元・八百万界の救世主は、今日も影から世界の平和を守っています

 気配を押し殺し、見張り番の喉を掻き切った。血の匂いが湿っぽい空気に漂う。
 オオタケマルは家々に踏み込み、抵抗する者は容赦なく打ち倒した。
 老人や子供も例外ではなかった。
 ある家では逃げようとした男を捕まえた。骨の砕ける音が静寂を破り、男の両腕が不自然な角度に曲がった。悲鳴をあげる前に男の喉を握りつぶした。
 ぐにゃりと男は地面に崩れ落ちる。

「さっさと隠してる銀を出しな!」

 震えて腰が立たなくなった村人を鷲掴みにし、壁に叩きつける。血飛沫が飛び散り、壁を彩った。
 老婆が震える声で叫んだ。

「銀なんぞ知らん! 知らんのじゃ! ここには何もない……」

 その横で、母親が若い娘を背中に隠しながら、涙ながらに懇願する。

「お許しください。お許しください。なにも知らないのです」
「なァんだ知らねェのか。なら手前てめえ)の娘にも聞いてみようじゃねェの」

 悲鳴を上げる少女を引きずり出し、髪を掴んで持ち上げると、少女の髪の毛が束になって抜け落ちた。少女の目は恐怖で見開かれ、唇は青ざめて震えていた。

「やめて! お願いです!」

 母親が必死に縋りつくが、オオタケマルまるで害虫でも払うかのように軽く蹴り飛ばした。
 壁に叩きつけられた母親は呻き声をあげた。

「殺されたくなけりゃ言いな。簡単な話だろ」

 オオタケマルは少女の首に手をかけ、ゆっくりと力を入れてくる。少女の顔が紅潮し、喘ぎ声が漏れる。
 その目の中で命の灯火が小さくなっていくのを、オオタケマルは冷ややかに見つめていた。
 村人たちの間で恐怖の波が広がっていく。ある者は震えて立ち尽くし、ある者は泣き崩れ、またある者は必死に逃げ道を探している。
 しかし、誰一人としてオオタケマルに立ち向かう勇気は持ち合わせていなかった。

「ぎ、銀はもうないんです! でも独神が宝を隠し持っています!」

 老父の言葉を皮切りに、村人たちが口々に叫んだ。

「あの人、食料なしでも生きてるし、きっと裏で英傑どもと取引してるんですよ!」
「昔集めた宝だ。亭主にも秘密にして一切口を割らねぇ」
「おお、これだけの力があるならは、あの化物も宝の在り処を吐くはずじゃ!」
「いや独神をサクっと殺しちまえばいい! きっと大金になりますよ!」
「その前に犯しちまえばいい! 何度か犯したが身体だけは絶品だ! 抵抗もしないから何発だって犯し放題だぜ!」

 オオタケマルの目が残忍な光を宿した。少女を放り投げる。

「じゃぁ、そっちを頂くとするかァ」

 ほっとする人々。しかし安堵は長く続かない。

「けどよォ、俺に無駄足踏ませやがったツケはきっちり払ってもらわねェとな」

 大量の返り血を浴びたオオタケマルは独神のいた、小屋へ押し入った。
 血を滴らせたオオタケマルを見て男は腰を抜かしていたが、独神は瞬時に立ち上がり臨戦態勢に入った。

「へっ、邪魔するぜェ」

 独神は顔を歪めながらも瞬時に指示を出す。

「旦那様、早く逃げて! ここは私が食い止めるから」

 呪を唱えている時だった。
 独神の身体がふわりと浮き上がり、そのままオオタケマルの前に手を付いて倒れ込んだ。オオタケマルは男から目を離さない。

「好きに殺してくれ! もう沢山だ!」

 男は裏口から逃げ出し、建付けが悪かった扉は地面に倒れた。
 土間に落とされた独神は砂を頬や手に付けたまま、去り行く夫をじっと見ていた。
 涙はない。静かに『終焉』を見届けていた。
 男の姿が見えなくなると、オオタケマルはうずくまったままの独神の腕を掴んで雑に立ち上がらせたが、独神はその手をすぐに解いた。
 オオタケマルは鼻で笑った。

「まさか。操を立てる必要ねェだろ。無様に逃げやがったぞ。手前てめえ)の亭主。いや"元"か」
「違う。私を差し出せば万事解決だもの。村を守るには良い判断だわ。ええ。間違いない。それだけよ」
「御大よォ……」

 馬鹿を言うな。と言わなかったのはほんの少しの同情か呆れだったか。
 その沈黙の中で独神は緊張の糸が切れてしまった。

「……いやね、判ってたわよ。向こうが私を負担に思ってること。浮気してるのも。独神の重さを何も判ってなかったことも。存在しない独神の財をあてにしてたのも。コタくんに警告されなくたって」
「なっさけねェなァ。アクの強い英傑どもを従えた手前てめえ)が亭主一人の手綱握れねェのか」

 ぼそぼそと反省の弁が聞こえる。

「いつか受け入れてくれるはずだって勝手に願ってたのよ……」

 湿っぽい雰囲気が煩わしくなったオオタケマルは独神をひょいと抱き上げた。
 あまりの軽さに勢いで後ろに放り投げそうになった。
 着物越しでもあばらが浮いているのが判る。
 その姿は、かつて本殿で見た独神とは別人のようだ。
 あの頃の独神は誰もが振り返る美しさで、その姿を描いた浮世絵は引く手数多だった。
 しかし、見た目だけに限らないのが独神だった。
 政の才もあったが、商才もあり、更に人望まであった。
 武芸は英傑に劣るが、体術は目を見張るものがあり、呪術の腕は八百万界で五本の指に入った。
 自分が一番と思うオオタケマルでさえ、完全無欠を体現した独神には衝撃を受けた。
 是が非でも駒にしたいと思っていたが、最終的に自身では持て余すと判断して当時は大人しく去ったのだ。

 それがどうだ。
 独神に選ばれた八百万界一幸運な男は、独神の魅力を全て地に落とした。
 独神を得ればこの世の全てを欲を満たすことが出来るのに、扱い損ねた挙句にむざむざ捨てたのだ。
 正気の沙汰ではない。
 自分だったならば……。

手前てめえ)は俺のもんだ。これからは俺の言う通りに動け。判ったか」
「判ったわよ。……従うわ」

 思わず笑いが声に出そうになった。独神が服従すると口にしたのだ。
 あの時は出来なかった、独神をこの手に掴んだ。

「でもね。それには一つ、あなたに聞いておかなければならないの」 

 独神はオオタケマルを見た。人を殺してしまいそうな鋭い視線で。

「その血は何。村へ行ったの?」

 オオタケマルは鼻で笑った。

「いや。この血はチンケな盗人どもよ。がっかりしたかァ? なんなら今からでも村の連中を始末してやってもいいぜェ」
「駄目! あのひとたちは悪くないんだから。……本当に良かった、あなたが殺していなくて」

 ふうと、大きく息を吐いた独神に鋭利な雰囲気はない。力の抜け方から見て、微塵も疑っていないのだろう。
 どうやら嘘を信じたようだ。

「……ねえ、さっきから落ちそうなの。首、手を回してもよくって?」
「んなもん勝手にすりゃいいじゃねェか。血で汚れても文句言うんじゃねェぞ」
「独神はあなた以上に血で濡れてるのよ。今更」

 太い首に手を伸ばし、大きな肩に頭をこてんと預けた。
 偉大な独神様が小さく見えて血迷ったのか、柄にもないことが口を突いた。

手前てめえ)の価値を判ってねェヤツなんざ忘れちまいな」
「あなたが慰めてくれるなんて、よっぽどなのね」

 ぎゅっとしがみ付いた独神はそのままうとうとと舟をこいで眠りについた。まだ太陽の高い真昼間に。
 気の休まらない生活が続いていたのだろう。
 オオタケマルが手を下さずとも、生活はとっくに破綻していたのだ。

(こいつだけはどうにも手に入らねェと思ったんだがねェ。使い方の知らねェ馬鹿のお陰でとんだ牡丹餅よ)

 空いた手で身体を撫で回してもぴくりともしない。
 以前なら触れることも叶わなかった。
 オオタケマルは仲間である英傑達から警戒されており、独神に近づく時は必ず誰かが見張りについた。
 そのせいで一度も距離を詰めることが出来ず、オオタケマルはただの一英傑で終わってしまった。

(とうとう俺にもツキが回ってきたじゃねェの)

 相好を崩し、身体が喜びに震えた。
 八百万界が誇る最高の支配者が、今や自分の物になったのだ。
 才能多き独神は使い方も無限にある。まずは何をさせようかと舌なめずりしながら考えていた。

「おい」

 想像を邪魔するのは、独神の元亭主であった。
 声を震わせ、オオタケマルの肩ですやすやと寝ている独神を指差した。

「宝はどこにある!? その女は俺の嫁だ。嫁の財は俺のも、」

 言葉が形になる前に、胴体が真っ二つに折れ曲がった。

「今更返すわけねェだろォ? まァ心配すんな。俺がしっかりと使いこなしてやるよ」

 オオタケマルは無造作に背を向けた。
 地面に転がる二つの肉塊からは、まだ生命の名残が漂っていた。
 断面から泡立つ血と内臓が、ぐちゅぐちゅと不快な音を立てている。かつて人間だったそれは、今や道端の腐肉と変わらない。
人の形を失った肉塊が痙攣する度に地面に新たな血溜まりが広がっていくが、それはもうオオタケマルには届かなかった。

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