全英傑小話-天将【桜代+降臨】

スサノヲ    

「もう聞いてよ~。誰にも起こされずに早起き出来て凄いと喜んでたら、それ、夢だったの!
 しかも袴逆に着てたし、めちゃくちゃ怒られちゃって!
 でも町の話し合いは私に変装したチヨメが行って滞りなく終わったんだって。なんとかなっちゃうなら私が怒られなくても良くない?」

 朝に弱いあるじ)がオレ様みたいな戯言を漏らした。親近感を覚えたオレ様は大声で笑い飛ばしてやった。

「怒られ損じゃねぇか! 最初からガマヤロウにでも行かせときゃ良かったのによ」
「だよね! …………っ!! あ、いや違うの。違います。ごめんなさい。寝坊した私が悪いの。ごめん。ジライヤそんな顔で私を責めないでチヨメもごめんなさい!!!」

 ヘコヘコ頭を下げるあるじ)を笑いながら、オレ様は後ろめたさに苛まれた。
 もしも、クシナダヒメと会う前に、あるじ)に会っていたら。もっと……。


 オレ様は昔、クシナダヒメと結婚の約束をした。
 ただの口約束だったが、あの時クシナダヒメは「はい」と力強く返事をした。
 あの日以来、約束についてはお互いに口にしていないが、同じ将来を見据えているはずだ。
 だからオレ様は誰にも惹かれてはいけないはずだったのに。

 あるじ)がふいにオレ様の心に入り込んできた。
 少しずるくてだらしない、だが決めるときには決めるあるじ)に気がつけば惹かれていた。
 一緒にいて居心地が良い。
 いくらでも話していられるし、いくらでも黙っていられた。
 あるじ)は神族が持っている先入観もなく、人や妖族が持つ畏れもなく、ただまっすぐにオレ様を見てくれる。
 それがきっと、オレ様には心地良かったのだろう。
 クシナダヒメと同じだけの安心感をあるじ)に抱いていた。

 二心は良くない。
 鬼ヤロウなら、そんなの関係ないと端から寝ていくだろうが、オレ様は違う。
 ちやほやされるのは好きだが、一線を超えるのは抵抗があった。
 なにより、クシナダヒメを泣かしたくない。

 オレ様はこの先、あるじ)に自分の気持ちを伝えることはない。クシナダヒメにも当然言わない。
 好いた女に「二番目」なんて不名誉な肩書をつけるわけにはいかない。



*



 婚約者に限りなく近い彼女のいるひとなんて、誰が好きになるだろう。
 普通相手がいるなら、良心が待ったをかけてはなから眼中に入らないはずだ。
 恋愛をしなければ死ぬ特異体質、相手の女に恨みを抱いている、等、特殊な場合以外ありえないと思っていた。

 ────本気で、思ってたんだけどな。

 私がスサノヲを好きになったきっかけは、実のところよく分からない。
 彼の悪ふざけばかりのガキ大将な部分は、正直あまり好きではなかった。
 八傑としての信頼は当然あったけれど、恋愛感情なんて微塵も抱いていなかったはずだ。
 だって、私をアマテラスの説教除けに使う失礼な奴だったんだから。

あるじ)、悪ぃな!」

 何度庇ってあげても反省した素振りはなくて、

「ハイハイ」

 と、いつも適当に受け流してた。
 彼が恐れる太陽神アマテラスも、さすがに主である私に言われると愚弟を折檻出来ない。
 スサノヲは説教から逃げるために私を使う頻度が高くなった。
 わざと私の近くに来て、怒髪天アマテラスをいなした。
 利用されてると判っていても、にこにこと頼られると弱くて、お望み通りアマテラスを鎮めてあげた。
 手のかかる弟と思っていた。

 それがいつの間にか、私はスサノヲに頼られることを望むようになり、唐突に自分の心に芽生えた感情の名に気づいた。
 だが、まだ引き返せる。
 私が隠し通せば良いのだ。想いを告げることも当然しない。


 ────討伐帰り。
 あの日は雨が降っていて、傘は一つしかなかった。
 私たちは肩を寄せ合いながらゆっくりと歩いていた。
 雨の音が周りの世界を遮り、まるで私たち二人だけの空間が作られたかのようだった。
 水を吸って重くなった袴を両手で持ち上げながら、私はスサノヲの存在を強く意識していた。
 傘を持つ腕が時折私の肩に触れるたび、心臓が大きく跳ねた。
 傘の柄に添えられている大きな手に目が引き寄せられる。
 触れたら、どんな感触なのだろう。
 邪な思いが頭をよぎり、慌てて打ち消した。
 大切な仲間をおもうと罪悪感が胸を締め付けた。

 スサノヲは黙々と歩いていたが、時折チラリと私の方を見ていた。
 その視線に気づくたび、頬が熱くなるのを感じた。

「大丈夫か? 寒くないか?」

 突然の問いかけに、私は少し跳ね上がってしまった。

「え? ああ、うん。大丈夫」

 動揺を隠す為に、慌てて咳払いをした。
 スサノヲは少し笑みを浮かべ、さらに私の方に寄り添ってきた。
 傘から漏れる雨を遮るためだと判っていても、その優しさに息をするのも忘れそうになった。

 本殿についてもスサノヲは「あるじ)を濡らして帰ったらアネキに殺される」と言って、わざわざ私の部屋の前まで傘を差し続けてくれた。
 部屋に着いてすぐお礼を言った。

「傘、ありがとう。意外と優しいね」

 軽く言うつもりだったが、声には思わぬ感情が滲んでいたらしい。
 スサノヲは一瞬、真剣な眼差しで私を見つめた。
 その目に吸い込まれそうになる。
 でもすぐにスサノヲは目を逸らした。

「……おう」

 そっけない返事。でも、その声には微かな震えがあった。
 ────その瞬間、私は悟ってしまった。

「ほら、風邪ひくよ。私は大丈夫だから急いで帰りな」

 これ以上一緒にいてはいけない。

「あ、ああ。そうだな」

 スサノヲはそう言って、ゆっくりと背を向けた。
 部屋に入って後ろ手で襖を閉めた私は、強く胸を押さえた。

「ごめんね、クシナダヒメ。ごめん。ごめん」

 何度も謝罪の言葉を呟いた。

 

 数週間が経った。あの日からずっと、スサノヲとは意図的に距離を置いた。
 一月、二月と時が過ぎる中で、独神と八傑としての付き合いのみに留めるようにした。
 姉二人に追われて私を頼ってきても、他の英傑に振って私自身は何も手を出さないようにした。

 ────彼女をこれ以上裏切らないために。

 スサノヲも察したのか、余計な騒ぎ立てをせず、私への干渉を控えるようになった。
 私たちは上手くやれている。そう、思っていた。油断、していた。

あるじ)様、少しお時間よろしいでしょうか? お話がしたくて。二人きりで、ですよ」
 
 嫌な予感がしていたが、やはりスサノヲのことだった。
 彼女は全て知っていたのだ。
 私は膝を地面につけ、ひたすらに頭を下げた。
 やましい行為は一切ないと必死に訴えた。
 実際、私たちは何もない。嘘ではない。けれど、信じてもらえるかは判らない。
 みっともなく謝る私に、クシナダヒメはしゃがんで、背を撫でた。

「疑ってなどいませんわ。顔を上げてください」

 クシナダヒメの声は静かだった。顔を上げると、彼女の瞳が僅かに揺れているのが見えた。唇を噛みしめ、何かを言おうとして、また飲み込む。
 彼女は一瞬まぶたを閉じ、深呼吸をした。再び目を開けた時、その眼差しは静かな決意に満ちていた。

「私が、スサノヲ様の心を掴みきれていないことが悪いのです」

 その言葉を口にしながら、クシナダヒメの指先が私の肩に僅かに力を込めた。
 それでも、彼女は静かに続けた。声の調子は変わらないが、瞳の奥に何かが揺れている。

「だからもし、スサノヲ様があるじ)様を選んだ暁には、潔く身を引きます」

 彼女は微笑んだ。その笑顔は優しく、美しかったが、目尻に浮かんだ涙がきらりと光った。
 私は彼女に誓った。
 もう二度と、スサノヲと二人にはならない。八傑を超えた付き合いはしないと。
 宣言通り、徹底してスサノヲを避けた。



 ────悪霊を全て屠って、五年の歳月が流れた。
 穏やかな日々を送る中、隠居した私の元に一通の招待状が届いた。
 季節は春から夏へと移ろう頃だった。
 あの二人が結婚するとのことだ。
 胸の奥で何かが軋むのを感じながら、私は主として参列した。

 式場に足を踏み入れた瞬間、華やかな装飾と祝福の空気が私を包み込んだ。
 そこで、彼らの姿を目にした。
 胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
 深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせようとする。

 スサノヲは凛々しく、いつもの粗暴な雰囲気はなく、晴れやかな笑顔を浮かべている。
 クシナダヒメは純白の衣装を身に纏い、美しく輝いていた。
 二人の目が合うたびに、そこには深い愛情が宿っているのが見て取れた。
 私は微笑みを取り繕い、祝福の言葉を述べた。
 声が震えないよう、必死に力を込めて。

「おめでとうございます。お二人の幸せを心からお祈りします」

 言葉を発する私の声は、かすかにふるえていた。それに気づかれないよう、指先に力を入れて感情を抑え込んだ。
 スサノヲは照れくさそうに頭を掻き、クシナダヒメは優しく微笑んだ。

 その時、私の心の奥底で何かが砕け散る音がした。
 式が進むにつれ、私が少しずつ崩れていくのを感じた。
 祝福する人々の中で、静かに心を殺していく。
 誓いの言葉を交わす二人を見つめながら、私はぼそぼそと呟いた。

「これでいいんだ。二人は幸せなんだから。おめでとう。おめでとう」

 祝福の言葉が虚しく響いた。
 式を終え、帰路につく足取りは重かった。
 家に辿り着いた時には、もう限界だった。
 扉を閉めた瞬間、堰を切ったように涙が溢れ出した。
 私は床に崩れ落ち、声を押し殺して泣いた。
 胸が張り裂けそうだった。
 息もできないほどに。
 あれから数年経っているのに、まだ未練がある自分が情けなくてみっともない。
 涙が落ち着いた後も、私の心は空っぽのままだった。
 立ち上がる気力もなく、ただ床に横たわったまま天井を見つめていた。
 閉じた瞼の裏には、二人の幸せそうな姿が焼き付いて離れなかった。

 ────どうして、私の方が先に会っていれば。

 ちがうちがう。
 こんなことを考えても仕方がない。先に会っていても、私に好意を向けるとは限らない。
 新婚夫婦になんてことを考えるんだ。
 後悔と自責の念が押し寄せては引いていく。
 そのたびに、心が少しずつ削られていくような痛みを感じた。

 数日が経っただろうか。
 部屋の隅にあったのは、式の日に受け取ったお返しの品だった。
 開ける気にもなれず、ただそこに置いてあった小さな包み。
 手を伸ばそうとして、また躊躇う。
 開ければ、全てが現実のものになる。
 最後の希望の光さえ、消えてしまうような気がした。
 しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。
 深呼吸を繰り返し、震える手でゆっくりとお返しの品に手を伸ばした。
 包みの中には、手紙が入っていた。

「来てくれてありがとうございました」

 どちらが書いたのか分からない文字。
 それを見た瞬間、また感情が溢れ出した。
 見ていられなくなり、手紙をめちゃくちゃに破いた。
 畳の上に紙吹雪が積もる。
 冷静になった私は破いた手紙をかき集め、包みでまとめようとすると、もう一通、手紙が入っていることに気づいた。
 もう読まない方が良い。一緒に燃やしてしまおう。どうせ見てもいいことがない。
 しかしそんな心とは裏腹に、私は手紙を手に取っていた。

あるじ)へ。

 オレ様は臆病だった。あるじ)の気持ちに気づいていながら、何も言えずにいた。
 クシナダヒメとの約束を守るべきだと、そっちを優先した。
 本当に申し訳なかった。

 結婚も、本当は中止にしようかと思っていた。
 オレ様だけでなく、クシナダヒメもあるじ)のことがずっと引っかかっていたからだ。
 オレ様たち二人は、膝を突き合わせて、初めてあるじ)について話し合った。
 当時何があったか、何を思ったのか。包み隠さず話した。

 長い議論の末、オレ様たちは結論を出した。
 あるじ)は、二人にとって大切な存在だ。だからこそ、この思いを伝えずにはいられない。
 あるじ)がもし、よければ、また会ってくれないか。
 三人で、新たな関係を築いていけないだろうか。

 スサノヲ」

 随分身勝手な言い分だ。
 だが腹は立たなかった。
 私も、意識しすぎた結果二人をきちんと見られていなかった。
 罪悪感ばかり募らせて、他の英傑のように向き合うことはなかった。
 表面上だけの主だった。
 けれど二人は、そんな私を、主として慕ってくれていた。

 いい機会かもしれない。
 今度、二人とちゃんと話そう。
 そして、砂時計の底に沈んだ、叶わぬ恋に終止符をうつ。

 私は手紙を畳み、「よしっ」と微笑んだ。

オーディン    

 オーディンが右手を差し出し、厳かな声で言葉を紡いだ。

「アスガルズ界と八百万界。場所は違えど同じ統治者としてやっていこう」

 独神は一瞬戸惑いを見せ、沈黙の後、ゆっくりとその手を取った。

「ええ。お互いに励んでいきましょう」

 この最後の挨拶を、独神は今なお悔やんでいた。あまりに素っ気ない別れだったと。
 他の英傑たちは、普段身体的接触を避ける者でさえ、その日ばかりは抱擁を交わした。
 道は異なれど心は繋がっていると、互いへの想いを言葉にした。
 しかし、最も重要な人物に対して、心に秘めた言葉の一割も口にできなかった。

 独神は今も尚、後悔しつづけている。


*


「はぁ。面倒だな」

 陳情書を置いて、独神は溜息をついた。

「ちょっともう! 真面目にやってよ」

 英傑の一人が独神を諭すように声を上げた。独神は再度、都の目安箱に投函された陳情書に目を通した。
 長机にそれを置き、横へシュッと滑らせるとくるくると回転し、英傑の前に到達した。

「ヨロシク」
「主! 俺向きの依頼か!?」
「任せるよ。じゃ」

 独神は誤解している部下を置き去りにし、屯所を後にしようとした。
 しかし、別の英傑が足で戸口を塞ぐように立ちはだかった。

「主。今日何度目の休憩でしょうか? ん?」
「煙草。切れた」
「主!! 食事休憩に煙草休憩、もはや休憩しかしていないでしょうが!」
「きびしー」

 独神は笑いながら走って逃げた。
 かつて熱望した平和が訪れたにもかかわらず、今の独神には生き甲斐が感じられない。
 仕事への情熱も失せ、日々の空虚さだけが独神を包み込んでいた。

 先程の陳情書の内容は、些細な個人的要望に過ぎなかった。
 以前なら切実な願いが多かったのに、今では独神が動く必要もない小さな要望ばかり。
 これもまた、独神の虚無感を深める一因となっていた。

 空しくなると、いつも煙草を吸いに行った。
 部屋で吸うと誰かしらが来るので、いつも人気のない物陰で煙草を吸う。
 本殿で英傑を指揮している時は煙草なんて吸わなかった。
 平和になってから興味本位で始めた。
 商人に会った時に偶然見かけた、ぎやまんきせるが目を惹いて、帰り際には購入していた。
 今ではきせるの良し悪しも判るようになったし、贔屓の店もある。
 悪霊がいなくなって、興味を持ったのはこれくらいだ。

 そろそろ英傑が鬼の形相でやってくるだろう。
 だが独神は煙草をなかなか片付けない。
 庭の雑草をぼうっと眺めている。綺麗でもなんでもないが、時間は潰せる。
 風に揺られ、僅かにゆらりゆらりとする葉が、ぴたりと止まった。
 雑草を中心に三尺ほどの真っ黒な穴が空く。下から地面を掘ったわけではない。空間を切り取っている。
 独神は座っていた縁側に立ち上がり、防御の構えで待った。
 ────何かが来る。

「……おおっ。成功だ」

 穴から這い上がって来たのはひとだった。
 それも知人。数年前に別れた。
 今も夢に何度も現れるあのひと。

「お、お、お、……お!?」

 オーディン。
 あの日の姿のまま、何も変わっていない。
 アスガルズ界にいるはずなのに。
 独神は驚きと喜びで名前も上手く呼べない。
 そんな独神を、穴からよじ登ったオーディンは抱きしめた。

「ドクシン殿! この感触、やはり本物なのだな!」

 がっしりとした体躯に抱かれて、感情の濁流に流される。
 独神もまた、この感触が本物なのだろうかと抱きしめて確かめたい。

(……いけない! 煙草臭い、絶対。臭いと思われる。そんなの無理!)

 嫌われると思ってからは早かった。即座に押し返す。
 しかしいくら押してもびくともしない。

「悪いがそう易々とは離せないな。なにせ、ようやくドクシン殿に触れることが叶ったのだからな」

 独神も同じだった。あの日は手を握り合うことしか出来なかった。
 本当は足りなかった。それ以上を求めていた。
 独神は心のままにゆっくりと、手を背中へ回した。

「……なあ。ドクシン殿」

 オーディンが独神の頬に手をやり、自分の方へ向けた。
 何をしようとしているのか判った独神はそっと覚悟を決めた。

「…………む。ドクシン殿、煙草を吸うようになったのか」

 独神は容赦なく、全身の力を込めて押し返した。
 まるで悪霊を倒すかのような激しさに、オーディンの堂々たる体躯が後ろに大きく揺らぐ。

「これは。別に!」

 独神は慌てて言い訳しようとしたが、言葉が出てこない。

(こんなことなら煙草なんて吸わなければ良かった!!!)

 今更後悔しても遅いと、独神は内心で嘆いた。

「いや。そんなことは些細なことか」

 朗らかに笑ったオーディンは独神の唇を奪った。

「最初からこうしていれば良かったのだな。遅くなってしまった」

 時が巻き戻るかのように、あの別れの日の記憶が蘇る。
 オーディンだけに言うつもりだった。

「これからも会ってくれませんか」 

 自分の本気を知らせるために、唇の一つでも重ねてやるんだと思っていた。
 結局あの日は出来なかったが、それが今、オーディンによって全て叶った。
 長年堆積した後悔が春の雪のように溶けていく。
 独神と、そしてオーディンはようやく過去の呪縛から解き放たれた。

 二人は縁側に座って近況を話した。

「八百万界とアスガルズ界を一瞬で繋ぐ魔術!? オーディン凄い!!」
「いや。ドクシン殿が以前行ったことをヒントにしただけだ。術の完成に少し時間がかかってしまったがな」

 そう謙遜されると自分の怠慢を突き付けられているような気がした。
 オーディンとは違い、独神は何も成していない。

「私じゃ無理だったな……。オーディンは凄いよ」
「出来ないと決めつけている間は出来ない。……そうではなかったのか?」

 独神はオーディンの言葉が嫌味に聞こえた。以前自分が言ったことを逆に言われているのだと気づく。

「もし出来たらどうするの。悔しくない?」
「やってみてから言ってはどうだ」

 高くなった鼻柱をへし折ってやりたい。
 独神は呼吸を整え、己に眠る力を練り上げる。
 一血卍傑も、それに準ずる術も久しぶりである。
 血が巡る。
 大きくなる高揚感を抑えて、術を飴細工のように練り込んでいく。

 本来一定の距離を置いて干渉し合わない界と界を結びつけるのは、山と海を合体させるようなものだ。
 近いけれど遠い。遠いけれど誓。
 それを無理やりに繋いでいく。橋をかけていく。
 つり橋が良い。不安定なものに、しっかりとした橋を作ろうとすると、土台が崩れてしまうから。
 不安定なものだから、不安定なままでいい。
 独神の中で、想像が鮮明になっていく。

 独神が扉のノブを握るように宙を掴み、押し込むと、そこには見慣れない景色が広がっていた。

「……さすが。儂が認めたひとだ。見事アスガルズ界につないだ」
「うそ!? これ!?」
「間違いない。この空気はまさしく我が世界だ」

 オーディンの住む世界、アスガルズ界。
 初めて見る景色だった。
 独神は思わず目頭を熱くした。この光景は、オーディンという人物そのものだった。
 荘厳で、神秘的で、そして温かい。
 独神は深呼吸をした。オーディンの匂いがするような気がした。

「……悔しいな」
「やっぱり、悔しかった?」
「ああ。半分くらいだが」

 オーディンは独神を抱き上げた。

「嬉しさが勝っている。これでお互いにいつでも会える」

 独神の顔がみるみるうちに赤くなる。

「お、オーディンさ、ちょっと距離感おかしくない?」
「む。……少しシュミレーションしすぎたのかもしれぬな。ドクシン殿に会ったらどうするか、そればかり考えていた」
「これがしたかったこと?」
「これだけではない」

 なにをと想像する。
 きっと自分と同じ想像ではないかと思う。
 嫌そう、ではないようだな。
 何も言えなかった。

「ドクシン殿」
「今は忙しいのか」
「全然!」
「そうなのか」
「そうじゃないけど、まあこれくらいなら平気」

 下手なことを言うと、普段ろくに働いてないことを知られてしまう。
 オーディンに堕落した自分を見せたくない。
 独神が冷汗をかいている中、オーディンが静かに口を開いた。

「ドクシン殿、お互いに飾るのはやめないか」

 オーディンの言葉に、独神の胸はどきりと跳ねあがった。

「儂は、ドクシン殿と離れて生活に張りがなくてな。統治者としての使命を投げ出したわけではないが、身が入らなかった」

 独神は静かに聞いていた。オーディンの言葉は、自分の心の内を言い当てているようで、胸が締め付けられる思いだった。

「それがドクシン殿に会おうと決めてからは、毎日が充実していた。儂にはドクシン殿が必要だ」

 オーディンは独神の目をまっすぐ見つめた。
 独神は一瞬言葉に詰まったが、勇気を振り絞って話し始めた。

「私も...同じだよ。平和になって、やるべきことを見失っていた。毎日をどう消化するか、そればかり考えていた」

 独神は恥ずかしそうに続けた。

「煙草を始めたのも、ただ暇だったから。もう私の気持ちが熱くなることはないと思っていた」

 オーディンは独神の手を優しく握った。独神はその温もりに心が震えるのを感じた。

「でも今は」

 独神は微笑んだ。

「オーディン、会えて本当に嬉しい」

 オーディンも笑顔を返した。

「儂も同じだ。ドクシン殿、これからはもっと一緒に過ごす時間を作ろう。界の統治者として手を取り合い、人生も共に歩んでいけないだろうか」

 独神は深く頷いた。

「うん。もちろんだよ」

 オーディンがまた八百万界に来る。
 だとしたら、もっとより良いものにしなければならない。
 オーディンをがっかりさせないように。驚かせるために。
 急にやる気が出てきた。この感覚は懐かしく、そして新鮮だった。
 独神は微笑んだ。

 明日からの八百万界は、きっと今までとは違うものになるだろう。

(煙草……。しばらく出番はないな)

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