糸の行方3

「────してくれたら、頑張れるんだけどな」

 独神が上目遣いでちらりと見上げてくる。その仕草の一つ一つが愛おしく、ツチグモの胸の奥が熱く疼いた。望まれた口づけを落とすと、独神は満足そうにはにかんだ。頬に薄く桜色が差している。自分の前では子供のようになる。
 最近、平和だと思うことが増えていた。朝日が差し込む部屋で独神が微笑んでいると、胸の奥に暖かな充実感が広がる。すり寄ってくる仕草も、昔なら警戒したであろうに、今では愛おしくて仕方がない。この穏やかな時間が永遠に続けばいいのにと、ツチグモは心の底から願っていた。
 悪霊討伐は変わらず続けているが、その動機は確実に変化していた。復讐への執念よりも、独神が喜ぶ顔を見たいという気持ちが勝っている。任務を終えて戻った時、独神が「お疲れさま」と言って微笑む瞬間こそが、今のツチグモにとって最高の報酬だった。
 山で旅人を狩る気など、もうとうに失せている。適当な人の首を絞めて殺すことさえ億劫に感じるようになった。そんなことより、独神が楽しそうに笑っていることの方がよほど大事だった。
 自分がこんな腑抜けになるとは、かつては想像もしていなかった。

ぬし様とは最近どうなんだ」

 コンピラがにやにやしながら尋ねてくる。

「貴様が付け入る隙はないぞ」
「えー、おもしろくねぇの」

 英傑たちの中にも、独神の傍にはツチグモがいることを当たり前に思ってくれる者が増えてきた。まだまだ少数ではあるが、確実に関係は認められつつある。
 とはいえ、先は思いやられる。例えば――

「……」

 廊下の向こうでヨリトモがこちらを睨んでいる。会うたびに刀に手を置く素振りを見せ、ツチグモも臨戦態勢を崩さない。とめどなく向けられる敵意には慣れてきたが、決して心地よいものではなかった。
 最初は独神に報告していたが、今はしていない。これはツチグモ自身の問題だ。日々様々な決定を強いられ、神経を摩耗している独神に、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。

「主君が執務に集中できないのは君が原因か?」

 ヨリトモの声には明確な敵意が込められている。毎晩の逢瀬への文句だろう。

ぬしに応えてやって何が悪い」
「主君も所詮は女だからな。妖風情に惑わされるのも無理はない」
「あ?」

 聞き捨てならない。自分だけでなく独神まで蔑んだのだ。私闘禁止の規則など、もはやどうでも良かった。今すぐに息の根を止める。

「私に手を出せば、主君の外聞が悪くなると考えられないのか?」

 身内の小競り合いだけで済まない。恐怖の対象でもある英傑たちがここでは平和に過ごしているという実績が、八百万界の力なき者達に安心感を与え、それが独神の統治力評価に直接関わっている。ヨリトモはそれを理解した上で、蔑んでいるのだ。安全圏で主までも嘲笑う。

「チッ。源氏はどいつもこいつも胸糞悪ぃ」

 吐き捨てることしかできない自分が歯がゆかった。これが独神のためになるのかも判らない。私闘で自分が処分されるだけならいくらでも受けるが、独神がこつこつと築き上げたものを壊すのは忍びない。
 ツチグモには政治の機微が理解できない。しかし英傑たちが語るところによれば、独神は対立する勢力間の利害を巧みに調整し、殆ど血を流すことなく統治基盤を固めてきたのだという。そうした複雑な政治の駆け引きを、自分の感情的行動で崩すわけにはいかなかった。
 遠目で独神を見やる。今日も英傑たちと真剣に話し合っている。最近、英傑でありながら反目している集団がいるらしく、それが頭痛の種だと零していた。独神の思考はツチグモと違って複雑で計算高い。毎日話していてもついていけないことが殆どだ。
 ならば自分は黙っていることが最善だと判断した。
 不安や負担をかけるよりも、毎日慕ってくる独神が望むように相手をしてやる方がいい。自分の感情よりも大切なことだ。
 特に最近は、独神の体調があまり良くない。病気というわけではないのだが、疲労が蓄積しているのが見て取れた。夜も蒲団を分けて休んでいる。

「寂しい……」

 少し離れているだけなのにそう言って手を握らされる。どんな状況でも独神であり続ける姿には脱帽するしかない。自分が足を引っ張るわけにはいかなかった。

 そんな日々が続いて、とうとう独神が倒れた。
 立て続けの一血卍傑に、日々の執務、悪霊に揺さぶられて裏切ろうとする町への牽制。全てが重なったのだろう。
 その時ツチグモは厄介な案件を片付けるため遠方にいて、すぐに戻ることができなかった。知らせを受けて血相を変えて駆け戻ったが、既に数日が経過していた。
 独神と再会した時、その変わりようにツチグモは愕然とした。顔色は青白く、目はほとんど合わない。俯いてばかりで、明らかに力が抜けていた。
 普段なら弱った時ほど一緒にいてと頼まれるのだが。

「ごめん。しばらく一人にして」
「そんなに悪いのか……何かあれば言えよ。なんでもだからな!」

 心配ではあったが、今は静かに療養させてやろう。そもそも普段から頭と気を使い過ぎているのだ。一人でいる方が良い時もある。
 何かあってもすぐに駆けつけられるよう、本殿の周辺をうろつくことも考えたが、根本的解決にはならない。巫覡や加護を与える神々の方がよほど役に立つだろう。
 あまり遠い場所へは行かないよう心がけつつも、ツチグモは討伐に明け暮れた。討伐が終われば必ず独神に会いに行く。独神は体調が悪くとも朝から夜まで普段通りに働き、その後は自室に籠もっている。いつ会っても疲れた顔をしていた。

ぬし…………」
「心配かけてごめん。でももうちょっとだけ一人にしてもらえないかな」
「判った」

 上に立つ者の重圧は理解できない。術士の心身の負担というのも、ツチグモには判らない。判らないことばかりで、何の力にもなれない。無力な自分が悔しかった。
 この戦いを早く終わらせなければ、独神が危ないのではないだろうか。そんな焦りを感じながら、ツチグモは真面目に悪霊退治に励んだ。
 なかなか回復の兆しが見えないというのに、独神は外出すると言い出した。

「大丈夫なのかよ」
「どうしても必要なことだから」
「なら俺も行く」
「ううん。それはできないから」
「なんでだよ」

 独神は困ったような表情を浮かべた。ツチグモは慌てて言葉を継いだ。

「いや、気を付けていけよ」
「ありがと。ツチグモも。私がいない間無理しないで」

 理由がありそうだったが、それを聞くことが負担になると思った。情報を秘匿しながらツチグモを傷つけないよう言葉を探すであろう独神の姿を想像すると、仕方なく引き下がるしかなかった。

「やーい、ふられてやんの」

 ウラシマタロウが揶揄ってきた。

「うるせぇよ」
「最近独神ちゃんといないだろ?」

 ツチグモはきっと睨んだ。

「一人で抱え込んでなけりゃいいけどな」

 それは他人に言われなくてもずっと思っている。

「今はアンタが暫定恋人なんだから支えてやれよ」
「なにが暫定だ」
「恋人だけしかできないこといっぱいあるっしょ? もちろん、オレはいつでも代わってやるぜ?」
「一生夢見てろ」

 こんな言い方だが心配しているのは判っている。他の英傑から見ても辛そうなのだ。自分が一番よく見てやらなければ。
 独神は三日目の夜に戻ってきた。
 すぐに向かった。

「ただいま。ツチグモは怪我してない?」
「してねぇよ」

 なんとなく元気になってきたように見える。自然な流れで部屋に行き、抱きしめようとすると、そっと拒否された。

「ごめん……。疲れてて」
「そうだよな。すまない」

 同じ部屋にいるのに、全く擦り寄ってこない。待つしかないのだろうか。理由があるとはいえ、触れることも許されないのは堪える。

ぬし。なんかあるなら言えよ。一血卍傑や独神のことは力になれねぇけど聞くだけならできる」
「ありがとう。大丈夫だよ」

 大丈夫じゃないのは明らかだ。だが言わないなら、待つしかない。
 抱くのは駄目でも、と躊躇いながらもツチグモは独神の手を手のひらですくった。

「……これくらいならいいか?」

 独神はうんと頷いた。ツチグモの手をぎゅっと握ってくる。力を込めて。その力の強さから、独神の不安が伝わってきた。
 今はとにかく傍にいてやろう。この距離を許されているのは自分だけなのだから。
 寝たいというので蒲団を敷いてやった。ツチグモは独神を寝かしつけると、部屋の隅に糸で作った即席の寝床を用意した。隣で寝ていては手を出してしまうかもしれないという自分への不信もあったが、何より距離を保った方が独神も安心できるだろうという配慮からだった。
 いやそれは正確ではない。
 夜、私室にいることを許され、触れることを許され、就寝中に隣にいることも許されている。それなのに見えない壁が見えるのだ。手を伸ばしても触れられないところへ独神がいるような感覚。それが小さな棘となって、ツチグモを臆病にした。自分から距離を取れば、独神に拒まれることもない。
 朝起きると独神はいなかった。日課の鍛錬だろう。だがもしかしたらという不安で外を探すと、ヨリトモが稽古の相手をしていた。

(よりによって、なんであいつなんだよ)

 苛々が込み上げてくるが、耐えるしかない。

「おはよう。相変わらず朝は弱いねぇ」

 揶揄うように笑っている独神。それだけなのに、しばらく感じていたもやもやが嘘のように落ち着いていく。

「主君。今日は会合があるのだろう。早くしないと間に合わないよ」

 ヨリトモが独神に手拭いを渡しながら言った。

「あ、準備が多いんだった。ツチグモ、今日はご飯食べる余裕ないから、私の事は気にしないでいいからね」
「主君。行こうか」

 並んで歩く二人の後ろ姿が、なぜか気に入らなかった。二人の間に流れる空気が、ツチグモには理解できないものだった。排除されているような、置き去りにされているような不快感が広がっていく。
 ここしばらく、独神に負担をかけないようにと控えていた糸を、久しぶりに手繰って探ってみた。すると、途中で糸が切れていることに気づいた。
 調べてみると、今まで使っていた糸のほとんどが撤去されていた。本殿の英傑たちは気持ち悪がりながらも、護衛に使われるのならばとそのままにしていたはずだった。独神自身も多すぎる糸を全く気にした様子がなく、「戸の開閉の邪魔にならないなら良いんじゃないの?」「洗濯物からも避けといてね」「スズメの雀たちにも気を付けてあげて」と言っていた。
 ツチグモは言われた通り、できるだけ目立たない場所で、野鳥たちの邪魔にもならないよう、時には目印をつけて、英傑たちの生活に支障が出ないよう注意深く張り巡らせていたのだ。
 切ったのは誰の仕業か。独神の命令なのか。であればよほどツチグモに知られたくないことがあるということだ。
 ならばと張り直してみたが、やはり次の日には斬られていた。
 変だ。
 最近様子のおかしい独神のことだ。今は何も知らない方が良いと判断したのだろうか。

(心配だからって除け者にすんなよ……)

 余所行きの着物を着ながら英傑に指示を出していく独神を遠目で見る。恋人であるにも関わらず、ツチグモは遠くからみなければならない。
 急に独神が仕事に集中したいと言って、夜部屋に行けなくなったからだ。もうしばらく抱いてもいない。下らない話もしていない。
 おかしいと思いながらも、討伐だけは続けていた。そういえば大将を任されることもなくなった。
 独神が遠い。
 またヨリトモが傍にいる。

(……おかしいだろ!!)

 独神はヨリトモを気に入っているわけではない。友人でもない。情報の取り扱いが中心の独神は、ショウトクタイシやミチザネとよく共にやっている。彼らなら常に一緒にいても執務のためだと判る。
 なぜわざわざヨリトモを起用するのか。独神がおかしくなった原因はヨリトモに違いない。相手は刀を振り回すだけの英傑とは違う。兵を率いていた将だ。余計な知恵が回る。ツチグモは慎重に動くことにした。
 ヨリトモ周辺を探ろうと本殿の周りをうろついていると、物陰から声がかかった。

「おい」

 突然、サルトビサスケが現れた。

「チッ。今度はなんだよ」

 指で静かにしろという仕草をされる。不審がりながらもすぐに従った。

「ウシワカマルに接触しろ」

 それだけ言って、忍らしく音もなく消えた。意味は判らないが信じても良いと思った。今までの観察からサルトビサスケが独神の利益にならないことは一切しない者と考えていいだろう。言われた通りに動いてやる。
 決まった習慣がなく、毎日気分のままふらふらと足を運ぶウシワカマルに接触するのは難しかった。それでも糸で監視を続け、人目を盗んで話しかけると、意外にもすぐにこちらの意図を理解した。

あるじ様にヨリトモ様が近づいている件だな」

 あまりに早すぎて警戒心を強めた。

「そう警戒する事はない。僕はあの方のことをよく知っているというだけだ」

 ウシワカマルはヨリトモの異母弟であり、過去、命を狙われたとか。噂なのでどこまで真実かは知らないが。

「僕がヨリトモ様を引き離そう。その間にあるじ様から聞き出すと良い。強引であればあるほど良い。あるじ様は頑固だからな」

 ヨリトモのことはいいが、独神について知った口を利くなと喉から出そうになった。
 それを見透かしたのか、整い過ぎる顔が少しだけ柔らかくなった。

「僕はあるじ様と君との交際を悪いとは思っていない。最近のあるじ様は心から楽しそうにしている」

 褒めたところで何もない。が。

(まあ、こいつは性悪の兄と違って良い奴なんだろうな。読めない奴だが)

 協力に感謝をし、ウシワカマルが作る機会を待った。
 他の英傑も使って、ウシワカマルがヨリトモを緊急案件で呼び出してくれた隙にツチグモは部屋にいた独神に突撃した。
 先程までそこにはヨリトモがいたらしい。湯呑が二つ置かれている。

「おいぬし!」

 面食らっている独神の胸ぐらをつかんだ。

「今度こそちゃんと話せ。何があるんだよ! 避け方がおかしいだろうが!!」
「ツチグモ……」

 独神の表情が曇る。やはり何かある。独神は困惑している。言いたくないことがあるのは明らかだった。

「俺に何か不満があるなら言えばいいだろ」
「……言えない」
「なんで言えないんだよ」
「それは……」
「俺を信用してないのか?」
「違う! そうじゃない!」
「じゃあ何だよ!」

 独神の表情が崩れた。

「……お兄ちゃんのこと」
「兄貴?」

 独神の兄は今関係ないだろう。だが、独神は眉尻を大きく下げている。

「ツチグモが殺したがってる人……」

 聞かない方が良かったのかもしれないと一瞬よぎった。だがもう遅い。独神は震え声で告白した。

「お兄ちゃんなの……源頼光っていうの……」

 ──────世界が止まった。
 源頼光。それはツチグモが追っていた復讐相手の名前である。
 誰にも言った事がない。独神にさえも。秘密にしていた。

「……は?」

 それが独神がよく夜に語った兄だと言うのか。
 理解が追いつかない。
 頭が真っ白だ。

「頼光だと……ぬしの兄貴が……俺の……」

 ────復讐相手の妹と恋人だった。
 耳鳴りがする。
 胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちたのは一瞬のことだった。 心臓が砕け散るような痛みが全身を駆け巡る。

「嘘だろ……」

 心臓が激しく鳴っている。
 手に力が入らない。拘束から抜けた独神が必死に弁解している。

「違う! 私も知らなかったの! ヨリトモに教えられるまで……」

 またヨリトモだ。
 二度と聞かせてくれなくていいその名前が、ツチグモの胸を鋭く突いた。
 あの男の情報を信じるのか。いやそもそも知らないことがあるのか。
 疑念だけがむくむくと湧き上がる。そんな都合の良い話があるわけないだろう。

「ヨリトモのせいにするのか? 俺が? 奴と反目し合ってるから?」
「違う! 本当なの! 信じて!」

 独神の目には涙が滲んでいる。
 物怖じしない独神の涙と恐怖に、胸が締め付けられるような痛みが走る。
 だが同時に思うのだ。
 ────演技じゃないのか。

「何を信じろって言うんだよ。……そもそもぬしが源氏だったなんて」

 疑念が渦巻く。独神は最初から知ってたのではないか。ツチグモが頼光を探してるのを知っていて。だから近づいてきたのか。復讐を阻止するために。

ぬしは最初から知ってて俺に近づいたのか」
「知らなかった! お兄ちゃんが殺した人は全部把握してる! 記録にあるものは全部!!」

 独神は必死だったが、ツチグモの嫌なところを的確に刺した。

「俺は記録にすら残ってねぇってか。取るに足らねぇ妖だって」

 過ちに気づいた独神が何度も否定するがなにも響いてこない。
 頭の中に、あの夜の記憶が蘇る。

『おにいちゃんはものすごく恨まれてたから』
『私も人を殺したことがある』
『殺した数ならツチグモより上かもしれないよ』

 あの時は不憫に思った。
 望まない殺しをさせられたことを、可哀想と思っていた。
 ところがなんだ。蓋を開けてみれば

「俺が頼光を探してるのを知ってて阻止しに来たのか? 大好きな兄貴のことだもんな」
「違う!!!」

 独神の金切り声が部屋に響く。
 その声にツチグモの頭がぐらりと揺れる。

(本当に知らなかったことはないのか……?)

 しかし疑いは転がる雪玉のように膨らんでいく。
 今までの記憶の全てが疑念と疑念と疑念に塗りつぶされて。
 あの微笑みも、あの温もりも、愛おしいと思った仕草が、全てが罠だった。そうとしか思えない。

『やっぱり私の目に狂いはないって!』

 最初に出会った時も、本当はなにもかも判っていて接触したのではないか。
 排除しろという依頼を跳ね除けて本殿に連れてきたのは直接手を下すためか。
 そうだ。独神はツチグモが殺した者の名を把握していた。
 八百万界内において、知らないものはないと豪語してしまうくらいの情報通。
 それがツチグモが復讐してやまなかったのが頼光であると知らないなんてありえるか。
 確か会った時も、首を絞められてもなにも怖がらなかった。
 なんとか自分の手元に置く為のはったりで、そこまでしてでも兄の恨む一妖を野放しにしたくなかったのではないか。
 仲間に引き入れてから、自分たちは恋仲になった。
 それも計算の内。
 初めて抱いた時処女だったのも、ツチグモを信用させるための罠だったのかもしれない。
 独神は目的のために手段を選ばない。
 思い切りの良さとも、容赦のなさとも呼ぶ、決断力。
 それが兄の為に使われていたとしたら。
 どうして自分が選ばれたのかずっと疑問だった。
 一気に腑に落ちた。
 何度も口にする愛の言葉もきっと、ツチグモの思考を奪うため。ツチグモの頭を占める復讐を奪って、下らない日常を詰め込んだ。
 そうだ。
 今更気づいた。
 あんなに地位も権力もある女が、ツチグモに無邪気に懐くわけがない。
 そうやる方が自分に嵌めることが出来ると思ったんだ。
 ツチグモを殺した男。そして復讐と生きがいを壊した女。
 さすがは兄妹だ。
 やることが汚い。
 兄妹でツチグモを手玉に取ってほくそ笑んでいたんだ。

(……馬鹿にしやがって)

 ツチグモは背を向けた。もう独神の顔を見ていられない。

「俺の人生をめちゃくちゃにした奴の妹と、しかも知ってて黙ってやがった」
「黙ってたって」
「知ったのは今日じゃねぇだろうが!!」

 図星を突かれたのだろう。言葉を飲んでしまった。ほらみろ。

「待って!」

 振り返ると、独神の顔が恐怖に歪んでいる。
 いつもの凛とした表情はどこにもない。涙で濡れた瞳が震えている。
 一瞬、胸が痛んだ。

「うんざりだ」

 全て嘘だった。
 ツチグモに芽生えた愛も、独神が向ける笑顔も。
 復讐以外に何もない人生だったのに。ようやく見つけた光だったのに。
 それも結局は、復讐相手によって奪われてしまった。
 ツチグモは本殿を後にした。足取りは重く、今思い浮かぶのは自分が死ぬ直前の頼光の憎らしい顔だった。



 ツチグモはとある武家屋敷の門前に立っていた。夕日が建物の輪郭を金色に縁取り、自分の地位を誇示しているようで吐き気がした。

(ここが源氏の……)

 自分を殺した男が住んでいた場所。そして、つい先日まで愛していた女が幼い日々を過ごした場所でもある。
 胸の奥で、憎悪が燃え滾っていた。裏切りという薪をくべられて炎はいっそう勢いを増していく。
 けれど時折、喪失感がひょっこりと顔を出して、その火をみるみる弱めてしまうのだった。
 相反する感情に翻弄されて、ツチグモの息は浅くなった。

 八百万界でも指折りの名家である源家の居所など、誰に聞いても教えてもらえる。これまで一族を狙わなかったのは、当人だけをじっくりと嬲り殺したかったからだろうか。
 だが今は違う。源氏に連なる者すべてを殺し尽くしたい。老若男女、強弱を問わず、平等に死を分け与えてやりたい。それこそが、騙された自分への唯一の慰めのように思えた。
 しかし感情のまま闇雲に動くのは愚策だ。本殿で培った諜報技術を使い、まずは情報収集から始める。
 ツチグモは町の周辺に糸を張り巡らせ、源氏に関わる者たちの動向を三日間観察した。

 裏手の細い道で、定期的に大きな蔵へ通う男がいることに気づいた。身なりこそ質素だが、しゃんと伸びた背筋と落ち着いた佇まいには、長年武家に仕えた者の矜持が滲み出ている。蔵の管理人らしい。
 その男はツチグモの姿を認めた瞬間、血の気が一気に引いていく。

「ひ、ひえええ。妖!?」

 裏道に響いた老人の悲鳴は誰の耳にも届かない。

「静かにしろ」

 声と共に放たれた殺気が、老人を金縛りにする。ツチグモの放つ威圧感は、何度も修羅場を潜り抜けてきた老人でさえ抗えないほどであった。 震える足は既に老人の意思を離れ、冷や汗が背中を伝い落ちていく。

「な、何の御用で……」
「ここは独神の生家だな」

 じりじりと一歩踏み出す。その動作だけで、老人との距離が一気に詰まった。逃げ場を塞ぐように。

「独神の生家だな」

 念押しするような低い声に、老人は慌てて首を振った。

「違います」

 答えた瞬間、老人の世界が一変した。首に巻きついた見えない糸が、息の通り道を容赦なく塞ぐ。酸素を求めてもがく老人を見て、ツチグモは何も感じなかった。

「違わないです!!」
「嘘を言うなら指から順に落としていく」

 糸が緩むと同時に、別の糸が指先を這う。老人は震え上がった。

「違いません」
「落とすか」
「違いません本当です。言うなと独神に言われたのです。言えば一族を殺すと」

 口を割った瞬間、全ての拘束が解除された。しかし老人の足はもう立つことを拒んでいる。

「何でも、何でもお答えしますので、どうか命だけは…….」

 周囲を見回すと、夕暮れの人通りが気になった。ツチグモは蔵を指差した。

「中に入れ」

 老人はよろめきながら立ち上がると、震える手で蔵の戸を開けた。薄暗い蔵の中に二人の影が消える。
 積み上げられた古い木箱や道具に囲まれた密室で、老人はツチグモの殺気に押し潰されそうになりながら、ただ震えていた。

「貴様の知る独神の情報を吐け。でなければ今ここで貴様を殺す」

 有無を言わさぬ宣告に、老人の喉が激しく上下した。観念したように、とぎれとぎれに口を開く。

「独神様は……厳しい方でした。使用人の…………ほんの少しの失敗も……許してくださらない」

 その言葉を聞いた瞬間、ツチグモの眼光が鋭く光った。知っている独神とは正反対の人物像に警戒心が高まる。

「でも、それは屋敷の品格を保つためで……」

 ツチグモの視線に射すくめられて言い直した。

「……いえ、違います。単に残酷なことがお好きだったのです」

 声が更に小さくなる。まるで独神の報復を恐れるかのように。

「あの方は使用人をいじめるのがお好きで、気に入らないことがあると、すぐに頼光様に告げ口をなさるのです」

 老人の全身が震えだした。恐怖の記憶が蘇っているのだろう。

「あの方のせいで、どれだけの使用人が処罰されたことか……」

 眼球がキョロキョロと動いている。

「老いた者は折檻に耐えられず、ですが外聞が悪いからと死ぬ前には里へ送り返すのです。厳重に口止めをして。話せばやはり一族を殺すと。脅しではなく何人もそれで殺されました」

 最後の脅し文句を口にした時、老人は無意識に首を縮めた。
 ツチグモは首を傾げた。
 この老人の恐怖は本物だ。しかし独神のことを言っているようには思えない。独神が頼光の妹というのがそもそも間違いなのではないだろうか。ツチグモは少しだけ口元を緩ませた。

「おい。この蔵私物はないのか。頼光やその妹の」
「あ、あのお方の手紙や日記は全て蔵の奥に……」

 ツチグモは老人に持って来させた。それは古い木箱だった。

「開けろ」

 震える手で木箱を開けると、頼光の肖像画と共に大量の手紙や書類が保管されていた。
 ツチグモは中身を漁り、一冊の本を手にした。日記とわざわざ書かれている。
 少し、嫌な予感がした。

 日記の筆跡は確かに独神のものに見えた。あの几帳面で美しい文字。夜中に報告書を書いている時の、集中した横顔が脳裏に浮かぶ。
 だが、内容は――。

『泣いている人を見ました。何も感じません』

 次の頁をめくる。

『人の気持ちがわかりません』

 ツチグモの手が震えた。独神はいつも他人を思いやり、細やかな気遣いを見せていた。

『斬りたい気持ちが強いです』

 ツチグモの血が凍った。
 斬りたい。殺したい。そんな感情を抱いていたのか。
 自分の腹を撫でた。頼光に斬られたことが思い出される。

『人ではない者は消えてほしい。汚らわしいものばかりです』

 四枚めの日記が、ツチグモの心を完全に打ち砕いた。
 人ではない者とは妖怪のことだ。つまり、自分だ。
 汚らわしい。消えてほしい。
 愛していると言ってくれた独神が、心の底では自分を嫌悪していた。
 次の頁をゆっくりと開く。

『今度こそうまくやります。兄上を騙すのは簡単です。笑顔でいれば誰だって騙せる』

 ――――全てが嘘だった。
 兄への愛情も、自分への愛情も、全て演技だった。
 ツチグモも兄頼光同じように簡単に騙された愚かな妖怪だったのだ。
 日記を握りしめる手に力が入る。紙が皺になっていく。
 あの笑顔も、あの涙も、あの温もりも。
 全てが計算された嘘だった。
 それでも、まだ信じたくない気持ちがあった。これらは本当に独神が書いたものなのか。他にも証拠があるのか。
 真実を確かめずにはいられなかった。

「他に独神を知る者の名を言え」

 老人は震えながら数人の名前を口にした。
 ツチグモは一週間かけて元使用人たちを茶屋に呼び出し、日記の内容が本当なのか確かめるための聞き込みを行った。
 三十年間源氏に仕えてきたという年老いた女中は涙を流しながら語った。

「血を見るのがお好きでした。処刑がある日はいつも走って見に行き一日中微笑んでおられました」

 次に呼ばれた中年の武士は、護衛隊長を務めていたという。

「計算高く、冷酷な方でした。人の心というものをお持ちでない」

 三番目は若い小姓だった。独神がいた時期の勤務年数はわずか三年だという。

「妖怪の死に異常な執着を見せる、恐ろしい姫君でした」

 続いて現れた下級家臣は、十年間の勤務経験があった。

「頼光様を操り、人々を支配していました。ご自身は直接手を下されることはありません」

 料理人は腕の古い傷跡を見せながら語った。

「『血の味がする』と料理に文句をつけられて。この腕を斬られました。二度と使えないようにと」

 生々しい傷跡が、証言の信憑性を物語っている。
 恰幅の良い商人は計算高そうに語った。

「人を人とも思わない方でしたね。全てを道具としか見ていない」

 僧侶は恐怖に震えながら証言した。

「『人を殺すのは楽しいですか?』と笑顔で質問されて……鬼のような方でした」

(確かに俺にも似たようなことを聞かれた。『誰かを襲うことに喜びを得ていますか?』と)

 若い武士が、顔を赤らめながら証言した。

「独神様は……その……微笑みかけられると、皆が夢中になってしまって。だから……。ははっ、私も一度、夜中に呼び出された時は……あ、私だけでなく何人も毎晩……」

 口ごもる武士。何があったかは言わないが、その表情が全てを物語っていた。

(なら独神は本殿でも……あいつは目的の為なら誰とでも寝られる娼婦だったのか)

 現在も源家に仕える武士が断言した。

「頼光さまを完全に支配していました。妖怪狩りも独神様の命令です!」

 現役だけあって証言に迷いがない。
 そして、最も衝撃的だったのは、頼光に直接同行したことがあるという武士の証言だった。

「独神様は妖や神を心底お嫌いでした。『汚らわしい化け物』とよく仰っていて」

 この武士の次の言葉が、ツチグモに決定的な衝撃を与えた。

「独神様は特定の妖怪について詳しく調べておられました。『危険な蜘蛛の妖がいる』と何度も頼光様に言っていたことを覚えています。どこで調べたのかその蜘蛛の居場所まで正確に把握しておられて」

 ツチグモの顔から表情が消えた。
 日記の内容とも一致する。つまり。
 あれは作り話ではなく、全てが真実だったのだ。
 復讐相手の妹と知ったあの瞬間に、全てが砕け散ったと思っていた。
 まさかまだ壊れるものが自分の心に残っていたのか。滑稽である。
 自分の死を指示したのが妹であり恋人だったというだけではない。
 その恋人は、最初から最後まで自分を嫌悪し、騙し続けていたのだ。

(『「違う! 本当なの! 信じて!」』あの時泣いてたのも演技だったんだな)

 村人からのツチグモ討伐依頼も、独神の仕組んだ罠だろう。

(『やっぱり私の目に狂いはないって!』あれは計画が上手くいっていた、ってことか)

 優しい笑顔も、愛の言葉も、夜の抱擁も、全て計算された演技。
 『お疲れさま』の微笑みも、『寂しい』と手を握ってきたのも。
 全て嘘。全部、嘘。
 汚らわしい妖を殲滅するために、ツチグモを手懐けたのだ。

(復讐への執念を奪って、山で人を襲う気力すら失わせて。そうやって俺を無力化したんだ)

 今まで積み上げてきた一つ一つの記憶が、今では別の意味を持って蘇り、塗り替わっていく。
 復讐したいと焦がれた相手は、自分と同じ被害者だとは、なんという皮肉だろう。互いを憎み合うよう仕向けられた、哀れな操り人形同士だったとは。
 聞き込みを終了したツチグモはふらふらと町を歩いた。
 足取りは定まらず、まるで酔っ払いのように千鳥足だった。日記と証言、二重の証拠の重みが肩に圧し掛かり、思考を鈍らせている。
 源氏によって栄えた町。その栄光は頼光のものも入っている。
 町そのものが、汚らしいものに見える。石畳も、軒先も、行き交う人々でさえも、全てが憎悪の対象だった。
 いっそ全員殺してしまえと思うのだが、どうにも手が動かない。
 せっかく新たな復讐相手も見つかったのに。今度は居場所だって判っている。
 それでも何もする気が起きない。歩いているうちに夜が明けた。それでも足は止まらない。
 村を避け、人里離れた山道ばかりを選んで歩き続けた。
 独神の顔を思い浮かぶ。早く消えてなくなれと思うのにいつまでも脳裏に焼き付いていた。亡霊のように。
 こんなことになるなら、復讐しか頭にない自分のままで良かった。
 他人の笑顔も。柔らかな感触も。穏やかな充足感も。
 全部。なくていい。幸せだった過去の全てが猛毒となって苦しめる。

 ツチグモは食事も睡眠もろくに取らずに歩き続けた。
 二日目、三日目。足は重く、視界もぼやけてきた。
 どれだけ歩いただろうか。気がつくと、足は自然と一つの方向を目指していた。
 まるで何かに引き寄せられるように。

(ここは……俺が死んだ場所だ)

 頼光に殺された、あの場所。全ての始まりとなった地。その山だ。ツチグモは足を止めた。
 記憶が蘇る。頼光の剣が自分の身体を真っ二つにした瞬間。あの冷たい目。独神とそっくりだ。

(なんで気付かなかったんだ)

 あんなに手がかりは散らばっていたのに。気付かないようにしていたのだろうか。
 さっさと山を下りようとすると、ふと異物を見つけた。
 それは花だった。この山に自生しているとは到底思えない。

(俺が死んで花になったのか。死んでまで情けねぇな。もっと、周囲を呪うとか、怨念で立ち入らせないとかあるだろ)

 だが少し気が紛れた。
 ツチグモはそのまま山を下りて、小さな集落に出た。夕餉の煙が立ち上る、静かな山村だ。
 ここには頼光を知る者がいるだろうか。それとも記録に残らない蜘蛛の妖が死んだことなど、もう忘れ去られているのだろうか。
 酒屋の前で休んでいた老人に声をかけた。

「おい。頼光という武士を知っているか? 昔ここを通ったはずだ」

 老人は顔を上げた。

「頼光様ですか? ああ、存じておりますとも。懐かしいお名前だ」
「どんな人物だ?」
「本当にお優しい方でした」

 老人は懐かしそうに微笑んだ。

「でも妖怪狩りを始められた時は驚きましたなあ」

 ツチグモは身を乗り出した。

「なぜ妖怪狩りを?」
「妹君のためでしょうなあ。妖が妹を襲うから、安心して外を歩けるようにしたいんだとおっしゃってました」

 老人が答えた。ツチグモは更に尋ねた。

「妹……そいつの名は?」
「名前は分かりませんな。顔を見た者などいないでしょう。それにもう何年も前に病気で亡くなられました」

 ツチグモは息を呑んだ。
 ──────死。
 頼光の妹だと認めたのは独神自身のはずである。それともツチグモと同じく死して、独神へと産み直されたのだろうか。

「いやいや、嫁に行ったんだろ」

 別の村人が口を挟んだ。

「呪われたんだって! ほら、頼光様が殺した妖の祟りで」
「それは別だろ。頼光様の妹は座敷牢に閉じ込められてる」
「許嫁が次々死ぬから、縁談が来なくなったまでは覚えてるんだけどなあ」
「最後は妖怪に取り憑かれてしまわれ、この世のものではなくなったとか」

 情報が次々と飛び交う。女将が首を振った。

「妹君様は滅多にお姿を見せない方でしたから。誰もはっきりとしたことは覚えてないんですよ」
「頼光様がいらっしゃった時ついてきていたそうだが、屋敷の方に籠ってばかりで」
「身体が弱いって。頼光様がいつも、妹を慰めるための着物や菓子や運んでいたんですよ」
「口を開けば姫、姫って。あんな良い男に愛されるなんて羨ましい姫様だ」

 笑っている村人とは反対に、ツチグモは愕然とした。
 死。座敷牢。呪い。祟り。
 源氏の家の時とは別種の情報が溢れてくる。
 村人たちは無責任に噂を重ねていく。

「美人だったらしいですが、性格が……」
「いやいや、病弱で可哀想な方だったと」
「男を誑かすのが上手だったとか」
「全部噂ですけどね。私も直接は知りませんが、小さい村にこんなに噂が回ってるということはどれかは本当なんでしょう。屋敷から外に出ていないのならここまで言われることはない」

 ツチグモの混乱は更に深まった。
 源氏の屋敷では独神は悪く言われ、村では根も葉もない噂ばかり。
 本殿から一歩出ると、これでもかというほど独神の皮がぼろぼろと零れる。
 英傑達に向ける笑顔は仮面だった。それを何年も続けてきたのだというと恐れ入る。
 計算高い独神のことである。あり得なくはない。
 ……あり得なく。ないのだろうか。

 ツチグモは人族の集落を離れた。自分は妖であり、人に討伐された身である。
 そもそも人に頼るのが間違いなのではないかと思い、妖族がいそうな所へ足を運んだが、探索は難航した。
 一帯に妖がいなさすぎる。
 種族同士で固まる傾向があるとはいえ、もっと他種族を見るものだが、ここらでは人族一色のようだ。
 山の奥の奥の奥で、ツチグモは小さな妖怪たちをようやく探しあてた。
 彼らはツチグモの威圧に怯えきっていた。

「ひ、ひいい! 蜘蛛!」

 ツチグモは容赦なく威圧を強めた。小さな妖怪たちの身体が、まるで木の葉のように震え始める。

「頼光を知っているか」
「頼光!?」

 その名前を聞いた瞬間、妖怪たちの恐怖は別次元のものになった。体が小刻みに震え、目は見開かれたまま固まっている。やはり頼光に狩られながらも逃げ切った者たちなのだろう。その反応だけで、彼らがどれほどの恐怖を味わったかが伝わってくる。

「落ち着け。頼光はもう死んでる」
「本当に?」

 妖怪は一瞬安堵の表情を見せたが、すぐに不安げに見上げた。長年抱き続けた恐怖は、そう簡単には消えないらしい。

「で、でも話すと……」
「何を知ってる」

 ツチグモの声に有無を言わさぬ威圧が込められた。妖怪は更に身を縮め、まるで自分を消してしまいたいかのように丸くなった。

「ひ、姫様に迷惑がかかる……かも」
「その姫は、頼光の妹のことか」

 え、と妖たちは先程よりも大きく動揺した。互いに顔を見合わせ、困惑している。だがゆっくりとうんうんと頷いている。

「じゃあ、そっちも、姫様に助けてもらったってこと……?」
「お、俺は。ヒメサマのお陰で助かったと聞いている。俺は直接は見ていないし、知らない。間接的に助けられた口だ」

 ツチグモは咄嗟に嘘をついた。なんとなく同じ立場の妖として振る舞った方が情報を引き出せると思ったのだ。実際、妖怪たちの警戒心が僅かに和らいだのが見て取れた。

「姫様はどこ? まだ生きてるの?」
「判らない。知りたくて貴様らを見つけたんだ」

 ツチグモが肩を落とすと、妖たちの声が震えながらも続いた。

「最後、姫様が身を挺して頼光の前に出て。『逃げろ』って」
「それで?」
「姫様は頼光に殴られて倒れたらしい……あの後、二度と会えなかった。やっぱり俺たちみたいに殺されちゃったのかも」

 その言葉にツチグモの胸が締め付けられた。だが同時に、人族から聞いた話との食い違いに混乱は深まった。

「頼光は妹を可愛がっていたって聞いたが。それに妖を討てと命令したのが妹だと」

 その瞬間、妖怪たちの目がきっと鋭くツチグモを睨んだ。今までとは全く違う、強い敵意が向けられる。

「お前も人族の嘘を信じる愚か者か」

 一気に敵意が膨れ上がった。周囲の空気が重くなり、山全体が戦慄いたように感じられる。小さい妖だと思って油断していた。これはまずい状況だ。

「我らが姫に仇なす者を滅せよ」

 妖怪たちが自然を操り始めた。木々がざわめき、風が不穏に唸りを上げる。ツチグモは即座に判断し、その場から撤退した。
 見た目と弱々しい態度にすっかり騙されてしまった。本殿にも見た目はか弱そうなのに誰よりも怪力の植物女がいるではないか。同種の者だった。
 だがそれがツチグモに気づきを与えた。

(あいつらの言うヒメはぬしだ。あいつらは本物を知っている)

 山奥に隠れ住んでいた妖の口から出てきたのは、ツチグモがよく知る独神の姿だった。
 だがそれは証言の一つでしかない。

 源氏の使用人たちの証言。村人たちの噂話。そして妖怪たちの記憶。
 全てが違う独神を語っている。
 一体どれが本当なのか。
 しかし考えてみれば、自分だって他人の目には全く違って映るだろう。
 殺戮を愛する妖怪。
 英傑を支える仲間。
 独神に執心する恋人。
 他人の言葉で独神を裁くのは、間違いだったのかもしれない。
 自分が覚えている独神とは。
 優しい笑顔。心配してくれる言葉。温かい手の感触。抱きしめられた時の安心感。

『私はね、お兄ちゃんが不幸にした分も、みんなを幸せにしなきゃって決めたの』

 あの言葉は嘘じゃなかったような気がする。
 そういえば、他にも思い出した。

「やめて!」

 独神が声を荒げた。

「ごめんなさい。でも最後の思い出に、なんて迷惑。そっちは満足して終われるのかもしれない。でも私はその後ずっと、ツチグモ以外に身体を許した自分になるの。私はそんな自分をツチグモに渡せない」

 これは動きが怪しい独神の後を付け、聞き耳を立てていた時のことだ。
 ツチグモが何かを言ったわけでもないのに、はっきりと断っているのを聞いて安心したのを覚えている。

『英傑は好きではあるよ。でも抱き合うことはないでしょ? いや、ないんだよ。私そういうのは線引してたから』

 たまにいい加減な時もあるが、頑固で自分が決めたことを破らないという信念の強さがあった。
 その中には、ツチグモに関するものもあった。
 他人を手玉に取るのが好きな遊び好きならば、あそこまで言うことはないだろう。ツチグモはあの場にいなかったのだから。諦めると言っている相手の要望を聞いてやる方が楽に別れられる。
 でもそうはせず、そしてはっきりと拒絶した。
 損得度外視で、自分の考えを貫くのが独神だ。

(もう、十分だ)

 証拠を探すことに疲れた。何が真実で何が嘘か、もうどうでもいい。
 他人の言葉で独神を判断するのが間違いだった。

 独神が汚らわしい妖を殲滅しようとした冷酷な女だったとして。
 独神が最初から最後まで自分を騙し続けていたとして。
 それでも。

 あの温もりは嘘だったのか。
 あの笑顔は演技だったのか。
 夜中に手を握りしめてきた指先の震えまで、計算だったのか。

(そんなことはない)

 いや、そうかもしれない。
 でも、それすらも自分の目で確かめたい。

 ふと気付いたら、ツチグモは笑っていた。
 自分でも驚いた。こんな状況で、なぜ笑えるのか。
 でも確かに、胸の奥で何かが温かくなっている。

 九十九の悪評があろうと、ツチグモの中にたった一つの記憶がある。
 もう他人の言葉は要らない。
 自分の目で、直接確かめる。
 その結果がどんなものであろうとも。

25/07/09 加筆修正

なんてこったい。な回。
なにが本当で、なに嘘で。
どこまでが本当で、どこまでが嘘で。

えっと、ここで言うとぉ、
頼光と独神?の家は、ヨリトモやウシワカマルの家とは違うよ。

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