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久しぶりの本殿は、ひどく威圧的だった。
独神の胸ぐらを掴んで飛び出した英傑を歓迎するはずもない。ツチグモは入る前に大きく息を吸った。
呼吸を整え、気を静めていると、微かな気配を感じた。
まだ距離がある。試しに逃げ出すと、その気配がぴたりと追ってくる。見えない足音が、ツチグモの動きに合わせて止まったり動いたりした。敢えてついてこさせて、本殿から離れた場所で足を止めた。
「やはり貴様か」
木の陰から音もなく滑り出てくるのはサルトビサスケ。そんな気がしていた。
「頭をどうする気だ」
相手は苦無を持ったままそう言った。ツチグモは両手を見せるようにして返した。
「話がしたい。だが本殿でする気はない」
独神と自分が話すのに最適な場所と言えば、ひとつ思い浮かんだ。
「主には復讐の続きがしたいと伝えろ。それで判る」
サルトビサスケは短く頷き、影のように闇の中に消えて行った。必ずや独神に伝えるだろう。
ここで関係に決着をつけなければならない。
ツチグモは何を話すべきかまだ決めかねていた。自分の中で何度も対話を重ねながら、あの山で待った。
山奥の小道は、昼の陽射しを受けて緑に輝いていた。人通りがなくなったのか、かつて踏まれて馴らされていた道には若草が少しずつ芽吹いている。このまま自然に呑まれていくだろう。二人の過去も、こうして緑に覆われてしまうのだろうか。
山中はツチグモが縄張りにしていた時とさほど変わらなかった。住み着いた妖がいなくなっても、他の者が山に入る気にはならなかったのだろう。恐怖の記憶が、この場所に染み付いているのかもしれない。
ツチグモと独神が初めて出会った場所に、再び二つの影が差そうとしていた。
「来たんだな」
倒木に座っていたツチグモが、枯れ葉を踏む足音を聞いて振り向く。現れた独神を見て、ゆっくりと立ち上がった。
「久しぶり」
独神は静かに微笑んだ。いつもの柔らかな声だったが、どこか他人行儀な響きがあった。
「懐かしい場所を選んだんだね」
ツチグモは独神の腰に差された刀に気づく。鞘の金具が陽光を反射させ、鋭い光を放っていた。
「その刀」
「そ。兄、頼光の刀」
独神の答えは簡潔だった。
「私はこの髭切しか使えないから」
刀を握りしめている。借りものの武器は似合っていなかった。
「源氏どもに酷く嫌われてるんだな」
「ああ……わざわざお疲れ様」
人を寄せ付けない淡々とした声だった。
ツチグモは切り口を変えた。
「俺が死んだ場所。知ってたのか」
独神は小さく目を見開き、首を振った。さっきまでの他人行儀な態度が嘘のように、知っている独神の表情が垣間見える。
「……ううん。手あたり次第探して見つけただけ」
「花。……英傑になってんだから供える必要ないだろ」
「……したかったから」
無意味なことをする。
独神も決着をつけにきたはずだ。見せたことのない兄の刀を持ち出したということは、どちらかが負けるまで傷つけ合わなければならない。
殺し合いに必要な、どんな状況でも折れない心と勝ちへの執念を、独神は持ち合わせている。
勝つ気でいるのならば、今さら弔いなんて無駄なことはしなくていい。
「なあ」
「もうおしゃべりは良いでしょ。始めようよ」
目の前にいるのは頼光の妹だった。刀の柄に手をかけようとするところをツチグモは制止した。
「待て。その前に聞かせろ」
「何を」
柄を握ったまま聞き返した。
「頼光の妹について調べた。全部聞いた。貴様の正体も、やってきたことも。……本当なのか?」
ツチグモの声にはまだ僅かな希望が込められていた。
否定してくれ、嘘だと言ってくれという願いが、最後の糸のように細く細く残っていた。
「全部本当」
あっさりと言い放つ独神に、ツチグモの顔から血の気が引いた。
「だが、血が好きだとか」
「うん。本当」
「頼光を操っていたとか」
「本当」
「……妖が嫌いなのは」
「言ってるでしょ。全部本当」
「……蜘蛛の妖を頼光に殺させたのは」
一番否定してもらいたいものだった。心臓が激しく鼓動を打っている。
「本当」
理性の糸が、ぷつりと音を立てて切れた。
「ふざけやがって!!」
ツチグモの全身から糸が迸った。
その瞬間、足元に青白い光が走る。地面に文字が浮かび上がった。
「!?」
小さな爆発が起こった。白煙が二人の間を遮り、視界を奪う。
そこへ独神が煙を切り裂くように飛び出してくる。髭切の刃が鋭い光の線を描いた。
視界不良の中、ツチグモは木に向かって正確に跳躍した。この山ならば目を瞑っていても動ける。
「この山は俺の縄張りだ」
「元、ね」
糸の網を展開した瞬間、糸が青白い光を放って切れていく。
「何……!?」
張り巡らせた糸が次々と光って断たれる。紙切れのように切り刻まれた。
刀は動いていなかった。何かしらの術を既に展開していたのだろう。
「流石に無策では来ないよ」
独神が髭切を中段に構える。その瞬間、ツチグモの背筋を冷たいものが走った。
「その構え……!」
記憶の中の光景が、目の前の現実と重なる。
あれは、頼光が最後に見せた型。
刃が煌めく。鋭い風切り音が耳を劈き、ツチグモの頬を髭切が掠めた。切り落とされた髪の毛が数本、宙に舞って散る。
「懐かしいでしょ? 兄上の技」
今立っているのは、独神、妹、いや頼光本人か。
構えだけではなく、雰囲気や眼光までもがあの男になっていた。血を分けた兄妹であることを、嫌でも思い知らされる。
独神が地面を蹴って踏み込んできた。それは完全に頼光の動きだった。髭切が弧を描いてツチグモの首を狙う。咄嗟に身を逸らすが、間髪入れずに袈裟斬り。ツチグモは後退する。足元の枯れ葉が舞い上がった。
「次はこれ」
独神の構えが変わる。右足を前に出し、刀を腰に構えた。
ツチグモは知っている。頼光が使った居合の型だ。
「くそっ」
すぐに逃げなければならないと判っていた。その判断すら遅い。
一瞬で間合いを詰められた。刃がツチグモの脇腹を掠める。白い肌につーっと赤い線が走る。
「っ……」
薄く血が滲む。痛みが遅れて駆け上がってくる。
「兄上がよく使ってた技。見て覚えたの」
糸を放とうとした瞬間、髭切が閃く。空気を切り裂く音が響き、糸が瞬時に切り裂かれる。
「チッ……」
独神の動きには一切の迷いがなく、攻撃の隙すら与えてもらえない。
まるで何年も剣を振るってきた武者のような手慣れた所作だ。
いくら妹だからと言ってここまで再現できるのかと戸惑う。
が、その暇もなく独神が再び踏み込む。今度は上段からの斬り下ろし。重い一撃が頭上から振り下ろされる。
ツチグモが横に跳んで回避するが、独神は追撃を止めない。
左から袈裟、右から逆袈裟、そして突き。
頼光が得意としていた三段攻撃だった。刃が作り出す光の軌跡が、ツチグモの視界を切り裂いていく。
ツチグモは必死に後退しながら避け続ける。足元の根に足を取られそうになりながらも、なんとか体勢を保つ。
三撃目の突きを何とか逸らすが 独神はどんどん間合いを詰めてくる。
「山での戦い方も判るよ」
独神がツチグモの逃げ道を先読みして攻撃してくる。
木と木の間に逃げようとすれば、そこに刃が待っている。
岩陰に隠れようとすれば、回り込まれる。まるでツチグモの心を読んでいるかのように。
「あの時もそうやって逃げ回ってたね」
ツチグモの背中が太い樫の木の幹に当たった。樹皮の硬い感触が背中に食い込む。
逃げ場がない。
独神が髭切を大上段に構える。その姿は、まさにあの日の頼光と重なって見えた。
圧倒的な威圧感。
「実力を隠してたのかよ」
「兄上の魂を分けたこの刀が、戦い方を教えてくれるの」
ツチグモは冷静に状況を分析した。呼吸を整え、思考を巡らせる。
この刀しか使えないと言っていた独神の言葉を思い出す。
もしそれが本当ならば、刀さえ取り上げれば独神は戦闘能力の殆どを失うはずだ。
だが問題は、どうやって髭切を奪うかだ。
正面から挑んでも、頼光の技を完璧に再現する独神相手に勝ち目はない。
山の地の利を生かせないのも痛かった。
それに、本気で殺し合うつもりはない。
話をするために呼び出したのだ。まだ言い足りないことが沢山ある。怒鳴ってやらないと気が済まない。
まず、独神の動きを制限する必要がある。
糸を複数の方向から放ち、独神の身体を拘束しようと試みた。木々の間を縫うように糸が走り、複雑な網を形成していく。
独神が髭切を振るって糸を切り裂く。いくら斬り裂かれようとも絶えず四方から糸を出し続ける。
常に刀を振るい続ける独神をじっと観察する。
刀の重さなのか、身体が揺れてわずかに振りが遅れていた。普段から鍛錬を積んでいるとはいえ、独神の体格では髭切は重すぎるのかもしれない。だが刀そのものは別の意志を持つように動く。
所詮は妹。髭切も兄の技術も持て余してしまっているのだ。
ツチグモは刀では斬りにくい場所を狙った。
独神の足首、膝の裏、首筋。髭切では届かない角度から糸を伸ばす。
独神が身を捻って回避しようとするが、全ての糸を避けることはできない。
「っ!?」
糸が足首を捕らえた。独神の身体が崩れそうになるが、髭切を杖代わりにして踏みとどまった。
だがそれは隙を生む。
ツチグモが追加の糸を放つ。今度は膝の裏と肩を狙った。
独神が髭切を振るって糸を切ろうとするが、角度が悪く、ぎこちない動きが続く。
刀が独神の身体を傷つけないよう軌道を調整するため、動きが不自然になる。
「くっ……」
もう少しだ。動きを封じれば独神なんて容易い。
独神は苦渋の表情で髭切を自らの足へと振り下ろす。
「っ兄上!」
「主やめろ!」
髭切は糸が幾重にも巻かれた足を切断した。
ツチグモは驚いた。
足は切れていなかったのだ。
糸だけが地面にはらりと落ちている。
「兄上は私を傷つけない」
普通の刀ではない。
あの髭切は神剣に近い、概念だ。刀と考えるな。
概念である以上、糸で髭切そのものを封じることはできない。
であれば狙いは身体の方しかないのか。
怒涛の糸の攻撃から独神の動きが明らかに鈍くなっていった。
このまま消耗させる。
「面倒な」
独神が疲労を押し切って髭切を大上段に構えた。大勝負に出るつもりだ。髭切が空気を切り裂いて唸りを上げる。
逃げられないと、勘が告げた。
概念としての髭切が空間を歪め、距離感を狂わせている。先に攻撃をしかければ軌道を逸らせるかもしれない。
だが、全力を出すことに躊躇いがある。
身体能力は決して高いとは言えない独神はツチグモの咄嗟の攻撃に耐えられるだろうか。
もしも。この一撃が致命傷にでもなったりしたら。
その迷いが、反応を大きく遅らせた。
髭切が肩から胸にかけて深く食い込む。肉を裂く鈍い音が山に響いた。
「がっ……」
鮮やかな赤が、ツチグモの視界を染めた。温かい血が衣を濡らし、地面に滴り落ちる。
だがまだやれる。口端を引き上げたツチグモであったが、独神の顔は真っ青だった。
「あ……」
傷口を糸で簡易的に閉じながら、ツチグモは独神の表情の変化を見ていた。
血を見た瞬間の、あの明らかな狼狽。
(戦の最中、血を見てびびってる奴があるかよ。初陣のガキじゃないんだぞ)
戦場では技術よりも胆力が物を言う。どれほど剣が上手くとも、人を殺すことに躊躇する者は必ず敗れる。
(血が好きな奴がそんな顔するわけがないだろ)
一つの綻びが、ツチグモに確信させる。
(主は紛れもなく馬鹿だ。頭は良いだろうが馬鹿だ。結局そういうことかよ)
独神はどこまで行っても独神だ。
ようやく迷いが吹っ切れた。
一時的に怒ったり、失望したが、心の奥底ではずっと信じていた。
それが肯定されて、ツチグモは戦闘へ集中する。
迷いがなくなったツチグモは、糸を四方八方から放つ。以前とは速度も精度も段違いだった。まるで生きているかのように糸が踊り、独神を取り囲んでいく。
独神が髭切を振るう。刀が頼光の動きを求めるが、もう独神の身体はついていけない。
本来なら一閃で切り裂けるはずの糸の束を、二度振って処理していた。
その間にさらに糸が迫る。
「!」
刀の重さに振り回され、独神の体勢が崩れる。足首に糸が絡みついた。
「くっ」
その隙にツチグモが接近する。地面を蹴って一気に距離を詰めた。
独神が髭切を振り上げようとするが、刀の軌道についていけずに力のない空振り。
ツチグモに手首を捻られ、そのまま押し倒された。
「いっ……」
地面に背中を打ちつけた独神。枯れ葉が舞い上がり、土埃が立つ。
ツチグモは馬乗りになり、両手首をしっかりと地面に押さえつけた。
組み敷いた独神の顔に近づく。吐息が肌に触れるほどの距離。
独神の頬が赤くなった。
それを見て、ツチグモはふっと笑った。
「今、戦っているんだぞ?」
「だって」
ふいと独神は目を逸らした。よく知っている独神の顏だ。困ったような、恥ずかしそうな表情。
何日ぶりだろう。こんなに近くにいるのは。
気付けば口付けていた。
独神はなにやらごちゃごちゃと言っていたが、その割には大人しかった。その唇は、記憶の中よりも柔らかく、温かかった。
唇を舐めると、薄く唇を開かれたので中に舌を差し込む。押さえた手がびくりと震えたが、一度も押し返そうとしないので、あとはしたいように舌を絡ませた。善いところは変わらない。自分の知り得る弱いところを執拗に攻めると、独神は大きく身を捩って息を荒げた。悩ましげな腰の動きに軽く達したのを知る。
……やりすぎた。
「今! 戦ってるんだよねぇ!!」
唇を離した瞬間これだった。顔を真っ赤にして抗議する様子が、ツチグモにはたまらなく愛おしく見えた。
「ツチグモは頼光の妹なんて嫌でしょ? あれだけ倒したかった相手は死んで、妹と付き合って、騙されてたって怒るものだよね?」
「最初はな。……最初は主に騙されたと思った。源氏の家でも似たようなことを言っていたしな」
「じゃあやることは一つでしょ。私を相手に復讐を果たせば終わりだよ」
「違う相手で復讐が終わるわけないだろ。そんな軽いものじゃねぇ」
「軽くないから、私を嫌いになるんじゃないの?」
「それでも、主を好きな気持ちの方がよっぽど大きいんだろうよ」
独神は大きく目を見開いて、まるで信じられないものを見るような表情をしている。
「でも……私、誰に聞いてもまともな人間じゃなかったでしょ? 色々聞いたんでしょ?」
「他人にごちゃごちゃ言われようと、俺にとっての主は目の前の主だけだ」
独神はしばらく黙った。午後の陽射しが、目元を宝石のように輝かせていた。
「変なこと言っていい?」
「言うなって言っても言うだろどうせ」
「同じひとに二度も三度も恋に落ちると思う?」
ツチグモも赤くなった。
「また馬鹿なことを」
「馬鹿じゃないよ」
真摯な表情に、ツチグモの心臓が激しく鼓動を打った。
「愛してる。死ぬまで私のこと飼って欲しい」
愛の告白だ。
だが本能が警告している。こんな女に関わるべきではないと。
ツチグモは本能を無視した。
「俺の物だからな。ちゃんと弁えろよ」
「うん」
「さっさと本殿に帰るぞ。主がいなくなったって、あいつら慌ててるはずだ」
ツチグモが数歩歩いても独神は立ち上がらない。困ったような顔でツチグモを見上げている。
「足でもひねったのか?」
「……手をつないでくれないと歩けない」
我儘を言う独神に、ツチグモは仕方ない体をしながらも嬉々として手を差し出した。
「ほらよ」
温かい手のひらが重なった瞬間、独神はツチグモを引っ張り、勢いよく抱き着いた。衣がじわりと赤く染まるのも構わずすり寄ってくる。
柔らかな感触も、匂いも、ひどくなつかしくて、自分の居場所に帰ってきたと強く感じた。
陽光は二人を包み込み、旅人殺しの山でお互いの存在を確認し合う様子を見ていた。
今日は強敵を討伐した祝いの宴だった。この頃は調子よく侵攻しており、ツチグモが戻ってきてからの独神の采配は目覚ましいと評判だったが、ツチグモにはその実感がなかった。
「主様、お疲れ様でした」
英傑の一人が酒を勧めると、ツチグモがすかさず杯を取り上げた。
「酒は駄目だって言ってるだろ」
代わりに茶を差し出す。独神は素直に受け取った。
「ありがと」
周りの英傑たちが不満そうに口を尖らせる。
「一杯くらい」
ツチグモが睨みつけると、すごすごと諦めてボソボソと独神に耳打ちした。
「おまえの彼氏、うるさくない?」
「でも参加していいって言ってくれたよ?」
「そりゃ主役いないと始まらねぇって。せっかくの祝杯なんだしさー、……だめ?」
「気持ちはお酒だから!」
「主は図太いよな」
呆れる英傑たちを前に、独神は何も気にした様子を見せず、はははと他人事のように笑った。
ツチグモは酒を取りに行くふりをして、少し離れた場所から独神を眺めた。本当なら隣に陣取って誰も近づけないのが理想だが、独神の立場を考えるとそうもいかない。普段から束縛気味な分、こういう時は距離を取って英傑たちの不満を発散させる必要があった。
「アレでいいの?」
「束縛すごいじゃん」
「ずっと関心持ってくれて嬉しいよ?」
「割れ鍋に綴じ蓋か」
聞こえることを承知で言う連中だが、それはそれで安心できる。自分がどう言われようと構わなかった。
「ヨリトモも今回よく働いたのにな。霊廟でぐっすりだろ?」
「傷が深かったからね。毎日お見舞いに行ってるけどさすがに宴は無理そうかな。容体は安定しているからあと数日で動けるはずだよ」
「あいつも喜ぶよ。主君が主君が、いつも言ってるからな」
独神にちょっかいをかけていたヨリトモは、あの一件から遠征ばかり担当している。明らかに独神の配慮だろうが、ツチグモは口を挟まない。むしろツチグモが乱闘騒ぎを起こさずに済んでいるとも言える。
宴が盛り上がり、酒が回って英傑たちの口調が軽くなった頃、ツチグモは独神を連れ出した。
「十分義理は果たした。それにあいつら遠慮がなくなってきたからな」
「じゃあ、お先におやすみ」
独神の部屋に戻ると、ツチグモはいの一番に独神を押し倒した。
「……他の奴に笑い過ぎだろ」
「ごめん」
「今日は覚悟しろよ」
以前のツチグモは独神の意思を尊重し、束縛を控えめにしていた。しかし今は違う。自分の物なのだから従って当然とばかりに、容赦なく欲望をぶつけた。
事が終わった後、独神の身体には細い糸が巻きついた跡が無数にあった。抱き合いながら、ツチグモは自分がつけた傷だらけの肌を見て反省する。
「痛いか?」
「痛いよ。でも大丈夫」
傷が幾重に重なっていても、独神はいつも嬉しそうに答える。
「駄目な時は言えよ。今日は少しやりすぎたと思ってるんだからな」
「全然」
独神は従順だった。ツチグモの言うことなすこと素直に応じる。
自分によって支配される独神を見るのが嬉しくて、傷つく度に喜んでしまう自分がいる。独神は止めない。止めてくれれば止められる気がするのに、独神は何も言わずに微笑んでいる。
どこまでいってしまうのだろう。いつも終わった後に怖くなる。
だがその恐怖もすぐに霧散し、どうでもよくなってしまう。
いつも独神が眩しい笑顔を浮かべるから。
「主様無理すんなよ」
「大丈夫。倒れても運んでくれるひとがいるから」
壁にもたれて腕を組むツチグモは舌を打った。運搬担当(独神専用)である。
「じゃあ二人ともその血を、命の軌跡を、私に預けてもらうよ」
今日の一血卍傑の担当となった英傑が鶺鴒台の中央に立つと、間に立った独神が両手を天に向かって掲げた。瞬間、台座全体が淡い光に包まれ、古代の文様が浮かび上がる。石に刻まれた紋様が一つずつ光を宿していき、やがて台全体が神々しい輝きに満たされた。
空気が震え、重厚な鐘の音が響き渡る。風もないのに独神の髪がゆらめき、瞳が金色に輝いた。
「二つの魂よ、一つとなりて新たな魂をここへ宿せ」
独神の声が幾重にも重なって響く。台座の光がより一層強くなり、向かい合った英傑を中心とした光の渦が立ち上がった。光の粒子が二人の周りを舞い踊り、やがて一筋の光となって天に向かって伸びていく。
突然、その光が収束し、一点に集まった。
そして、一筋の光が降り注ぎ、その中から長身の武士が現れた。
「っあ!」
独神がまず、顔に似合わない品のない声をあげた。
遅れて、ツチグモが前のめりになって、目をぱちくりとする。
二人の英傑はなんでなんだという顔をしている。
長身の男は二人に言った。
「俺のいない間に妹が世話になったな。後は全て兄であるこのヨリミツに任せてくれ」
第一声に、独神は慌てて首を振った。
「あ。あ。お。お兄ちゃん」
「やはり俺の妹は優秀だ。本当に俺を顕現してみせた」
ヨリミツは独神を幼子のように抱き上げた。
新しい英傑と独神の親密な様子に、血を提供した二人の英傑は動揺を隠せずにいるようだった。互いに顔を見合わせていた。
そんな中、ツチグモがずかずかと歩み寄った。
「気安く抱き上げてんじゃねぇ。主に恥をかかせるな」
「それは失敬」
ヨリミツは素直に独神を下ろした。そしてツチグモをもう一度見て、おやと言った。
「確か……俺が斬った妖」
「貴様に殺された妖だが」
一触即発の空気を壊したのは独神だった。
「ツチグモ待って。抑えて抑えて」
糸を出そうとしていたツチグモの前に独神が割って入り、両手を握った。
ヨリミツの視線がその手に注がれる。
「…………弁えなさい。そう気安く、それも妖に触れるべきでない」
「弁えない! 私はこの方とお付き合いさせていただいてるの」
ヨリミツは口元を引きつらせた。
「……うん? よく聞こえなかったな。俺の勘違いか」
独神ははっきりと宣言した。
「この方は将来の伴侶です。死ぬまで私と一緒にいてもらうつもりです」
独神以外が目を見開く。
「まあ、ツチグモが結婚の形が気に入らないなら、今のままでいいからね?」
鶺鴒台は大混乱となっていた。儀式に協力した英傑二人が一番混乱していることだろう。独神には兄がいて、その兄はヨリミツといい、昔ヨリミツに殺されたツチグモは妹の恋人で、兄はそれが気に食わないらしく、ヨリミツとお互いに殺気を飛ばし合っているのだから。
独神だけは「よし、言えた!」とでも言わんばかりに満足そうにしていて、格の違いを見せつけた。
「……い、いや、早すぎるだろう」
混乱しているのは先程、産魂ばれたばかりのヨリミツも同じらしかった。本来なら見目の良い顔立ちなのだろうが、顔の部品が感情に追いつこうと四苦八苦している。
「兄上。私もう子供じゃないの」
ヨリミツが一瞬ぐらつき、二三歩よろめいて、そして刀に手をかけた。
独神はすぐさま表情をきりりと引き締め、鋭い目を向けた。
「ここでは私が絶対です。兄上とはいえ特別扱いは致しません。もし歯向かうのであれば処分も辞さない」
主の号令だ。全員がヨリミツに対して武器を向ける。
独神をじっと見ていたヨリミツは、ゆっくりと、手を刀から外した。
「……承知した。独神殿」
独神の肩から緊張が緩んだように見えた。
「ごめんねお兄ちゃん。いきなりこの地に降ろされてびっくりしちゃったね」
独神がふいっとツチグモの脇を抜けて、ヨリミツの両袖を握った。
「記憶の齟齬もあるはず。あとで私とすり合わせていこう、ね」
「……そうさせてくれ、独神殿」
ヨリミツの手が独神の背中に伸びた。ツチグモが糸を出す前に、独神の手がヨリミツの刀を抑えつけていることに気付いた。
「だから、私のいないところでツチグモを斬ろうなんて考えないでね。ここにいる英傑達全員だよ。判るよね? 私が嫌がること、絶対にしないでって言ってるの」
「判った。あの妖は殺さない。これで良いかな」
「兄上は真っ直ぐ目を見て嘘吐くの。ツチグモ、絶対に騙されないで」
まるで網走に放り投げられたような空気だった。
兄妹がお互いに向けている疑念や殺意や警戒は、外野には重すぎる。
巻き込まれただけの英傑がぽつりと零した。
「殺伐すぎるだろ……。本当に兄妹か」
それについてはツチグモも共感した。だが知っていた。
あれは間違いなく血の繋がった兄妹だ。同質の得体のしれなさを放っている。
「……じゃあ……えーと主君? と呼ぼうか。今後ともよろしく頼むよ」
「ええ。お願いしますね」
二人は他人行儀に言葉を交わしながら離れた。表向きの関係はこれでいくのだろう。
独神はすぐにツチグモの手を取ろうとしたが、すかっと手が空を切った。ヨリミツが独神を引っ張ったからだ。
「ここを案内してもらえるか。今後君のために命を賭して戦場に行くのだから。これくらいは良いだろう?」
独神は渋々といった様子で承諾した。ヨリミツに引っ張られながら、振り返って言った。
「ツチグモ! 終わったら絶対に行くから。遅かったら探しに来て。絶対絶対助けに来て!」
「はは。主君は大袈裟だなあ」
ツチグモは一人残された。
普段はツチグモと独神の仲が気に食わない英傑たちでさえ、複雑な関係を察して「大丈夫か?」なんて声をかけてくる。
「いけすかねえのが増えやがった」
二人が並ぶと思ったよりも似ていた。
敵に容赦ない雰囲気だけではなく、目鼻や肌の色、耳の形、ほんの少しの素振り。事情を知らない者が見ても兄妹だとすぐに判るだろう。
可愛い恋人とよく似た男は、独神が言うように結婚をすると義兄になってしまう。そもそも結婚の話なんて一度もしたことがなく、寝耳に水だった。もちろん、独神がしたいというならば喜んで付き合うが、あの男の身内となることは複雑である。
気持ちが付いていかなかった。
自分が変わったと思うのは、仇の姿が現れた瞬間に殺さなかったことだ。
復讐は重要ではなかった。
兄の姿を見た独神が嬉しそうに見えたのも気が削がれた。
独神は色々と思うことがあっても身内である兄を好いている。愛情深い独神のことだ、好きでは留まらない感情を抱いているのかもしれない。
そんな相手を自分の一存で殺すわけにはいかなかった。
しばらくは静観する必要があるだろう。
(せっかく主と悪くない生活ができてきたっていうのに、今後どうなっちまうんだよ……)
【終……?】
25/07/09 加筆修正
あとがき
ツチグモの話はこれでおしまい。
復讐に生きたツチグモが、憎しみを乗り越えて、愛に生きるようになります。
しかしながら、ちらほらと不穏な空気が漂っています。
普通の恋人とはいかないみたいです。
そして最後は仇がなんと英傑として本殿に現れてしまう。
せっかく独神と距離を縮めて楽しく生活が出来ていたのに波乱の予感。
でもツチグモは以前とツチグモと違うので、きっと血生臭いことにはならないでしょう。
……で、話は終わり。
けれど、なんだかすっきりしない気分のはずです。
結局独神ってどんな奴だったの?
本当にツチグモのこと好きなの?
頼光(ヨリミツ)ってなんだったの?
ヨリトモは?
なんでこんなにとんとん拍子なの?
それらの真相は、次回更新のアナザーストーリーで明かされます。
一つはヨリトモ視点、もう一つは独神視点です。
この二話をもって、本作は完全に完結となります。
最後まで、もう少しだけお付き合いいただけたら嬉しいです。
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