ホーム
小説
絵
日記
イベント・発行
ブックマーク
メールフォーム
→返信
応援する👋
独神を抱いたままオオタケマルは山を下り、一番近い町へ行った。
返り血は道中で洗い流したが、意識のない女を抱いた巨漢の鬼は遠巻きにされる。
オオタケマルはその反応に慣れていたが、今回は死んだように眠る女の存在が状況をより悪化させていた。
「ちょィとそこの兄チャン」
オオタケマルはじろじろと見てくる怖いもの知らずに声をかけた。
声をかけられた男は驚いてぴょいと飛び上がっている。
周囲の町民がさっと男から距離を取った。
オオタケマルは変わらず男を見ている。
左右をいくら見回しても逃げ道はなかった。
「は、はい……なんです?」
オオタケマルは穏やかな口調を装って、精一杯の笑顔を浮かべた。
「連れが疲れちまってなァ。休ませてェんだが、ここらの宿屋で一番評判の良いところを教えてくれねェか。慣れねェ旅ですっかり調子崩しちまってなァ。奮発して良い飯食わしてやりてェんだよ」
男は腕の中にいる独神に目を向けた。みすぼらしい姿の女をただの連れとは思っていないだろう。
それでもオオタケマルの放つ凄みに屈したのか、男は素直に答えた。
「橋を渡った先に一際大きい建物がある。松風亭と言って、この町一番の宿屋だ。よく領主がお忍びで来るって話だ。二番目なら鶴嶺館だな。派手さはないが、庭園が綺麗で心身共に休める。療養ならこっちの方が合うかもしれない」
「松風亭と鶴嶺館だな。すまねェなァ、恩に着るぜ」
そう言って、オオタケマルは教わった方向へ歩きだした。
まずは宿の下見だ。
独神はオオタケマルへの服従を了承したが、信じることは出来ない。
独神は狡猾だ。
その狡猾さは、幾多の苦難を乗り越えてきた経験に裏打ちされている。
誰もが尻込みした悪霊討伐に真っ先に立ち向かい、味方であるはずの民にも幾度となく裏切られ、死線を潜り抜けてきた。
そんな荒波を生き抜いてきた独神が、簡単に油断するはずがない。
警戒を解くわけにはいかなかった。
松風亭は、町一番の宿という評判通り、大通りに面して活気に満ちていた。
下男下女が忙しく立ち働き、出入りする客は裕福そうな身なりの者ばかり。聞けば、その宿泊料は一般の庶民には手の届かない高額なものだった。
対して鶴嶺館は、町の喧騒から離れた外れに佇んでいた。
周囲の静寂に包まれ、近隣に民家はなく、広大な敷地の大半は美しい庭園が占めている。
その佇まいは、まるで俗世から隔絶された別天地のようだった。
ならば前者だ。
見たところ独神は実戦から離れている。体術に優れているが今の筋肉の落ちた細い手足では昔ほどの俊敏さはない。オオタケマルの腕力で簡単に捻じ伏せられるだろう。
術師である独神は、民を巻き込み、家屋を破壊することを良しとしない。大通りならば術の一切を封じられる。
松風亭は空きがあったので、少しでも逃亡しにくい二階の部屋を選んだ。
芸者の一切は断った。最低限の世話以外部屋に立ち寄らないように強く言い含めると、従業員たちは表情一つ変えず、恭しく頷いた。その態度からは、客の要望を忠実に守る高級宿の矜持が感じられた。
これで、この薄汚れた女の正体が独神であると知られる可能性はぐっと減った。
オオタケマルは敷かせた蒲団の上に、独神を静かに寝かせた。
変わり果てた姿に目を向けるたび、深い落胆を覚えずにはいられなかった。
幾度となく繕われた安っぽい着物に包まれた独神は、血の気のない顔で、浅い呼吸を繰り返していた。その姿は、まるで生命の灯火が消えかかった人のようだった。
人間の衰えは避けられないとはいえ、独神の劣化はオオタケマルの予想をはるかに超えていた。
本殿解体の日に独神を確保していれば、こんな事態には至らなかったはずだ。独神が長年培ってきた力を、存分に活用できたかもしれない。そう思うと、後悔の念が胸に去来した。
村人たちの独神に対する扱いを思い出すと、オオタケマルの内に怒りが沸き起こる。
愚かな連中に、独神という稀有な存在を扱う資格などあろうはずもない。
あの時皆殺しにのは、独神の目撃情報を漏らされないためでもあったが、今となっては他の理由もあったような気がした。
オオタケマルは自覚するよりも長い間、独神の姿を見つめ続けていた。その間、部屋の中は静寂に包まれ、時間だけがゆっくりと流れていくようだった。
そんな中、独神が身じろぎした。ゆっくりと目を開けた独神は、まず天井を見つめ、それから緩慢とした動作でオオタケマルに目を向けた。
「……空の見えない場所で寝るなんて久しぶりよ」
弱々しいが、見たことのある微笑を浮かべていた。
「ったく、やァっと起きやがったか。見知ってなきゃ乞食にしか見えねェな」
ぼんやりとしている間に、先手を打っておく必要があった。
「御大。覚えてんのか」
独神は少し考えて言った。
「三行半を頂いたわ」
「そっちじゃねェ」
オオタケマルは威圧的な態度で言い放った。
「いいか。手前は俺の戦利品だ。今後は俺に従え。いいな」
独神は一瞬の躊躇いもなく答えた。
「それなら承知しているわ」
その素直な返事に、オオタケマルは一瞬虚を突かれた。表情に疑念の色が浮かぶ。
「あっさりしすぎてねェか。本当に判ってんのか? 手前の下で働いてやってた頃とは違う。今度は手前が命令に従うんだ。どんな命令でも従う義務が発生するんだぞ」
独神は穏やかな表情を崩さず、丁寧な言葉遣いで応じた。
「当然判っているわよ。今後ともご厄介になりますこと、心よりお願い申し上げます。何卒ご指導ご鞭撻を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます」
独神はのっそりと起き上がり、手をついて深々と頭を下げた。
オオタケマルは独神の態度に違和感を覚えながらも、内心では満足げだった。
(嘘くせェにもほどがある。が、見た目ほど弱ってねェのかもしれねェなァ)
「しっかり働けよ」
「はい。ご主人さま」
オオタケマルは思わず顔をしかめた。
「なんだそれは」
独神は少し戸惑ったように首を傾げた。
「だって、私が手下ってことじゃないの?」
「だとしてもだ。そう呼ぶんじゃねェ」
美人でたおやかな独神が、オオタケマルを「ご主人さま」と呼べば、さらった女を無理やり付き従わせているようにしか思われない。
眼光が鋭く筋骨隆々の鬼は、いくら人好きに装っていても警戒される。見た目で通行を拒否されることもしばしばだ。
しかしこれが『女の護衛』となると、たちまち腕のたつ優秀な鬼として一定の尊敬の念さえ抱かれる。
独神と同格、または独神の地位が高い方が、放浪するには都合が良い。
というのが主な理由だが、ほんの一握りだけ、独神に主人と呼ばれるのは得も言われぬ気持ち悪さがあった。
オオタケマルはその小さな違和感について深く考えず、頭を切り替えた。
「まずはその小汚ェ姿をなんとかしな」
あらかじめ用意していた小袋を独神に放り投げると、チャリンと小気味よい音が鳴った。
「先行投資だ。手前ほどの素材ならおつりがくる」
独神はじっとそれを見ると、冷静な声で尋ねた。
「どんな外見がお望み?」
「そうだな。……身分が高ェ方が良いが、商家くらいが違和感がねェか。俺が疑われちゃ困る」
「……ああ、そういうことね」
オオタケマルは独神の素早い理解に感心した。頭の回転が速く、必要以上の言葉がいらない。組むにはもってこいの相手だ。
「服装は良いとして、身体は少し時間をもらいたいわ。この貧相な身体では説得力がないもの」
「その辺は手前に任せる。欲しいもんは何でも言え」
「……で、どんな見返りを望んでいるの?」
オオタケマルの顔に邪悪な笑みが浮かんだ。
「俺はな、手前のそういうところが気に入ってんだ」
独神の顔に一瞬、何かが過ぎったが、すぐに元の無表情に戻った。
オオタケマルは独神の反応を注意深く観察しながら、次の質問を投げかけた。
「実戦はいつやった」
「三年以上はやっていないわね。生命維持が優先で、力を使える環境じゃなかった」
「今後はしっかり食って寝ろ。遠慮は要らねェ。いつでも動けるようにしとけ」
独神の顔に小さな笑みが浮かんだ。
「ありがとう」
その笑顔は、まるで枯れ木のようだった。
殆ど食事をしていなかったのだろう。かつての栄華を捨て、一介の農婦に身を落としたが故に。
オオタケマルは何か言わずにはいられなかった。
「独神なら亭主なんざより取り見取りだろ。なんでわざわざあんな冴えねェの選んでんだァ?」
「色々とね」
独神は答えず、すくりと立ち上がった。
「着物だけ調達してくるわね。もう夕方だけど、服がないと明日動きづらいもの」
オオタケマルも同じく立ちあがる。独神は驚いていた。
「ついてくるつもり?」
「そりゃそうだろ。手前がいつ逃げ出すかわかったもんじゃねェ」
え、と独神は聞き返した。
「おかしかねェだろ」
「え、ええ。……そっか、そうね。いえ、気づかなくてごめんなさい。逃げるなんて考えてもなかったから」
「そうかよ」
オオタケマルには独神の言葉が白々しく響いていた。しかし、表面上は何も言わず、独神と共に宿を出た。
二人で並んで歩く光景は、オオタケマルにとって新鮮だった。
かつて、多くの英傑たちは独神と肩を並べる機会を得ていた。
だが、オオタケマルだけは例外だった。
その野心を見透かされ、他の英傑たちによって常に独神から遠ざけられていたのだ。
皮肉にも、本殿の解体と独神の失墜を経て、やっと他の英傑たちと同じ立場に立てたのだ。
前を歩いていた独神がちらりとオオタケマルを振り返った。
「私、速いかしら?」
「俺に構うこたねェ。好きにしな」
「あらそう。判ったわ」
少し背を丸め、女にしては早足で歩く独神を見ながらオオタケマルは回顧する。
かつての独神だったならば……。
唯一のヒトリガミであり救世主と言い伝えられたその姿は、常に凛として、背筋は真っ直ぐに伸び、胸は誇らしげに張られていた。
独神の歩む道は、当たり前のように群衆が左右に分かれて開かれた。
人々は競うように贈り物を捧げ、その恩恵にあずかろうと躍起になった。
独神の美しさは比類なく、その傍らを歩く者の地位をもぐっと引き上げた。
身分の上下を問わず平等に接する姿に人々は心を奪われ、そして、惑わされた。
悪霊の脅威に直面しても、独神の姿勢は揺らがない。
その不動の精神は、周囲の者たちに勇気と希望を与え続けた。
独神の存在は、八百万界の奇跡だった。
今の独神を羨望の眼差しで見る者はいない。
大男を連れた小汚い女を異常者として目を見張るか逸らすばかり。
だがこれも少しの我慢だ。
手をかければ独神はたちまち昔の有用性を取り戻し、かつての輝きを取り戻す。
呉服屋に着いた頃には、店主は店じまいに手を付けていた。
そこへ肌艶が悪く、洗濯しすぎて薄くなった粗末な着物を着た独神を見て、手を速めた。
オオタケマルは左の肩当てに手を入れ、袋を取り出した。
「金ならある」
重そうな金袋を畳に叩きつけた。
店主の目が金袋に釘付けになる。一瞬の逡巡の後、にこやかな笑顔を浮かべた。
「いらっしゃいませ。どんなお着物がご入用ですか」
手のひらを返した接客にも関わらず、独神は嫌な顔一つせず、軽く頭を下げて言った。
「着物を一式。二着分お願いします」
「ではこちらの着物はいかがですか。これはかの有名な瑞風織の着物なんですよ。本来ならばこの店で出せる代物ではございませんが、少々傷があることから当店に流れてきました」
オオタケマルは着物を品定めしながら、独神に言った。
「瑞風織は今の手前には上等過ぎる気がするがなァ」
「普段着には華美だわ。申し訳御座いませんが、他のものを見せて頂けませんか」
そう言って断ったが店主は食い下がった。
「一度合わせてみてはいかがですか」
「いえ。お着物を汚してはいけませんから。急ぎの購入なので丈も大体で良いのです」
「そう言わず。さあさあ」
店主は引き下がらず、無理矢理独神に着物を合わせようと迫って来る。
困った顔をする独神は、面倒になって去ろうとしていたオオタケマルを呼び止めた。
「待って。そこで見ていて欲しいの」
うんざりした顔を見せながらも、舌打ち一つで足を止めた。
渋々着物を着せられている独神を、店主は何度も褒めちぎった。
よくお似合いだ、素敵だ、この着物は今日のためにうちにきた、私の見立ては正しかった、この色がとてもよく合う、瑞風織が安く手に入ることは滅多にないのにお客さんは運が良い等とにこにこと何度も営業をかける。
その間独神は曖昧に笑うだけでどの言葉も肯定しなかった。
「お連れ様もいかがですか? よくお似合いだと思いませんか?」
オオタケマルは目を細めて、高価な着物を纏った独神をじっと見た。
独神は口だけを動かし伝えた。
「見てて」
独神は着物を着たまま、颯爽と店を出て行った。
赤い夕陽をいっぱいに浴びる独神。
その美しさに目を奪われる店主だったが、我に返って怒鳴った。
「おい、なにをしている!! やはり盗人だったか! 役人に突き出されたくなければ、五十万界貨置いていけ!」
瑞風織の普段着となると相場は三十万界貨である。
独神は小さく笑った。
「役人が出てきて困るのはあなたでは?」
オオタケマルに視線を投げ、小さく頷いた。
自信ある表情に、オオタケマルも刀に手をかけるのはひとまず止めた。
「ご主人、この着物は瑞風織ではありませんね?」
「そうやって嘘でごまかす気か。生憎うちは信用されてるんでね。役人を呼ばれて困るのはお前たちだろう。今なら六十万界貨で見逃してやるぞ」
店の間から飛び出した店主は足を踏み鳴らしながら独神の腕を掴んだ。
掴んだところを独神は指差した。
「判りますか。ここ、夕日が当たっているでしょう。なのに特徴である艶が現れていませんね。どうしてですか」
「これは傷物だと言っただろう」
独神は袂を夕光にかざした。
「瑞風織は、一ヵ月に数度しかない特別な日没の時間帯で染め上げたもの。光に照らされると虹色の濃淡が浮かび上がることが特徴です。特に夕方の光を浴びると、一層艶が増すから、別名夕照の布と呼ばれますよね」
「だからどうした」
苛立った店主が掴んだ手に力を込めるが、細い独神の腕は動かなかった。
むきになる店主に独神は淡々と続ける。
「では見習いが作った粗悪品でも虹色の濃淡が浮かび上がることもご存知ですね。土地特有の現象なので実は腕前は無関係。そして瑞風織は織物の中でも厳しい界隈ですから、見習いの粗悪品が外に出ることは通常ありません」
店主がいや、だが、と反論しかけるが独神は話を止めない。
「瑞風織は人気が高く、故に紛い物が横行しています。が、なかなか被害の声が上がらないのは、騙されたことを知られたくないことや、知識が足りず偽物に気付いていないことが多いから。粗悪品を流す方に、あなたはそこにつけこんで、いったいどのくらいお売りになったのかしら」
「い、い、言いがかりだ! 本物なんて知らないくせに」
「良いでしょう。これを本物だとおっしゃるのなら他の店で確認しましょう。ここに来るまでに大きい呉服屋を見かけましたわ」
軽やかに歩き出そうとする独神に店主は「待ってくれ」と言って、弱々しく腕に縋った。
静観していたオオタケマルが大声で笑い出した。
「流石の審美眼だな。俺も夕日がなけりゃ判らなかったぜ。さァて、どうする。俺の金を騙し取ろうってことなら潰して構わねェよなァ?」
独神の背後に今度こそ刀を抜いたオオタケマルが立つ。
店主は独神から手を離し、その場に土下座した。
「すまない! 私が悪かった! 金が必要だったんだ。店には手を出さないでくれ!!」
刀を振り上げるオオタケマルを独神は制し、首を振った。
「そもそもはみすぼらしい私の姿が、あなたを不安にさせたのです。申し訳ありません。こちらの着物はお返ししますね」
そう言って独神は着物を脱ぎ、元のボロキレに着替えた。
「改めてお願いします。このお金で買える着物を二着下さい。私に合う色だと嬉しいです」
店主は恐縮しながら、独神に似合う上質な着物を選び、帯や帯留め、帯締めも全部付けてくれた。どれも予算以上のもの。
「他にも色々良いですか? 追加でお支払いしますので」
独神は生活に必要な足袋や草履なども購入した。後ろめたかったのか、店主は格安で販売したので追加予算は丸々余ってしまった。
送信中です
※コメントは最大1000文字、5回まで送信できます