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ヌラリヒョン
「一緒に住まない? ……ずっと」
緊張した面持ちで独神はずっとしまいこんでいた想いを告げた。
今が戦時中であることも、自分が特別な身分であることも承知した上で、己の感情を吐露したのだ。
ヌラリヒョンは意味ありげに笑った後、眉尻を下げて躊躇いがちに言った。
「……先を越されてしまったな」
みるみるうちに独神の表情が変わった。
「先って……?」
「まさに今日。其方を今までになく驚かせようと思っていたのだよ」
固唾を呑んで待っていた。
「……花嫁衣裳に興味はないか?」
ぱっと目を見開いた独神は、今度は目を細め、眉を八の字にして泣きだした。
「ごめん。……ごめんね……。私、先走ったんだね」
垂れてしまった頭を撫でながらヌラリヒョンは否定した。
「そうではない。其方もずっと望んでくれていた。どちらが先でもおかしくなかった」
独神は首を振った。
「記憶を消してもらいにいってくる」
「やめぬか」
ヌラリヒョンに掴まれた肩を振り払おうと身を捩った。
「私は、あなたが私のために考えてくれたことはその通りに全部したいの。一生に一度なんだよ!」
本来ならば悲しみの涙を流す場面ではない。
大事な所でしくじってしまった。ヌラリヒョンは申し訳なく撫でた。
「其方の考えは理解した。しかし記憶はこのままにしておくれ」
「どうして。だって本当は驚かせたかったんでしょう? 知った後は驚けないじゃん!」
「壱の案はな。儂もいくつか展開は想定していた」
「じゃあ」
「人生とは思いもよらぬもの。折角だからこのまま続けてみてはどうだろう」
迷う独神に言った。
「心配せずとも、其方への求婚はもう一度行う。儂が思い描いていた通りにな」
それを聞いて安心した独神は判ったと頷いた。
「英傑どもに知られるのは本意ではない。儂は其方と静かにその日を迎えたいのだ。だからくれぐれも内密に頼む」
「そんなの当然でしょ。私だってこれ以上邪魔されたくないよ」
子供のように口を尖らせる姿が、ヌラリヒョンには微笑ましかった。
「儂は今のような其方を見ていたい。其方の変化が儂には眩しくてな。時に眩しすぎるのだが、身の程知らずにも手に入れたくなった」
少し赤くなった。
「ご、後日って言わなかったっけ?」
「それはそれ。これはこれさ」
独神は気まずそうに、だが嬉しそうににやけていた。
「ここまでの緊張はいつぶりか思い出せぬぞ」
「あなたでも緊張したんだね」
「そう言われると寂しいな」
独神は驚いた。
「連れ添いたいと欲したのは初めてだったのだぞ」
「え……? それ……」
「その通り。結婚を申し込むのは永い人生でも初めてのことだ」
この告白には独神は驚きを通り越して固まってしまった。
「なんだ。儂が何度か所帯を持ったと思っておったのか」
「あってもおかしくないから……。それに、そんな話したことなかったでしょ」
お互いに踏み込まなかった。
それぞれに躊躇う理由があった。
「今日の今日まで、其方を好きだとも愛しているとも言えずにいた。其方が儂を悪く思っていない自惚れもあったが、それ以上に恐れがあった」
ヌラリヒョンと独神は親しいながらも、独神と英傑の立場を崩さなかった。
特別な祭りがある時には互いに贈り物をし、都度感謝を述べ、ほんのりと好意を伝えていた。
この本殿ではよくある光景である。信頼や尊敬以上の感情が互いの間にあることに誰も気付かなかった。
「親しき者も死人の方が多くなってきた。別れは慣れぬものだ。心が通った者を失うのは己をも失うのだから」
永い時を生きる妖。
その中でも途方もなく永い時間を揺蕩い続けたヌラリヒョン。
生を受け数年の独神には時の重さは判らない。
判るのは、別れが寂しいことだけ。
「しかしとうとう、痛みすら厭わず手に入れたいものができた。それが其方だ」
慈愛に満ちた表情を一身に浴びる独神は、慣れないことに汗がじんわりと滲んできた。
焦りを誤魔化そうと茶化し気味に言った。
「こんなに自分のこと喋るの初めてじゃない? どうしたの?」
「胸の内を知りたいと言う其方をずっとかわしてきた。今は全てを伝えるつもりだ」
完敗であった。
独神が耐えられる羞恥心は器から溢れだし、心を保つには話すしかない。
「い。いつ好きになったの?」
「正確にはわからぬ。元々独神というものに興味を惹かれてここに来たのでな」
打算ありきでの来訪はヌラリヒョンらしかった。
「時折手を繋いでくれたのは気を遣って? それとも戦略的行動?」
「単に触れたかっただけさ。ただ其方に拒否されてはかなわぬし、周囲の目もあった。手が丁度いい塩梅だったのだよ」
「触りたいって、本当はどこが良かったの?」
立て続けに無遠慮な質問をくらい続けたヌラリヒョンはとうとう黙った。
「決めたとはいえなかなか……心を乱されるなあ。だが今だけは特別だ」
大きく表情が崩れることのないヌラリヒョンも、今は頬がほんのりと赤味が差していた。
独神よりはずっと薄い色ではあるが、乱れる心は同じだった。
「最初は頭を撫でてやりたかった。愛らしい幼さが爺には可愛くてな。其方が儂に触れられることに抵抗がなくなり、自分から手を取るようにもなった」
ヌラリヒョンだから許したのか、英傑だから許したのか。
独神ははっきりと言うことが出来ない。
心の距離感は自分でも明確に把握できないものだ。
「もう役目が嫌だと言った時があったろう」
「いっぱいいっぱいだった時ね。懐かしいやら恥ずかしいやらだよ」
「初めて組み敷きたいと思った」
「………………そこで?」
初めて英傑を昇天させた時のことだ。
危険な任務であったが本人が任せろと強く望み、それを信じたから行かせた。
そして、二度と帰ってこなかった。
独神は自分の思い上がりを責めに責めて、だが立場上ふさぎ込む事も出来ずに暗澹とした感情を必死に押さえていた。
英傑達は毎日独神を慰めた。その中にヌラリヒョンもいた。
「強引に身体を開けば泣き叫ぶのではないかという興味本位だ。其方を穢せば儂の違和感も晴れるのではと衝動の高まりも同時に感じた」
「黙って抱きしめてくれていた中で、そんな怖いこと考えてたの?」
「知らなければ良かっただろう?」
己の全てを言う必要はない、知る必要はない。
同種族であろうと、同じ個が存在しない以上判り合えないものだ。
円満に”異物”と過ごす為には、互いに見せすぎないことが必須条件である。
ヌラリヒョンはそうやって今までアクの強い妖たちとやってきた。
「もっと早く知りたかった」
培ってきた交流の知恵を独神は否定した。
「寧ろ手を出さないから自惚れられずに不安だったよ。と言っても、抱きしめられるだけでも良いかなって、与えられるだけの日々に胡坐かいてた」
「そんなことだと思って儂は手を出すまいと律していた」
「我慢してたの?」
「柔らかい身体を無防備に押しつけて。儂とて気になるぞ」
盛大なネタばらしに独神は安心して笑った。
「怖いぐらい対価を要求してこないんだもん。どこまですれば手を出すのかってちょっと試してるところあったかな」
「其方も人が悪い」
「お互い様でしょ」
互いに一手ずつ進めて、出方をじっと観察していた
一寸先の闇の中を探り合っていた。
失敗は許されなかった。
「大事にされてる実感はあった。でもあなたの口から本音を聞きたいって思ってた。教えてと頼んで、もしも断られたり誤魔化されたら、多分私、離れてた。好きでいることが怖くならないように、我慢してた」
何千人と見てきた独神は、生物たちの関係は移ろいやすいものだと判っていた。
昨日の友は今日の敵であるように、極限状態に陥った者たちが本性を丸だしで噛みつき合う。
環境の変化でひとは変わる。
心地よい関係を続けたいのならば、互いをとりまく環境に手を加えてはいけないのだ。
相手の心に触れたい欲が、相手を壊すことは到底ありうる。
だからヌラリヒョンに対しては慎重に、変化を与えないように振舞った。
「考えないことを心掛けてた。何事も過ぎれば毒だから。好きになりすぎない。興味を持ち過ぎない。関わりすぎない。適度に適当に」
自制するうちにほどよい所に収まる予定だったが、そう上手くはいかないもので今がある。
「……言ってもらえて安心した」
不安や疑問が埋め立てられ、充足感に満ちていた。
「言うと言ったが、それらが真実とは限らぬぞ」
水を差されても独神は変わらなかった。
「信じるよ。だから、信じて欲しいように言って。なんでも信じるから」
これにはヌラリヒョンも両手を上げた。
「ただの戯れさ。なんでもと言うなら、もっと脚色しておけば良かったかな」
「どうぞ。お好きに」
騙そうとすると意外と思いつかないものだ。
双方共に満足していた。いるだけで幸福を噛みしめることが出来た。
だが、時間は二人を待たない。
「……本殿、そろそろ戻らないとだね」
「其方を心配しておるだろう。既に探しだしているやもしれぬな」
「…………戻らなきゃ駄目かな」
二人は本殿に背を向けた。
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