると、ざらついた感触がする。古い陶器のようだ。
 次に目をやったのは金で作られた刀だ。きらびやかな外見で一見値打ちもののようだが、実戦に使えず芸術品としても質の低いものだった。
 残るは書簡の詰まった棚。量が多く一つ一つに目を通すわけにはいかない。時間的制約がある中で、どれが価値あるものなのか見極めるのは至難の業だ。
 独神は焦りながらも冷静に、再び壺に目を向けた。何か見落としがあるのではないかと、今度はより注意深く観察する。

(もしかしたら...)

 独神は慎重に壺の中を覗き込んだ。するとそこには、一巻の巻物が収められていた。独神の目が僅かに見開く。
 手早く巻物を取り出し、目を通す。そこには購入した武器の種類と数が事細かに記されていた。これが意味するところは明白だったが、今の世ならまだしも、大昔の記録で何が覆るのかは不明である。
 ────突如、空気が振動した。
 身構えた独神であったが、周囲に人らしい気配はない。術の類ともまた違う。
 確実に、何かが”視て”いる。
 独神は手にした巻物を床に置き、己も膝を折って頭を下げた。

「勝手に入って申し訳御座いません。こちらの巻物をお借りします。あとで戻しに来ます」

 空間のピリつきが次第に落ち着いていく。独神は「ありがとうございます」と礼を言い、野菜を入れるはずだった袋に巻物を放り込んだ。
 独神は音を立てないように扉を閉めた。鍵は勝手にかかったので、その分手間がかからずに済んだ。
 あとは物を無事外へ運び出すだけ。
 独神は深呼吸をして心を落ち着かせ、泣きそうな表情を作った。そして、忍が懸命に修理しているところに向かって歩き出した。
 厨房内はまだ騒然としていたて、独神の行動を怪しむ者はいなかった。

「いくつか駄目になってました」

 独神は情けない声を出した。忍は舌打ちをし、苛立たしげに答えた。

「使えねえな。さっさと乗せろ」

 独神は肩を落とし、不慣れを装いつつ効率的に車輪を直し始めた。
 周囲の料理人たちは、二人の様子を冷ややかな目で見ていた。
 すべての作業が終了し、独神と忍は改めて頭を下げ、謝罪の言葉を繰り返した。

「本日はお騒がせして大変申し訳御座いませんでした」

 料理人たちは相変わらず殺気立っていて、なにも答えなかった。彼らの無言の怒りが、厨房内に重く漂っている。
 目下の問題は、朝食に間に合うか、食材が足りるかの二点であって、まさか荷物の中に宝が入っていることには気付きそうもない。
 独神と忍は、何事もなかったかのように荷物を積み直し、厨房を後にした。
 街角に出ても二人は油断をしなかった。周囲を警戒しながら、自然な足取りで歩を進める。独神は時折、肩越しに後ろを確認していた。
 二人は人混みに紛れ、徐々に姿を消していった。通りを曲がり、人通りの少ない路地に入る。そして最終的に、人気のない道へと逸れていった。

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