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フクロク
「ずっと一緒だよ」
よくある睦言だと思ってた。
だから柄にもなくはしゃいで喜んだ。
それが間違いだったなんて、あの時は思いもしなかった。
*
「主様ぁ……」
白装束に身を包んだ集団がすすり泣いていた。
娘たちだけではなく、恰幅の良い男までもがおいおいと声をあげて泣いている。
集団の中心には棺が一つ。大量の白い花の中に埋もれていた。
「あの人は沢山のものを残してくれた。肉体は滅びたが彼女の軌跡はいつまでも残っていく」
坊主達の読経が始まると、その全員が両手を合わせた。
経を呟く者、とびとびで呟く者、堅く目を閉じて一心に祈る者。
誰もが弔いに集中し、欠伸一つ出てこない。
葬儀が終わると、方々で死者の思い出が語られた。殆どの参列者たちは夜が更けても思い出話が尽きずに帰ろうとしない。
そんな中一人の男が気配を消して足早に帰宅した。
玄関の戸を開けるが中は暗い。
「ただいま」
フクロクは笑みを湛えて家の奥へ言った。
「うっっっっわっ」
嫌そうな声がして、奥から髪の長い女がやってきた。
女には足がなかった。
「そんな風に言わないでよ。主」
フクロクは行燈に火を入れながら座敷へと向かう。
女はすすすと滑るようについていく。
「私の葬儀に出ておきながら? 頭おかしいんじゃないの?」
「主の口の悪さには困ったものだね」
「誰のせいよ」
座布団に腰を下ろすと、女は憤慨しながら向き合った。
「おれは言ったでしょ。ずっと一緒だって」
「こんな形でなんて思っても無かったけど?」
女は深い溜息をついた。
「で。どうだった。四度目の私の葬儀は」
「良いお式だったよ。二度目よりはしんみりしてた」
「はは。しかし回数が多すぎない?」
「しかたがないよ。送り出す形はそれぞれ違うんだ。今日は人族の形式だったね」
「引き出物もらうやつだね。何貰ったの?」
「それ、結婚式」
女は照れ隠しに笑った。
「似たようなものじゃん」
「ふうん。今のおれたちは、確かに夫婦みたいだから間違ってはいないかもね」
嬉しがるフクロクとは対照的に女は目に見えて機嫌が悪くなった。
「……言葉を失うってこのことね」
腕を組んだまま黙り込むと、フクロクは慌ててご機嫌を取り始めた。
「今日はね、前よりも参列者が多かったよ。さすが主は人望がある」
「……」
「ほら前、ふさぎ込んでて葬儀にも来ないやつがいるって言っただろ。今日は来てたよ。少し痩せてたけれど足取りはしっかりしていたし、出された食事も食べていたから、きっと前を向き始めたんだと思う」
「……それは、良かった」
安堵する女に、フクロクは尻尾を千切れんばかりに振る犬のように嬉しがった。
「黄泉を探し回ってる英傑がいるみたいだよ。他人の会話だったから誰かまでは判らないけれどね」
「それとなく言ってよ。私はいないって」
「おれが言ったところでやめはしないよ。こういうのは自分が納得しないと」
女は目を見開いた。どの口が言うのかと怒りを露わにした。
しかし、怒ったところで何になるとすぐさま平静を取り戻す。
「……やっぱさ、つまんないよ」
「おれがいるよ」
「フクロクだけでしょ」
「十分だと思うけれど」
「今日みたいに外出すれば、私はその間一人なんだからね。かといって、買い物出来るわけでも裁縫出来るわけでもない。ただ部屋の中で立ってるだけ。いつまでも立ち続けて。…………頭おかしくなるのも判るでしょ」
「じゃあもうどこにも行かないよ」
「そういうわけにはいかないでしょ。わざわざ怪しい行動とってどうすんの。……まあいっそ? 誰かに勘付かれてしまえば? 私もさっさと黄泉へ行くなり、消滅するなり出来るんだけど」
「させないよ」
「……これだもんね」
独神は病死だった。
頭痛がすると言って夕食後すぐに蒲団に入ってそのまま帰らぬ人となった。
体調不良だからと英傑達は気をきかせて寝たままにさせたことが発見を遅らせた。
医療や祈祷、禁呪など、ありとあらゆる方法を用いても、独神は二度と目を覚まさなかった。
英傑達が絶望する中、死霊を操れるフクロクは遺体の傍で佇んでいた独神の魂を懐に隠し、ずっと使っていなかった自宅へと魂を封印してしまった。
死した独神は食事や睡眠を必要とせず、変わり映えのない自宅を昼夜問わずふわふわと歩き回ることしかできない。
本来ならば黄泉へ行き、数年後には新たな肉体を得て地上を歩く事が出来たのだが、封印された身では叶わない。
「毎日泣いてくれてるみんなも、私の死を受け入れて前に進もうとしてるよ」
「そうだね」
「フクロクは?」
「おれの主が死んだことなんて当然受け入れているよ。おかげでおれと二人になれたじゃないか」
「人の魂をなんだと思ってるの」
「悪いね。何言われても、主の声が聞けて幸せとしか思えないよ」
「重症ね」
フクロクはずっとこの調子である。
女がどれだけ説得しようと自ら解放することはないだろう。
──────黄泉へ行けるのは、いつの日か。
「それより主、今日はいい酒と団子を貰ったんだ。一緒に食べよう」
「ただのお供えでしょ。もー勘弁してよ」
「ほら。あーん、てしてあげるから」
ロクロクビ
就寝していた独神は、自分の身体が重いことに気づいた。
金縛りか。敵襲か。
呼吸は乱さず、眼球だけをゆっくりと下へ動かす。
「ふふ。あたしといられて嬉しいでしょ?」
独神は強張っていた身体を緩ませ、半身を起こした。
敵襲ではなかった安堵を隠すように、わざと大袈裟に呆れてみせた。
「こんな夜更けにどうしたの。ロクロクビ」
生首は独神の腹の上でけらけらと笑う。
「用がなかったら来ては駄目……ではないでしょ。いつでも来てって言ったのはそっちなんだから」
どの英傑にも言っている常套句だ。
ただし、いつでもというのは”困った時は”なのだが。
夜間の自分の部屋でくらい一人にしてほしいのに、迷惑な英傑である。
英傑に受ける独神の皮を被り直し、独神はにこりと笑った。
「そうだね。こんな可愛い子といられるなんて幸運だよ」
「じゃあ、その感謝を形にしなよ。……判るよね?」
今日はえらく強気だな────
不審に思いながらも独神はのらりくらりと受け流した。
日頃の感謝を述べて、感謝の形とやらから徹底的に逃げた。
ふざけてばかりの独神に苛立ったロクロクビは、あげく「バカ主」と言い放って出ていった。
一人に戻った独神は、ようやく緊張から解放された。
同じ屋根の下に住んでいるとはいえ節度は守ってもらいたい。
うんざりだ。
*
「主さん!」
太陽がギラギラと界に降り注ぐ中、うっすらと汗を滲ませたロクロクビが独神に話しかけた。
「昨日の夜、私の首がお邪魔しなかった?」
ロクロクビは少し緊張した様子で独神に尋ねた。彼女の瞳には一抹の不安が浮かんでいた。
「首? うーん……いないでしょ。昨日は私一人ですぐ寝たよ」
独神は慌てて誤魔化した。他の英傑の目もある。夜間に英傑を受け入れたなどと知られては、また理由をつけて英傑がやってきて休む間がなくなってしまう。それは避けたい。
「本当に、私の首がおじゃましてない?」
相当不安なのか再度確認してきたが、きっぱりと否定した。
「全然してないよ。心配しないで」
「そっか……」
ロクロクビは口もとを緩ませた。
「昨日主さんの夢を見たんだ。だからもしかしたらって思ったの。迷惑かけてないなら良かった」
嬉しそうに駆けていくロクロクビを独神は使い回しの笑顔で見送った。
「嘘ばっかりね」
その日の晩もロクロクビは首だけで独神の部屋にやってきた。
昼の記憶を有している首は容赦なく詰る。
「夜のあたしじゃ不都合でもあるわけ?」
「ないよ。ただ、昼のあなたを不安がらせることもないでしょ」
独神は必死に弁解しようとしたが、ロクロクビの視線は冷たかった。
「どうかなあ。そう言って、他の英傑に気づかれたくないからじゃないの」
「そんなことないよ」
その通りであるが、知らなくて良いことである。
昼にはちゃんと理想通りの独神を演じているのだ。これ以上個人の領域に入ってこないでもらいたい。
しかし、ロクロクビは毎晩飽きもせず独神の前に現れた。
最初は独神を詰ってばかりだったが、ある程度気が済んだのか、次第に他愛のない雑談が多くなった。
最初の頃はいつもの独神らしく気を遣って言葉を返していたが、毎晩の訪問のしつこさに辟易して、投げやりな返答を投げるようになった。
「助けられておきながら、自分たちの無能さがバレるのが嫌だから独神一行の力を借りたことは秘密にしてくれ。って卑怯でしょ。二度と助けるもんか」
「なにそれ。ムカつく。良いじゃん。次から助けなくて」
「……独神は優しいから、次も助けるけどね」
「キャハハ。主さんが一番馬鹿じゃん!」
他人に好かれやすい独神はどうしても優しくされることが多く、良い面だけを見せようとする者が多い。ありがたいことなのだろうが、いつしか独神はそれらの優しさを紛い物ように感じ、英傑達と心の距離が開いていく一方だった。
だが夜間のロクロクビは独神らしからぬ発言に笑い、平気でこき下ろしてくる。
新鮮だった。
いつの間にか、毎晩首が来るのを待つようになっていた。
「そうそう今日言われたよ。遠征ばかりで私となかなか会えないって。頼りにしてって言うからお願いしてたんだけど、じゃあ何が正解だったの」
「ふふ、いい気味。毎晩会ってるのはあたしくらいよね」
優越感たっぷりに笑うロクロクビに独神はそっと言った。
「昼は会いに来ないの?」
楽しそうにしていたロクロクビが急に静かになった。
真顔になって言う。
「行けるわけないでしょ。他の英傑侍らせてるくせに」
「侍らせては」
「帰る」
首はしゅるしゅると収縮して部屋から出ていった。
追いかける間も無く、代わりに溜息をつき、やらかしたなと反省した。
昼も会えればもっと話せるのにと思っただけだったのに。
「夜の私が最近毎日お邪魔してるってほんと?」
夜のロクロクビが昼の自分に気づかせたらしく、次の日に慌てた様子で詰め寄られてしまった。
独神は素直に認めた。
「うん。良い話し相手だよ」
「変な事言ってない? 主さんに文句とか? ねえ?」
「そんなことないよ」
本当のこと言うべきかと一瞬返答に悩んだのが悪かった。
ロクロクビに見抜かれてしまった。
「気を遣わないで。私、主さんに嘘吐かれると悲しいよ」
「……ごめん。判ったよ」
全て話した。
昼に会いに来たらと言って怒らせたと説明すると、ロクロクビは何度も頷いた。
胸の前で両手の指を合わせながら、気まずそうに言った。
「……うん。思ってるのは本当だよ。主さんっていつも他の子たちと話してて楽しそうだから。こんな私だけど、沢山悪霊と戦って役に立てば主さんといられるでしょ。私、昔よりずっと強くなったよ。頑張ったの。……頑張ってるけど、他の子たちもどんどん強くなっていって、私は皆についていくのがやっとなの。……こんな私じゃ、主さんの横には行けないよ」
「そ」
「そんなことないって。それ。みんなに言ってるの、私、知ってるんだよ?」
瞳が一瞬きらりと輝いた。
よく見ようとするとロクロクビは部屋を飛び出してしまった。
独神は追うかを悩んで手で顔を覆った。
「……駄目だ。全部裏目に出る。どうすりゃいいのよ」
思った事を言うのは悪意がないからだ。
嘘を吐くのも悪意はない。その方が相手を傷つけずに済むとの判断だ。
なのに繰り返しロクロクビを傷付けている。
独神は頭を抱えた。
独神の自分は、人に好かれることは簡単なはずなのに。
「(明日はもう来ないかもしれないな)」
一方のロクロクビは上を向いて、落ちそうになる涙を堪えていた。
自らに立てた誓いのため、泣くわけにはいかなかった。
独神の為に戦う彼女は、未だに戦いを恐れ、痛みに慣れることがなかった。
もうやめたい、と何度も思ったことがある。
夜、蒲団の中で痛みに泣くことも珍しくない。
そんな彼女が戦いを止めないのは独神の為だ。
弱虫の自分が独神に必要とされるようにと、日夜恐怖を抱えながらも戦っている。
本殿から逃げることも度々考える彼女は、自らの弱さを認め、一方で一つの約束を枷とした。
それは、独神の事で泣かない、ということだ。
独神が誰かと仲良くしていてて寂しくなっていても。
独神に話しかけられなくても。
独神が他の英傑をお伽番にしても。
いつか、独神に認めてもらうために、泣かない。
絶対に独神のことを諦めないという、強い意志の表れだった。
「(明日も行かなきゃ。首だけでも)」
ビャッコ
「そっちだ先生! くっ、じゃじゃ馬め!」
ビャッコの叫び声が森に響き渡る。茶色の影が木々の間を縫うように駆け抜けていく。
「任せて! さあ、こっちだよ子猫ちゃん」
独神は柳行李を開いて真っ直ぐに突進してくる猫に備えた。
ここだ。
開いた柳行李を勢いよく閉じた。
しかし猫は柳行李の前で大きく跳躍し、独神の頭に着地、そのまま木の上に飛び乗った。
「やられた!」
「先生、大丈夫か」
ビャッコが心配そうに駆け寄る。
猫は枝の上に寝そべり、高みの見物とばかりにすまし顔でビャッコ達を見下ろしている。
「ほう。……ならば」
ビャッコは木に爪を立てると、一瞬のうちに木を駆け上がり、驚いた猫を抱きかかえた。
「はっは! 捕まえたぞ、先生! これぞ西の守護獣の真骨頂!」
「すごい! さすがビャッコ!」
独神は飛び上がって喜んだ。
「早く籠の中へ入れよう? また逃げられたら大変」
「ああ、そうじゃった」
ビャッコは暴れる猫をしっかりと抱き留め、優雅に地面へと舞い降りた。
「さあ、大人しく入るのじゃ」
しかし、猫は最後の抵抗とばかりに手足をばたつかせ、その拍子に引っかかれたビャッコは思わず「にゃっ!」と猫のような悲鳴を上げてしまう。
痛みを堪えて柳行李に押し込むと、ふうと息をついた。
「ビャッコ大丈夫?」
「大したことはない」
そう言いながら赤くなった手を擦った。
「ビャッコ……今の声、可愛かったよ?」
独神が笑いをこらえながら言う。
「先生!」
赤面したビャッコの姿に、独神は思わず吹き出してしまった。
ビャッコは咳ばらいをした。静かになった猫に向かって優しく語り掛ける。
「すまぬな。驚かせてしまって。ワシらは飼い主に頼まれて迷子のそなたを探していたのじゃ」
町で飼い主に猫を引き渡し、二人は本殿への帰路についた。
「ふふ。飼い主さんを見た瞬間、嬉しそうだったね」
飼い主が近くにいることを柳行李越しに気づいたのか、飼い主の家に入る前から甘い声をあげていた。
ビャッコが飼い主に柳行李を渡すと、開けた瞬間、飼い主に飛びついてごろごろと喉を鳴らしていた。
「まったく。猫とは本来逞しい生物なんじゃぞ。温い居場所を見つけてすっかり牙を失ってしもうて」
「牙なんてなくてもいいんじゃない?」
独神は優しく微笑む。
「自分の居場所に牙がいらないなら、それにこしたことないよ」
ビャッコは黙ってしまう。
「……ワシも迷子になろうかの」
思わず呟いてしまう。
「え?」
独神は驚いた顔をする。
「じゃあ、お肉でも用意しようか?」
「うーむ……」
ビャッコは悩ましげな表情を浮かべる。
「それも魅力的じゃが…」
血の滴る肉よりも魅惑的なものが目の前にいる。
己の牙を根こそぎ引っこ抜いてしまう弱点が。
その欲求に負けてしまうのは何百年も生きてきた守護獣の誇りが許さない。
「いかんな。やはりワシは牙を持ったままが良さそうじゃ。先生を守るには獣の牙も足も必須なのじゃ」
ビャッコは胸を張る。
「先生は安心せよ。いつ何時迷子になろうと、ワシが地の果てまでも探し出すからな!」
「ありがとう、ビャッコ」
独神は嬉しそうに笑う。
「ビャッコがいてくれれば、どんなことがあっても怖くないね」
「これは守りがいがあるのう」
ビャッコは誇らしげに言いつつ、内心では独神の笑顔に胸が高鳴っていた。
「ビャッコは本当に偉いね」
独神にそう言われ、頭を撫でられると、強がっていたビャッコもついつい喉を鳴らしてしまう。
(ワシもひとのことは言えんな……)
そう思いながらも、ビャッコは幸せそうに独神の手に顔をすりよせた。守護獣としての誇りと、愛おしい相手への素直な気持ち。そのどちらもが大切なものだ。
ヒルコ
「ヒルコ! 起きて!」
潮の香りと波の音に包まれ、心地よい夢の中にいたヒルコであったが、平穏は突然の叫び声によって崩された。
「大変なの! 大変! 一大事!」
うるさいなあと思いながらも、ヒルコが属する悪霊討伐集団の頭領、独神が言うのでのっそりと起き上がった。
目を開けると、そこは青の世界。
あたり一面、きらめく瑠璃色の海が広がっている。
水平線まで続く海面は光を受けて宝石のように輝いていた。さざ波が耳に心地よく響く。
「見てよ! 陸地がない!!」
ヒルコは目を細めて遠くを見やったが、どこにも陸地らしきものがない。
「そうだね。ふわぁ」
「欠伸してる場合!? 沖に出ちゃったんだよ! しかもこんな風が吹いたらすぐに転覆するような小舟で!」
「大丈夫だって」
「根拠は!?!??!?!!!!?????」
真っ赤な顔をした独神が喚きちらす。
肌が赤くなるから日焼け止めはしっかり塗ったと聞いていたのだが、顔は塗り忘れたのだろうか。
「おれ海の神でもあるんだ。だからどうにかなるよ」
「どうにかって、どうするの?」
「何もしないよ」
「海の神じゃなかったんかい!!!」
舟の縁を叩いた独神は痛そうに手を摩った。
ぐらぐらと舟が揺れる。連続で叩けばあっと言う間に転覆しそうだ。
「せっかくなんだからもっとのんびりしたら。ほら風が気持ちいいでしょ」
潮風が二人の髪を優しく撫でた。まるで母親が我が子を愛おしく包むように。
「むりむりむり! 今そんな気分になれない」
独神は頭を抱えて三角座りをしてしまった。
今日は久々の休暇なのに、今のんびりしなくていつ気を抜くのだろう。
仕事熱心で尊敬はするが自分はああはなりたくない。
ヒルコは改めて周囲の青を見回した。
海のど真ん中にポツンと放り出されたと独神は思っているのだろうが、ヒルコからすると青が我が身を抱いてゆらゆらとあやしてくれているように感じる。
「あるじさん」
「……」
頭の中で助かる方法を考えに考え抜いているであろう独神にもう一度声をかけた。
「ねぇ、おれといて、そんなに不安?」
ガバッと頭を上げて目線を合わせてくるあたり、さすが”やさしい”独神様である。
「…………不安」
清々しい程に正直に答えてくれる。
「信用ないなあ」
ヒルコは笑って前髪を耳へと流した。
視界を満たしていた青が少しずつ欠けていく。
「ほら、見てごらん」
きょろきょろとする独神がある一点でぴたりと止まった。
念願の陸地だ。
「おれ、運が良いからさ、こうやっていつも良い方向に風が吹いてくれるんだ。だから絶対あるじさんを陸に帰してあげられるって思ってたよ」
親に捨てられた経験を持つヒルコであったが、今では七福神という仲間を得て多くの信仰を集め、そして、良いなと思える主を得た。
世の中には嫌な運命を呪い、死んで全てをやり直そうと考えるひともいるそうだが、ヒルコは生き続けるだけでなんとかなるものだと考えている。
「……ごめん、疑って」
ばつの悪そうな独神にヒルコはおかしそうに笑った。
「陸に着くことは信じてくれないのに、悪霊をみんな倒せるってことは信じちゃうんだから、あるじさんは凄いよ」
「悪霊退治なんて簡単だって。だって高い志を持つひとがあんなに本殿にいるんだよ? これはもう八百万界の平和は秒読みでしょ」
そんな風に思っているのは八百万界宏と言えども独神だけである。
独神こそ八百万界一の楽観主義者だ。
「海だって変わらないよ。ほら、あるじさん、また昼寝しようよ。今度起きた時には浜に打ち上げられてるからさ」
「実際に陸地は見えてきたわけだし、今度は信じるよ」
「ありがとう。お礼におれも悪霊が八百万界から一体もいなくなる日がくるって信じるから」
「そう言われちゃ、信じる以外ないじゃん」
笑った独神は舟に横になって寝た。
ヒルコはその隙間に身体をはめ込むと追うように眠った。
風は子守唄を歌い、海は優しく、ゆるやかに舟を揺らした。
二人はあどけない顔を浮かべていた。
「ヒルコ!!!!!! また陸地見えなくなっちゃったけど!???!???!!!!
しかも寒いし!!! 流氷じゃないのあれ!??!!!!」
空気の冷たさに起きた独神は叫んだ。
海面には白い塊が浮かび、波の音は先程までのさざめきから、氷にぶつかりあう重々しい音に変わっていた。
「わ、ほんとだ。氷が流れてて綺麗だね」
氷塊は陽光を受けて幻想的に輝いている。しかしその美しさとは裏腹に、体温を容赦なく奪う。
「なにのんきなこと言ってんの!!!! 私いつ本殿に帰れるのよ、ねえ??」
うなだれて絶望する独神の一方、ヒルコはまだ平然としている様子だった。
二人を乗せた舟は氷塊の間をすり抜けて、先へ先へと進む。
「大丈夫。なんとかなるよ」
オモイカネ
「お見合い?」
「そ。考えてもらえる?
血の気が失せるとはこのことだ。
オモイカネは自身の動揺を悟られぬよう、あくまで雑談の範疇であるよう装った。
「これはまた突然ですね。それで、お相手は?」
「明かせないの。当日に見えることになるわ。ほら、うちって……ちょっと……ほら……あれ、でしょ?
向こうの安全を考えると」
ね。と語尾につけて言った女性は、名を独神と言う。
八百万界中の猛者を束ね、各地の経済を掌握、界を支配せんとする悪霊集団へ唯一対抗し得る力を持った、実質この界の支配者である。
仰々しいようだが、本人は気さくで人当たりがよく親しまれやすいたちだ。
しかし絶世の美人であり、ただ人ではないと思わせる神秘的な輝きを放ち、俗人とは一線を画している。
磨き抜かれた宝石のように、見るものによって異なる美しさを見せる。
本殿の英傑達はその美しさに魅了され、命すら欲しくないと日々奉仕している。
絶大な信頼と言えば聞こえは良いが、盲目的な好意とも言い換えられる。
行き過ぎた執着のおかげで、彼女が伴侶を選ぶことも、恋人を作ることもなかった。
そんな彼女の口から出た、お見合い、である。
オモイカネも自身がどれだけ冷静でいられているのか判らなかった。
「…………判りました。極秘裏に行いましょう。ですから相手の名は無理でも、身分や住まい等、なんでもいい、少しでも情報を頂けませんか。相手の好みを予想し、少しでも成功率を上げたいので」
「出来ない。言ったでしょ。何も明かせないって」
「なんと」
作戦参謀の自分にも黙秘か。
オモイカネは粘った。
「主さん。貴方の先方への心遣いはごりっぱと言わざるをえませんが、お見合いとは相手に自分の人となりを伝えあう場です。同じ事柄でも伝え方一つで受け手の印象が大きく変わる。すなわち、成功率にかかってくる。ですから、せめて、この任務を与えられた私には教えて頂けないでしょうか」
長々と語ったが、独神に相応しくないと主張できる欠点が知りたいから身元を明かせ、という身も蓋もない本音によるものである。
「……難しいのは判ってる。だから八百万界の知から産まれたあなたにお願いしたの。それに……」
独神は言葉を途切れさせ、少し頬を赤らめた。
「あなたが一番私の事を判ってくれると思ったから」
う。
オモイカネは独神に頼られることにはめっぽう弱かった。
しかも、一番ときた。
「……貴方がそこまで行って下さるのであれば、本殿一の頭脳を持つ私が貴方のお見合いを必ずや成功に導きましょう」
「ありがと、オモイカネ」
いつものように可愛らしい笑顔を向けられれば、真面目なオモイカネの口元も大きく緩むものだが、今回は気が重くて仕方がない。
参謀として隣にいるのが自分の限界であると叩きつけられたが、引き受けてしまったものはやるしかない。
その日から時折記憶を失うほどに忙しかった。
なにしろ最高機密かつ、最高難度の任務である。
己の持てる全てを注ぎ、妥協を許さず、一人孤独に事を進めて言った。
多忙になれば余計なことを考えずに割り切れるとの算段だったが、なかなかうまくはいかなかった。
「ねえ。この着物はどう?」
「ええ。よくお似合いです」
「……やっぱり、こっちかな」
「ふふ。どちらもよくお似合いです」
「そればっかりじゃない」
どちらもよく似合うのだからしかたがない。だが独神は小さな唇を尖らせて不満そうにしている。
「よく考えて。どの着物なら相手によく想ってもらえるのか。あなたの意見を聞きたいの」
ずきりと、胸が痛む音が聞こえた。
自分は冷静沈着な神だと言い聞かせ、胸の内を必死に隠した。これは任務。私情を挟む余地はない。そう何度も言い聞かせる。
姿見の前で着物を合わせる笑顔の独神を見ると、胸が締め付けられるほどに切なく、愛おしい。
「こちらはどうですか。金銀を多くあしらったものは独神としては良いでしょう。しかし、貴方の価値は『独神』に限らない。貴方自身の魅力を気づかせる為にも、判りやすく豪奢なものを身に着けない方が惹きつけられると思います」
独神の立場に圧倒されて目が曇っていてくれた方が好都合だ。彼女の本当の魅力なんて誰にも知らせたくない。
しかしながらそれは個人の考えであって、彼女が望んだ“参謀オモイカネ”の考えではない。
「……うん。あなたがそう言うならきっとそうね」
ほら。これが正しいのだ。
独神が満面の笑みで喜んでいるのだから。
着物に限らず、会場の手配、独神の装い、食事の献立、出す順番。
独神と相談しながら最高のものを計画した。
この縁談を台無しにしてしまおうとは思わなかった。独神の顔に泥を塗るまいと、死力を尽くした。
独神がひた隠しにする相手のことも探らなかった。
誰であっても良い。
独神が選んだ人に家臣が物を申すまい。
八百万界一綺麗な独神を演出する事が至上の喜びだと信じてやまない。
────当日
「主さん。お話した通り、龍脈で付近まで移動し、馬で料亭までお連れします。護衛は八傑に依頼しましたので、悪霊が来ようとご安心ください。
それでは、いってらっしゃいませ」
オモイカネが頭を下げた瞬間、独神がその手をそっと握り、優しく引いた。
「じゃ、行きましょ」
独神と同行するはずの八傑はこの事態にぴくりとも動かない。
「舌を噛まないようにね」
あれよあれよと龍脈に放り込まれ、馬の傍へと転移した。
「馬に乗るのよね。あなたは私の後ろで良い?」
「わ、私がやります! 主さんはお座り下さい」
どういうことだ。
疑問で埋め尽くされるが独神は何を聞いても答えてくれず、予定の料亭まで共に行かされた。
この際、独神の独断は置いておく。ここまで来たのだ。相手の顔を拝んでおこう。
英傑たちの独神に、いや自分の愛した女性に相応しいかどうか見定めてやる。
気合十分で挑んだが、生憎相手は到着していなかった。
「よいしょ」
独神が座したのを確認すると、オモイカネは少し離れた位置に控えた。
「そっちじゃないでしょ」
独神は立ち上がり、オモイカネの腕を掴んで引くと、新たな位置へ座らせた。
独神の目の前に。
「あの、主さん?」
「ごめんね。騙して」
「お見合いは嘘、だと」
「それは本当」
独神は畳に座ると、両手をついて頭を下げた。
「私は、界より選ばれし一血卍傑の使い手、独神です。オモイカネさん、今日は一日お互いのことについて話しませんか。それでもし良いと思って下さったなら、今後も末永くお付き合いする事を考えて頂きたいのです」
オモイカネは開いた口が塞がらなかった。
状況は持ち前の頭脳で理解出来たが、感情が全く追いついてこない。
「……ふふ。あなたですら固まるとはね。良いでしょう。先に食事をしましょうか」
独神と二人で選んだものが、考えた順番通りに出てくる。我ながら完璧だ。
「主さん!! これはどういうことです!」
食事を終えた頃、オモイカネの感情が追い付いてきた。
「見たままよ。私とあなたのお見合いよ、これ。
……だって、普通に交際を申し込んでもあなた、受けてくれないだろうし。
少し驚かせたかったの。ちなみに八傑にはこの計画は伝えていたけれど、他の子には秘密。
混乱させたくないし、なにより邪魔されたくないから」
にこにこと独神はネタをばらしていく。
きっと言いたくて仕方がなかったのだろう、こちらが黙っていると饒舌に今回の真の企画について話してくれた。
オモイカネはぐっと拳を握った。
「……主さん、私、怒っています」
顔を曇らせた独神にはっきりと言い放つ。
「相手が私と判っていれば、もっと相応しい場を用意出来ました!!
ですから、今回の企画が私の最高など勝手に評価なさらないように」
独神は噴き出した。
「はいはい。判ったって。今日はね、練習ってことにしましょう」
「是非そうして頂きたい。と言っても、次は見合いではなく、結納ですか? それとも婚姻の儀の方かもしれませんね」
二人は予定通りお見合いをこなし、本殿への帰路についた。
オモイカネは顔を真っ赤にしながら、独神の手をそっと握りしめた。
「これからも、ずっとお側に」
独神は優しく微笑んだ。
「ええ、一緒に歩んでいきましょう」
カグヤヒメ
月の都に呼び出されたカグヤヒメは、父である月の王に会った。父王は娘を見るなりにこやかに語りかけた。
「カグヤヒメ。我が娘よ。綺麗になったな」
「ありがとうございます。お父様」
数年ぶりの親子の会話に二人とも顔から笑みが零れ落ちる。
「今日呼び出したのは、だ。そろそろ身を固める時期ではないかと思ってな。話を聞いてみようと思ったのだよ」
「まあ」
その言葉にカグヤヒメは目を輝かせた。
「それなら大丈夫ですわ! 私、主様とお付き合いをしているんですの。きっとお父様も気に入りますわ」
父王は娘の言葉に頷きながら優しく微笑んだ。
「カグヤ。私は離れて暮らしていた愛娘のことはなんでも聞いてやりたい。国を欲しがるなら国を。宝が欲しければ月の国の秘宝を。家来が欲しければ、国中の者を集めて、娘に一番相応しい者を与えよう」
「さすがお父様。そこらの殿方とはまるで違いますわ」
「そうだろう。カグヤは月に選ばれし唯一の姫だ。美しさがまるで違う」
ふふんと鼻を高くするカグヤヒメ。しかし、父王の次の言葉に彼女の表情は一変した。
「だから、そんな馬の骨と付き合ってはいけないよ」
カグヤヒメが首を傾げ、困惑の色を隠せない。
「お、お父様はご存知ないから仕方ありませんが、主様である独神様は八百万界を救わんと先頭で旗を振って英傑を指揮する英雄ですのよ?」
「それがどうだというのかな」
父王の返答は冷淡だった。
カグヤヒメの顔がみるみるうちに青ざめ、口元をひきつらせた。
「え。だって地上の民たちに一番尊敬され、力を持った方ですの」
「だが所詮、地上の民だ」
父王は当然のように言い放った。
「カグヤに相応しい婿殿は月の民から選ぼう。どう決めたい。舞の美しさか。詩歌か。それとも顔の美しさか」
カグヤヒメは言葉を失い、しばし沈黙した後、小さな声で言った。
「一旦地上に戻って考えて良いでしょうか」
「もちろん。自分の婿のことだ。じっくり考えてくれて良いよ」
父王の言葉を背に、カグヤヒメは重い足取りで月の都を後にした。
八百万界に戻ったカグヤヒメは、息を切らせながら執務室へ飛び込んだ。
「主様ぁ! お父様がお認めになりませんわ!!!」
独神は山積みになった灰の上にまた灰を落としながら呑気に尋ねた。
「やっぱタバコ駄目だって?」
「地上の民!!!!! だからですわ!!!!!!!」
「マジかー」
独神は気だるげに炒った豆掴むと、ひょいと口に放り込んだ。
「じゃあ最初から全世界の支配者って言えば良かった」
「それはどうかと思いますわよ。品のない」
「私に品を求められてもねぇ」
ふうと独神は長い溜息をついた。
「ちょっと。おやめくださいまし」
「いやあ。ちょっと面倒くさいなって」
カグヤヒメの目が座った。
「どういうことですの。まさか私との結婚を諦めるおつもりで?」
悪霊を何百体と屠ってきた扇を構えた。
独神は慌てて首を振る。
「いやいや、と~~~んでもない。そりゃもう末永~~~~~~~~くお付き合いさせてもらうつもりですよ」
独神の言い方は胡散臭かったが、カグヤヒメは満足げにしている。
「んじゃまあ、対策を練ろうかねぇ」
気乗りしないまま明後日の方向を見る独神を、カグヤヒメはうっとりとした目で見つめる。
「いっそ、私たちの愛の大きさ? 深さを見せつけてやってはどうだい? 父君の前で」
「といいますと?」
「愛の形ときたら、そりゃアレさね」
「アレ……御子のことですか?」
「その前の段階さ」
カグヤヒメはみるみる赤くなり、持っていた扇で独神を何度も殴った。
「品のない!! 品のない!! 品のない!!!」
頭を押さえ、不貞腐れたように言った。
「じゃあ、カグヤが案だしな!」
「そうですわね。お父様が選んだ方との勝負はどうかしら」
「やだね。ダイダラボッチみたいなのが出てごらんよ。即死さ」
「友人の数なら圧勝ですわよ?」
「ん。いや、相手はダイダラボッチそのものではないし。……頼むから本人の前で言わんでくれよ、それ」
「良い案と思いましたのに」
カグヤヒメは拗ねたように言い、独神がさっきまで飲んでいた茶を勝手にずずーと飲んだ。
以前はこんなまずいものは飲めないとこき下ろしていたのだが、今では当たり前のように飲んでいる。
「……父君の認めたもんと結婚してみるってのはどうだい? 試しに」
きっとカグヤヒメは睨んだ。その目は涙で潤んでいるようにも見える。
独神はそんなカグヤヒメを見て、優しく尋ねた。
「なあカグヤ、結婚すると相手を好きになるのかい?」
「逆ですわ! 好きだからこそ家庭を築き、子を増やすのですわ」
「なんだ判ってるじゃないか」
独神は声を上げて笑った。
「結婚してもカグヤが変わらなければ良いんだ。そして私もね。父君よってあてがわれた婿殿だって余所で好きにすればいい。夫婦の形に拘らなきゃいいのさ」
「言いたいことは判りますわ。けれどその考えを理解出来るのは地上の民でも一部なのではなくって?」
八百万界では夫婦以外との関係は人の道を外れた行為とされ、二人が産んだ子は二人で育てるのが常識である。
「別に他人の理解なんてどうでもいいね」
「私の理解は? それとも"他人"の考えなんてどうでもいいかしら」
カグヤヒメは不満げに返した。独神は慌てて謝罪した。
「いや。すまないね。カグヤが嫌なら別の手を考えるさ」
カグヤヒメは決意を固めたように言った。
「私は……やっぱりお父様に主様を認めて頂きたいです。私に相応しいのは主様以外にないって徹底的に判らせたいんです!!」
ずいっと身を乗り出すカグヤヒメに、独神は頭を掻いた。
「しょうのない子だねぇ……」
その言葉には、諦めと愛情が混ざり合っていた。
善は急げと、二人はすぐさま月の国に乗り込んだ。
カグヤヒメの父は厳かな表情で二人を迎え入れた。
「話は判った。そこまで言うのであれば、伴侶となる為の試練を言い渡す。月の裏側にある『永久の花園』から、千年に一度咲く『銀霧の華』を持ち帰ってもらおう」
カグヤヒメは青ざめた。
「お父様! そんな危険な……」
父は娘を制した。
「月の民ですら行かない危険な場所だ。しかし我が娘を伴侶としたいのであればこの程度のことなし得て当然。そうであろう。独神」
「お父様……」
カグヤヒメの声は震えていた。
一方、独神はうへーと嫌な顔をした。
「血縁を感じた。なんなんだい親子揃って。無理難題でしか愛を量れないのかい?」
「もう! そういうのは良いんですの!!」
独神はやけくそだったが、試練に挑む決意を固めた。
何の準備もないまま、月の裏側へ向かった独神を待っていたのは、想像を絶する過酷な道のりだった。
人食い植物が蔓延る死の森を駆け抜け、数度噛まれながらも振り切っていく。底なし沼に足を取られれば、溺れながらも這い上がる。切り立つ崖から転落しても、諦めることなく再び地上を目指す。
その姿は泥くさく、傷だらけでみっともなく、英雄様の面影はない。
美しさを重んじる月の民たちはひそひそと噂し合った。
「あれがヒメサマの婿候補だって?」
「とても美しい月の都に相応しいとは思えないね」
周囲の冷ややかな視線の中、カグヤヒメだけが両手を合わせて懸命に祈り続けた。
「(主様なら絶対に出来ますわ!! 頑張って主様!!!)」
その熱い思いが通じたのか、独神は肩で息をしながらもついに、銀霧の華の前に辿り着いた。
あとは手折るだけ。
月の民たちは、泥だらけで服もボロボロのみすぼらしい独神の姿を見ながら、口々に文句を言い始めた。
「あんな醜いものを月の都にいれては穢れてしまう」
「我らが姫君にあのような不届き者は相応しくない」
あちこちから噴出する悪態にカグヤヒメは激しく反論した。
「まあ! 取って来いと言ったのはそっちですわよ!!」
一方銀霧の華の前に立つ独神は、花に手を伸ばし、……そして、ゆっくりと引っ込めた。
「主様? どうしたのですか? その花で合っていますわよ!」
独神は泥のついた顔で不敵に笑った。
「儚さこそが美の神髄。私はその一瞬の輝きを記憶し、人々へ語り継ぎ、永遠へと変える。それが美を愛でる者の使命さ」
独神がぼそぼそと呟くと、不思議な力が働き忽然と姿を消した。
次の瞬間には月の宮殿に転移していた。
驚きの声が上がる中、独神はカグヤヒメに向かって手を伸ばす。
「カグヤ。私の元においで。八百万界が滅びるその日まで、私はずっとカグヤを想い続けるよ。永遠にね」
「あ、ぬ、ぬしさまぁ」
カグヤヒメは目を潤ませ、震える手でその手を重ねた。
「素晴らしい!!!」
父王は立ち上がり、月の民たちの拍手喝采が宮殿を揺らした。
父王は目尻に涙を浮かべて歓喜し、娘の隣に立つ独神に身体を向けた。
「独神。いえ、独神殿。いや婿殿!!! 其方の美への洞察と我が娘への深遠なる愛に、老いた心が震えたぞ!! 月の国の歴史に、今日という日を永久に刻もう!! カグヤ、我が娘よ。最高の伴侶を得たな。其方の審美眼は真であった。私から言う事は何もない。完敗だ」
最後に王は、月の民たちに呼びかけた。
「皆の者、未来を紡ぐ二人に祝福を!!!」
王の言葉に触発され、月の民たちは大きな歓声を上げた。祝福の言葉が飛び交い、宮殿は祝祭の熱気に包まれる。
「こりゃまた随分な手のひら返し……歓迎だねぇ」
「主様が凄いからですわよ!!」
大はしゃぎのカグヤヒメに、独神はこっそり耳元で囁いた。
「君のためなら、私は獣に身をやつしても構わないさ」
その言葉にカグヤヒメの胸は独神への愛情で溢れんばかりになった。
「主様!!!」
カグヤヒメは独神に飛びつき、独神はそんな彼女を優しく抱き上げ、頭を撫でた。二人の愛情溢れる仕草に、月の都に住まう全ての民が祝福の声を送る。
こうして地上の英雄と月の姫君の美しき恋は皆の祝福の中で実を結んだ。
フセヒメ
召喚台から現れたフセヒメに、独神は目を輝かせた。新英傑の誕生の喜びに溢れている。
「必ず力になると約束しよう」
凛とした佇まいでの宣言に独神は笑顔で、
「これからよろしくね」
と、歓迎した。
*
突如闇の中から現れた悪霊の軍団。フセヒメは即座に独神の前に出た。
「下がって」
フセヒメの相棒である、大きな白犬のヤツフサが独神の傍らで悪霊を威嚇する。
これはフセヒメが本殿に来て初の戦闘である。独神は固唾を呑んで新人英傑を見守った。
現れた悪霊は八体。この地域だと多い方で、戦闘慣れしていない英傑ならば苦戦する数だ。
「はぁっ!」
フセヒメが扇を構えると、目の前に霊力を纏った二体の犬が現れた。
「行って」
犬たちは牙を剥き、悪霊たちに果敢に襲い掛かった。そして自身もそれに続き悪霊たちを扇で殴り倒す。フセヒメの動きに合わせて、俊敏な犬たちがあらぬ方向から悪霊に食らいつき、鎧を砕いていく。
本殿が召し抱える天将の中でも召喚した獣との連携は高水準に入る。
だがその戦いっぷりを見ても、独神は心配そうな顔を崩さない。
ヤツフサはフセヒメの指示に従い、独神の傍に寄り添い、周囲を警戒し、怪しいものがあれば飛び掛かっている。
そして、一体の悪霊が不意にフセヒメに襲い掛かった。丁度霊力の犬たちが傷つき消えていた時だった。
避けることのできる攻撃であったが、しかしそれをすれば独神に攻撃が当たってしまう。フセヒメは一瞬の逡巡の後に決意した。
「この身を使えば」
身体で受け止めようと動いた瞬間、背後から強い力で押された。フセヒメが振りかえると、独神が自らを突き飛ばし、悪霊の攻撃を受けていた。
「主殿!!」
表情筋が僅かに引きつった。怒りに任せて主を傷つけた悪霊を倒すと、すぐさま独神の元へ駆け寄った。
残っていた悪霊を倒したヤツフサも心配そうに独神に寄り添う。
「どうして私を庇った。それは私に与えられた任なのに」
独神は痛みを堪えて笑顔を向けた。
「そうしないとあなた、自分を平気で犠牲にするでしょ」
フセヒメは言葉を失った。
「死んで欲しくないの。だから、あなたが自分を大切にしないなら、私があなたを守るよ」
フセヒメにとってその言葉は衝撃だった。
主を守ることは、臣下の忠義の表れ。独神に仕えたのであれば、当然フセヒメの命に代えてでも守るもの。
それは当然のこと。そのはずだ。
なのに独神は自分が身を挺すれば、同じく身を挺して自分を守ると言う。本末転倒である。
主従の在り方と信じたものが崩れていき、深い混乱に陥った。
「とにかく手当てを」
その場から離れ、見通しの良い場所へと移動した。ヤツフサを傍に立たせ目と耳と鼻で敵を感知させる。
その間、フセヒメは淡々と独神の傷の手当てを施した。
フセヒメは呟いた。
「主殿を守るためならなんでもしていいと思っていた。今もそう思っている。だが、そうとばかりでないことを思い知らされてしまった」
独神は困ったように微笑んだ。
「命を賭して守ることは一見美しく見えるけれど、守られる側としては、自分が生き残った数の犠牲を生んだことになる。私はその罪悪感にまだ耐えるだけの器がなくって」
恥ずかしそうに目を伏せた。
「……主としては、最後まで生き残って大願を成就することが大切で、感傷に浸らないことが正解なんだと思う。でも私は、そうやって人の心を失っては、人の上には立てないとも思っていて。……まだ上に立つ者として何が正しいのか判っていないんだ。ごめんね。頼りなくて」
フセヒメは心情を吐露する独神をじっと見ていた。
「フセヒメが約束とか、決まりとかを重く考えていることは判るよ。でも、あなたが傷つくことで、傷つく人がいることは知っておいて」
「……判った。心に留めておく」
ヤツフサが吠えた。二人は即座に立ち上がって周囲を見回す。
ニ十数体の悪霊がこちらに向かっていた。さっき襲ってきた悪霊と別動隊だろう。
フセヒメは独神を抱き上げ、ヤツフサに跨らせた。
「撤退する。ヤツフサ!」
二人と一匹は、森の中へと逃げ込んだ。しばらく走った後、安全な場所で休憩を取った。
肩で息をしながら、フセヒメは独神に向かって言った。
「さっきも、私はまず自分を囮にして主殿を守ることを考えた。だが、それでは主殿の心までは守り抜けない。だから私は撤退を選んだ。……私の判断は間違っているだろうか」
フセヒメの問いかけに、独神は一瞬考え込むような表情をみせた。そして、ゆっくりと顔を上げ、フセヒメを見つめた。
「正しかった。……私たちは共に戦って、共に生き抜く。一方が犠牲になることなんかない」
フセヒメは頷いたが、その瞳には迷いがあった。
「だがこの体たらくでは、主殿を守るという誓いに反しているような、中途半端にも思ってしまう」
独神は優しく微笑んだ。
「誓いを守ることと、相手や状況に柔軟に合わせることは両立するよ。私の話に耳を傾けて、取り入れてくれたんだよね。それも立派な忠誠の形だと思うよ」
「主殿……」
独神は続ける。
「私たちは悪霊退治の同志であって上も下もない。互いに思いやり、支え合う仲間だよ。これからも一緒に成長していこう」
その言葉を聞いて、フセヒメの顔に安堵の表情が広がった。そして、初めて柔らかな微笑みを浮かべた。
「ああ。もちろんだ」
独神はその笑顔に息を呑んだ。心臓の高鳴りを感じながらも、必死に平静を装った。
見つめ合う二人の瞳に温かな光が宿る。
心地良い静寂が流れる中、ヤツフサが二人の間に割って入り、尻尾を振った。二人は笑みをこぼした。
「さあ、主殿、三人で帰ろう」
「うん。三人で」
本殿を目指しながらフセヒメは心の中で誓った。
「これからは、主殿の身も心も、全てを守ってみせよう」
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