糸の行方-ヨリトモ視点

 まさかと思った。
 あの主君が恋をした。相手は英傑。
 それも妖。
 ましてや、人を襲って悦に浸るような下劣な妖なんて。心底軽蔑した。

「最近の独神様は機嫌が良かったですから。お付き合いを始めたと聞いて合点がいきました」

 時折話す仲であるショウトクタイシ殿はそうおっしゃっていた。
 ショウトクタイシ殿は政治を担当しているので、一日の殆どを主君と過ごしている。だが一度も浮ついた噂を聞かない。節度を保った英傑だ。

「前よりずっと雰囲気が柔らかくなられて。良いことです」

 そう言って嬉しそうに笑っていた。彼も容認派のようだ。少し失望する。

「ずっと張り詰めていらっしゃったのに、傍にいながら私はお役に立つことができませんでした。支えてくれる方ができて一安心……などと言うのはツチグモ殿に悪いですかね」
「私は不安だ。ツチグモ殿が主君の足を引っ張るのではないかと。最近主君は体調も優れないのだろう?」

 あくまで一臣下としての心配という態度で。
 ショウトクタイシ殿は理解を示すように頷いた。

「確かに彼は、少々行きすぎたことをしてきましたからね。本来なら討伐対象でしょう」

 品よく言っているが、通りがかりの者を誰構わず襲って金品を奪い、更には死の間際に苦しむ姿を見て楽しんでいたとか。妖族たちは同意交じりに笑っていたが外道の所業である。

「ですがここに来てからはそのようなことは一度も行っていません。他の英傑とも問題なく過ごしています。例えばですが、私たちは対格差が大きく、遠征の移動時は足並みを合わせる合わせないは大将に一任しています。ツチグモ殿は背が小さい方やあまり体力のない方が相手の時はいつも追いつくまで待っていると聞いていますよ。困った時も言えば手を貸してくれると報告も上がっています」

 思わず鼻で笑いそうになった。
 いくら庇うにしてもこれは苦しいだろう。ショウトクタイシ殿のことだ、根拠が弱いのは承知のはず。
 つまり、安全と評価できるほどの実績がないのだ。結局のところ。褒めるところがない。
 ショウトクタイシ殿では駄目だ。ミチザネ殿ならば。

「執務さえ滞らせないならば構わない」

 そんなことより無駄話で作業の邪魔をするなと言わんばかりの表情だったので「失礼した」と謝罪して引くと、机の上に目線を戻した。偏屈で愛想のない男だ。なるほどこれでは流刑にもされる。

 日々主君と同じ部屋で執務をしながらも、この鈍感さはいかがなものか。主君の体調不良も側近に問題があると言われても仕方あるまい。もっと有能な英傑を傍に置くべきだ。ここは私が、ツチグモの危険性を調べ上げて進言して差し上げねば。そうすればきっと、主君も私を信頼に足る者だとお認めになりお傍に置くはずだ。
 まずは交友関係から洗っていこう。あの男と親しい者は思い当たらない。個人行動が多いのは妖の特性でもあるが。以前共に討伐へ行ったハシヒメ殿に尋ねてみることにした。

「あら、ツチグモ様ですか? あの方は本当に復讐に燃えているのですか? あまりそう感じられなかったのですよね」

 次にシラヌイ殿を訪ねる。ツチグモと同じ妖族だが善良な性質なので、嫌悪感を抱かずにすむ。

「え、えぇ……。わ、判らないです……。でも、主様も知らないって」

 びくびくとした物言いが癪に障る。私がこんなに優しく尋ねているのに。

「主君が、知らないと言っていたのか」
「はい。前ツチグモさんと一緒に報告に行った時に。復讐したい相手の名前を教えてくれないから曖昧な情報しか渡せないって」
「それで最終的に言ったのか。名は」
「教えられないって言ってた……」

 何を勿体ぶっているのか。
 他の者たちにも雑談に紛れて探りを入れたが、有用な情報は得られなかった。
 下等な妖のくせに、随分と手間をかけさせる。
 噂をすれば。
 廊下の向こうに件の妖がいた。今ここで斬られたらどんなに良いか。向こうも私に気付いたようだ。手に力が入っている。奴は蜘蛛らしく糸を武器とし、素早い身のこなしで安全圏に逃げ込み、嬲り殺すのが得意だ。距離があり、遮蔽物が多いと向こうの独壇場だが、糸は刀で断ち切れるうえ、身軽な体躯ゆえに力勝負では押し負ける。私の敵ではない。
 堂々とツチグモに歩み寄り、主君のため物申すことにした。

「主君が執務に集中できないのは君が原因か?」
ぬしに応えてやって何が悪い」

 悪びれもない。私は知っているぞ。毎晩逢瀬を重ねていることを。部屋の前で耳をすませば睦み合う声が聞こえている。破廉恥な。
 主君も主君だ。同じ源氏の家でありながら、こんな野蛮な者と交わって。家名に傷がつくではないか。

「主君も所詮は女だからな。妖風情に惑わされるのも無理はない」

 その辺の女と同じなのが残念だ。武家の女たるもの良縁を結び、子を産むことが大事である。
目先の欲に溺れた主君には失望したが、まだ間に合うだろう。

「あ?」

 気に入らない目だ。その怒り、まるで私と対等の立場にいるようではないか。
 それも、どうやら私とやる気らしい。

「私に手を出せば、主君の外聞が悪くなるとは考えられないのか?」

 この世界は悪霊抜きにしても危うい。主君は三種族の平等的平和を望むが実際はそうはいかない。種族による力の差は大きく我々人族はどうしたって他の種族に振り回されてしまう。
 それでも主君は、理想を信じて種族を問わない平和を作ろうとしている。
 夢見がちなお姫様である。だが、そういう困難と判っている道を進まんとする勇猛さは、私には眩しく支えてやりたいとさえ思うのだ。
 この妖はそこまで考えているのだろうか。いや、きっと考えていないのだろう。

「チッ。源氏はどいつもこいつも胸糞悪ぃ」

 やはり。何の反論も出来ず捨て台詞を吐き捨てることしかできない。惨めな男だ。
 だが「源氏はどいつもこいつも」の一言が妙に引っかかった。
 源氏といえば、英傑ならば私とウシワカマル。
 ウシワカマルとは殆ど接触がなく悪感情を抱くようには見えない。
 そして、これは一部の者しか知らない秘密事項だが、主君もまた源氏に連なる者である。
 馬鹿な奴だ。軽率な発言で主君を貶めて。

 気になった私は血族たちの中にツチグモに関わった者がいるか徹底的に調べることにした。
 私の顔を見るなり、どの家も快く話を聞かせてくれた。

「そういえば、頼光様が退治なさった中に大蜘蛛がいましたよ。初陣だったのでほとんど覚えていないのですが」

 ある家の三男がそう言っていた。私が礼を言うと「ヨリトモ様のお力になれて嬉しいです」とにこやかに言った。将来性のある若者だ。
 さて、主君の体調が戻る前に頼光様の件を片付けておかなければならない。
 あの家は、当主である頼光様がお戻りにならず、未だに時が止まった家。
 妹を独神として輩出したが、口止めされているために大っぴらに言うことも出来ず、落ちぶれた家と見られることもしばしば。
 私が行けば快く受け入れられるだろうが、何しろ主君の生家でもあり、へたな行動は筒抜けとなってしまう。
 虎穴に入るしかないのならば、早急に行おう。主君に手を打たれる前に。

 期待された当主の消えた家は、妙に重苦しい空気に包まれていた。手入れの行き届いた庭も、清潔な家屋も、肝心の主を失えばこうも活気を失うものなのか。
 同じく家を背負う身として、改めて責任の重さを感じた。

「ヨリトモ様、いらっしゃいませ。お知らせいただければお食事の準備を……」
「いや、急用で近くまで来たものでね。実は頼光殿の武勇について調べていて。何か記録のようなものは残っていないかい?」
「それなら頼光様のお部屋でしょう。しかしあの部屋は独神様の命で入ることは許されないのです」

 既に主君が釘を刺していたか。いかにも彼女らしい周到さだ。
 さて、どうやって説得していくかだが。

「ですが、ヨリトモ様のお立場ならば関係ありません。さあ、お入りください。案内いたします」
「すまない。お心遣い感謝する」

 説得の必要もなかった。同じ源氏の当主という立場が、ここでは独神の指示よりも重く見られるということだ。
 家を離れた独神の命令より、現当主の意向を優先する。理に適った判断である。

「なんだ、ウシワカマル様じゃないのね」

 侍女たちの余計な呟きが耳に入る。
 あの男の何が良いというのか。その端正な容姿に皆が惑わされているだけではないか。
 所詮は運に恵まれただけの男。神代八傑に選ばれたのも……。
 私にも、その可能性はあったはずなのに。あの男がその座を奪ったのだ。
 不愉快な。
 まあいい。頼光様の私室には入れた。
 他の者は入口にも近づかないようにしているらしく、ここでの行動を見咎める者もいないだろう。好都合だ。
 部屋は殺風景だった。畳の上には何も置かれていない。刀があったはずだが、それもここにはない。押し入れにあった一組の蒲団を確認したが、何かを挟んでいる様子もない。一見すると何もないが、必ずどこかに隠されているはずだ。
 畳を一枚ずつ剥いでいくと、一箇所だけ床板を横へ滑らせることのできる場所があった。そして中には、大人が四人は入れそうな金属の箱が隠されていた。重くて持ち上がらない。しかし、私ほど鍛えていれば持ち上げることも、開くことも可能だ。

 中はごちゃごちゃと物が雑多に入っていた。まずは手前にあった扇を手に取る。絵が描かれている。女の絵だ。横には指示が書かれている。

「髪の一本一本まで正確に」
「全く良さが出ていない」

 扇は十数本あったが、いずれも同じ女が描かれている。そのどれもに厳しい指摘が書き込まれていた。拘りの強い方だな。しかしこの女、贔屓の役者にしては若すぎる。
 次に紙の束が入っている。また女だ。
 横顔。後ろ姿。そして衣服のないありのままの姿。
 入浴中であったり、無意味に両足を投げ出したり、こちらを誘うような目をしていたり、しゃがんで首を傾げていたり。
 私は何を見させられているのか。なぜ春画などを保存しているのか。頼光様は女に困るようには思えなかったが、何か問題でも抱えていたのだろうか。

 次は日記だ。本命である。何を斬ってきたのか、まめに記載されていることを願って開いた。

「今日も姫の髪を撫でた。絹のように柔らかい」
「姫の寝息を聞いていると安らぐ」
「姫の身体からいつも甘やかな香りがする」
「姫が着物の袖を直す仕草。何度見ても飽きない」
「姫の食事の様子を見続けた。上品な口元が愛しい」
「姫の足音は音楽のようだ」
「初めて化粧をした姫。美しすぎて直視できない」
「姫の手首の細さ。折れてしまいそうで触れるのが怖い」
「いつかあの声で名を呼ばれてみたい」
「姫が『あにさま』と呼んだ回数。今日は四十七回」
「姫を一日中抱きしめていたい。一瞬も離したくない」
「姫が笑うのは自分の前だけでいい」
「姫の髪を一本拾った。大切に保管している」
「姫の髪の毛。五本回収」
「姫の使った櫛、扇、全て宝物だ」
「姫の着物の匂いを嗅いでしまった。どうしてこんなに狂わせる香りなんだ」
「姫のうなじはいつも綺麗だ。流れる汗を一滴残らず舐めたい」
「女中が姫に近づきすぎている。距離を指導した」
「庭師が姫を見上げていた。即座に交代させる」
「姫が俺以外と話した。許しがたい。姫の周囲をうろつくな」
「姫以外は全て敵だ」
「姫はなぜ、俺ではない者を好きになるのか」
「姫を外の世界から完全に遮断したい」
「どうか姫の成長が止まりますように。これ以上綺麗になるな」
「月のものなどなければいいのに」
「姫を嫁がせる日が来るのか。考えただけで気が狂いそうだ」
「今日も多くの妖を殺せた。人の称賛など不要。私は姫の言葉が欲しいのに」
「どうして泣くのか。悲しませているのはあいつらか」
「姫は座敷牢に入れた。これで誰も手出しできない」
「可愛い姫は私がいなければ生きていけない。それがたまらなく嬉しい」
「いっそ二人で死んでしまいたい」
「来世は姫の腹から産まれたい」
「姫のためなら地獄にも落ちよう」

 ────ぞくりとした。

 もう一度紙を見ると、だんだんと幼少期の主君に見えてくる。扇の絵も同じだ。幼い頃の主君に違いない。
 素晴らしい武勇の才を持った頼光様が、まさか実の妹に欲情する変態だったとは。信じがたい。恥ずべきことだ。
 そう思いながらも、私は何度も紙を見返していた。
 膨らみかけの胸。きょとんとした無防備な唇。畳の上の乱れ髪。寝間着の裾から覗く太もも。湯浴み中の濡れた肌。着物を脱ぎかけた瞬間の肩。こちらを見上げる潤んだ瞳。唇に指を当てた誘うような仕草。
 自分の身体が反応していた。幼子の身体に。それも絵に過ぎないというのに。しかも親類の男が同じもので欲情したと知ってなお。

 恐怖で手が震えそうになったが、それでも日記を手放すことができなかった。
 なぜこれほどまでに愛したのだろう。
 頼光様ほどの英傑が、なぜここまで一人の女に、それも妹に心を奪われたのか。
 気がつくと日記を何度も読み返していた。

「姫が『あにさま』と呼んだ回数。今日は四十七回」
「姫を一日中抱きしめていたい。一瞬も離したくない」

 一文字一文字を追っていると、頼光様の想いの深さが伝わってくる。
 これは単なる欲情ではない。愛なのだ。狂おしいほどの愛。
 主君を想う気持ちなら、私にもある。

「姫はなぜ、俺ではない者を好きになるのか」

 この苦悩も理解できる。主君が他の者と話しているのを見ると、私も同じような気持ちになる。
 どうしていつも、私は選ばれない。私の何が劣っているというのか。

「姫のためなら地獄にも落ちよう」

 この一文を目でなぞると胸が熱くなった。
 これほどまでに想われた主君は、ある意味で幸せだったのではないだろうか。誰かにここまで愛されるということは、そうそうあることではない。

 私は日記を最初から読み直した。
 何度も繰り返しその文字を追い、主君の姿を思い出した。
 いますぐに抱きしめたい。自分の物にしたい。主君の目が私だけを見て、私だけを抱いて欲しい。
 そうか。この感情は……。頼光様は間違っていなかったのか。
 異常者ではない。これが愛というものなのだ。
 主君を想う心に、血縁も他人も関係ない。
 愛の深さこそが全てなのだ。

 ……いやしかし、待てよ。
 頼光様は実の兄であることは、やはり禁忌ではないだろうか。血を分けた兄妹の愛は、確かに美しいが道に外れている。
 しかし私は違う。
 頼光様ほどの深い愛を抱きながら、道徳的な問題はなにもない。
 むしろ私の方が相応しいのではないか。
 私ならば、同じ深さの愛を、正当な形で捧げることができる。
 これは天が与えた機会なのかもしれない。

 それに比べて、あの妖は何だ。
 血縁もなければ、私や頼光様のような深い愛も知らない。
 ただ主君の肉体や地位を求めているだけの下等な妖。
 私は頼光様とは違う愛し方で、しかし正当な立場から、主君を守り抜こう。
 同じ源氏の血を引きながら、頼光様のような禁忌を犯すことない私が。
 私こそが、主君の真の伴侶に相応しい。

 私は箱の中身を一つ一つ丁寧に確認した。
 全てに年齢が書かれている髪の房。
 幼子の書いた「あにさま」という文字。
 茶碗、筆、着物、化粧品。

 頼光様の主君への愛の欠片たち。
 これらは私が引き継ごう。
 さて、その為にももう少し調査が必要だ。
 そこからは主君への愛の為に無我夢中だった。
 情報通の主君の弱点は源氏の者たちから話を聞けないことだが私は違う。お陰で更に有力な情報を得ることが出来た。
 町の浮浪者が握っていた。

「独神様が……そうですか気付かれたのですね」

 意味ありげなことを言っていたので、適当に話を合わせた。私が英傑だったこともあり疑われることはなかった。

「頼光は妹を愛しすぎていた。その強い想いが呪いとなり、道理を曲げてしまった。兄の愛に守られた妹は全てから閉ざされた。……そのせいで独神の能力が発現しなくなっていた」

 元々は僧だったという男は溜息をついた。

「独神の力を封じているのは頼光の生命力。頼光が死ねば独神の力が解放され、海より来たりし黒き災いに対抗できる手段を得ることが出来る。だから私は言った。妹を愛しているならば解放してやれ。お前は檻へ閉じ込めているだけだとな」

 私は頼光様とは顔を合わせたことがあるが、主君について詳しく知る機会はなかった。独神となってから初めてお姿を拝見した。

「頼光は嫌がっていたが、私も必死だった。頼光が嫌がる言葉を矢継ぎ早にいったはずだ。妹が不遇なのはお前のせいだ。妹の人生を奪っているのはお前だ。妹は本当に今の生活に満足していると思うか。力を封じられ、可能性を奪われて、それが幸せか。お前の『保護』は独神にとって『束縛』ではないのか。お前がいなければ、妹は自由を得、力を得、世界を掌握する存在となるのだ。とな……我ながら酷いことばかり言った」

 だが効果的だったのだろう。頼光様が姿を消したということは。

「…………頼光は、その場で刀を抜き、自分の腹を掻っ捌いたよ。介錯もなしにな」

 声が震えていた。

「私はそのことを今でも後悔している。独神様から兄を奪ったこと。そして自害させてしまったことを」

 頼光様は妹への愛を貫いてこの世を去った。

「……ところでこのことを知るのは本当に誰もいないのか」
「わしと頼光の秘密だからな。あの覚悟を無駄にはしない。独神様が望むまで誰にも死の真相は教えないと決めていたからな」
「そうか。安心したぞ」

 私は浮浪者を斬り捨てた。息絶えた男がまだびくびくと痙攣を続けている。血が流れる。
 さて、人が来る前に立ち去らねば。

 私がこの真相を知ったのも天の導きに違いない。
 頼光様は主君を解放するため、そして私に与えるために死んでくださったのだ。

 これで私は主君の知らない情報を二つ手に入れた。
 ツチグモを殺した者の名。頼光様の死の真相。
 どちらも主君の目を覚まさせるものになるだろう。

「毎年、頼光さまの墓に花だけ置かれているのです。姿を見せたことはありませんが、多分独神でしょう。頼光さまにベッタリで片時も離れることがありませんでしたから」
「独神は頼光様の邪魔ばかりなさっていましたよ。外出もさせず、我儘ばかり言って。よほど独占したかったのかと思われます。いつまでも子供で困ったものです……このことは内密にお願いします」
「死んだ後も頼光様の私物は誰にも触らせないのですから、よっぽどですよ。あの方は」

 主君の心にはまだ頼光様がいるのだろう。独神となって何年経っても、死んだ兄を追いかけている。さすが主君だ。容姿だけでなく愛の形も美しい。もうすぐ、その愛が私の手に入ると思うと興奮が止まらない。
 私は狭量ではないから、妖に誘惑されたことは水に流してやろう。安心して欲しい。頼光様よりも主君を愛してあげるから。

 一通りの情報を得た私は一度本殿に戻った。執務室を覗くと主君がちょうど背を向けていた。棚の上の書物に手が届かなくて、うんと背伸びをしている。私はその書物を取りながら、そのつむじを見ていた。可愛らしい。

「あ。ヨリトモだったんだ。ありがとう」

 主君は私に向かって柔らかい笑みを浮かべた。疲れた身体に鞭を打ちながらも、英傑に笑顔を向ける姿は女神のようだ。
 こう見ると笑顔は幼い時とほとんど変わらない。

「このくらいお安い御用だよ」

 主君はもう一度礼を言って、また机に戻っていった。
 真剣な顔をしている。凛々しい姿だ。集中している時の表情は普段より大人びて見える。
 私が見続けていたことに気付いたのか、顔をあげてもう一度笑った。
 目尻を大きく下げて笑う姿を可愛いと思ったが、会釈して後にした。

 そうでもしないと、あのままずっと見てしまいそうだった。あの華奢な体躯がどんなものなのか想像してしまった。頼光様のせいだ。
 主君が以前よりずっと可愛いらしい女の子に見える。あの衣を剥いで自分の元にひざまずかせたい。兄のように慕って欲しい。頼光様はずるい方だ。あんなに愛らしいものを何年も囲って好きにしていたなんて。
 いや、こんな気持ちも数年で終わるだろう。頼光様は死んだ。英傑の私はまだまだ彼女の傍にいられる。人々の羨望を集める独神様。……早く、我が物にしたい。
 私は珍しく早く行動を起こすことにした。

「ああ。おかえり。どうしたの」
「主君、少し話がしたい。……どうかな」
「いいよ。今丁度時間があるから」

 あの男の脇が甘いところは、討伐で不在になる所だ。いつもは主君に纏わりついているがその間は隙だらけとなる。
 主君もあの男がいなければ行動に自由がきき、他の英傑と過ごしている。
 一夜だけ、私がその権利を貰った。

「……本殿の外……。町の個室って……。安全を考えれば本殿でいいでしょ。聞いてると思うけど、最近体調が戻らなくて」
「これは私個人のことではない。一旦目を瞑ってくれないか」

 主君は渋々という態度を隠しもしなかったが同意をさせることができた。

「それと忍も連れて行く必要はないよ。知らないほうが主君も動きやすいからね」

 一気に警戒心が増した。子犬が毛を逆立てる様子は可愛らしい。純粋無垢も良いが最低限の警戒心がなければ、よその者にホイホイついて行ってしまうからな。
 私が主君を護衛して歩いた。
 独神様だ。独神様綺麗。ヨリトモ様もいる。よくお似合いだ。
 町民の言葉は気持ちが良い。
 主君はにこにこしていたが、内心は面白くないのだろう。私が近づくたびに少しずつ距離を取っていた。手っ取り早く手を握れば良かったのだろうが、距離を詰めすぎれば逃げ出してしまう。妖に惑わされてからは他の英傑とも接触を避け、断っている。
 私と同様に面白くないと思っている者もいるが、独神にこんこんと説教されたと聞いている。事を急ぐ必要はない。

「それで。用件は」

 せっかく人目につかない音も漏れない食事処を選んであげたというのに、よくもまあ偉そうに言えるものだ。
 こういうところ、しっかり教育しなければならないだろうな。

「ツチグモの復讐相手を聞きたくないか」
「聞かない」

 ぴしゃりと言い放った。

「本人が言いたくないことを調べるつもりはない」
「けれどそれで彼に危険が迫るようなら主君は自分を責めやしないか。把握している方が対策を立てやすいだろう」

 主君は少し考えて。

「誰」

 と私を噛み殺しそうな声で言った。
 主君も素直になれば良いのに。暴きたいのなら暴けばいい。それだけの力があるのだから。
 世界は主君の思いのまま。

「主君の身近にいるよ」
「誰」
「まあそう焦らないで」
「……ゆすりが目的だったのね」

 主君は立ち上がった。

「ならいい。自分で調べられる」
「糸口になるものを授けよう。主君の身近。八百万界で君が一番近い」

 主君はさっさといく。一人分の注文だけで間違いなかったな。
 後日、主君が倒れたという知らせが本殿に響いたが、その日のうちに向こうから接触してきた。

「時間ある?」
「少々立て込んでいてね」
「いつでもいい。どの時間でも私が合わせる」

 主君が私のために予定を崩し、私を想って会いに来てくれる。
 恋人の逢瀬のようで、身体が疼く。

「最初から脅すつもりだったんでしょ」

 主君は私を壁際に追いやった。迫られる経験はなかなかなくて新鮮だ。雰囲気に迫力はあるが、武器も扱えない女を怖いとは思えない。
 向いていないことをやっていてなんとも可愛らしい。

「そんなことはないよ」
「白々しい」

 ここまで怒るのは珍しい。
 可愛いからこのまま好きにさせても良いが、独神にはまだ判らない能力を持っているかもしれない。
 少し手を打っておこう。

「主君、その態度で良いのかな」

 主君はすぐに感情を抑えた。

「対価は何」
「そんな大層なものじゃない。独神として生活は変わらない。ただ重用してくれるだけでいい」
「そう」

 聡明な主君に余計なことを言わなくていい。後は向こうが勝手に考える。
 思惑通り、その日からの主君は私に近づくようになった。本殿にいる間はずっと私の傍についてまわる。ツチグモに近づかれては不都合だから私と一緒にいるしかないのだ。つまり見張りだ。
 だが、それが私の望みだ。都合通りに動いてくれて助かる。
 それに。

「……っ!」

 私が腕を握っても振りほどかれない。強張りながらも動きはしない。私の機嫌を損ねないために耐えているのだ。自分の立場をよく判っている。
 私が兄のように抱きしめようとすると、忍が現れた。

「おかしらぁ。ここにいたのかよ。ちょっと来てくれよ。指揮を頼む」
「すぐ行く。……そういうことだから」
「ああ、いってらっしゃい」

 伊賀のサイゾウと共に主君は足早に廊下を駆けて行った。
 私は自分の右手を見た。まだ甘やかに疼いている。主君の身体は柔らかかった。頼光様はきっと毎日堪能していたのだろう。あの絵にあるようなことをしていたに違いない。
 まさか、主君が娼婦のようなことをするとは思ってもみなかったが、兄にだけということであるならば受け入れてやろう。
 同じ源氏の血を引く女だ。我々源氏の男が好きにして何が悪い。

 しかし手持無沙汰になってしまった。せっかくだ。迎えに行こう。
 時間を見計らい、主君がいつもいる情報管理部屋へと向かった。

「主君。終わったかな」

 主君は目を見張ったが、すぐに元に戻した。

「まだ時間かかるから」
「なら待っているよ」
「終わりも判らないし、悪いからいいよ。それに、ショウトクタイシと二人で話したいことがあるから」
「……ああ、明日の遠征の編成ですね。すみません、他の方々の個人的な話に関わるので、独神様の付き添いは今日はご遠慮くださいませんか?」

 暗に出て行けと言われている。ショウトクタイシ殿は職権乱用をしていないだろうか。

「……。ショウトクタイシ。あなたに一任する。私の決定として通してくれて良いから」
「え。ですが。よろしいのですか? 独神様もここは慎重に動きたいとおっしゃっていたではありませんか」
「ショウトクタイシなら大丈夫だよ。今の私は休む方が仕事かも。てことでよろしくね~」

 手早く片付けて、忠犬のように私の傍に来た主君の肩を抱いて、私はショウトクタイシ殿に後を任せた。
 少し廊下を歩くと、主君は私の手を払った。

「一血卍傑の予定が連続で入ってる。別の英傑の魂の気が混じると失敗するから触らないで」
「あの男はどうなんだ」
「当然儀式を優先してる。私のことが好きなんだから当たり前でしょ」
「その物言いは気に食わないが、儀式の失敗は主君の名に泥を塗ることになる。それは不本意だ。その指示には従おう」

 即席の嘘かもしれないが儀式の失敗を私のせいにされても困る。
 今日のところは引き上げた方が良さそうだ。
 だが釘は刺しておく。

「もうあの妖と接触するのはやめてくれないか。守る守らないは自由だが、私もまた自由にさせてもらうよ」

 主君はそっけない声で「判った」と言った。随分あっさりと。
 私が探る限り、その後は確かに接触はなかった。妖が近づいても主君に触れていない。
 だが、夜に会うことはやめていなかった。
 まったく、主君は屁理屈が得意なのだから。私は改めて主君に注意した。

「主君。夜な夜なアレを連れ込むのはやめてもらおう」

 主君はきっと睨んでいる。

「ただ話しているだけ。接触してない」
「夜が寂しいのならば、私が会いに行くよ。やましいことではないなら構わないだろう」
「断る。本殿で私とツチグモの関係を知らない英傑はいない。それが他の英傑を部屋に連れていったとなればそれこそ何言われるか」
「言わせてやれば良いじゃないか。蜘蛛から乗り換えたのだと」
「調子に乗らないで」
「主君がそこまで嫌がるなら、私もツチグモに伝えよう」

 主君は目を吊り上げたが、すぐに力を抜いた。

「……申し訳御座いませんでした」

 快感だった。主君が頭を下げる姿を見るのは。こうでなくてはならない。

「いや、私も悪かった。つまらない嫉妬だ」

 頭を上げさせて、細い腕を持った。
 筋肉が強張っている。近くにいるから緊張しているのかもしれない。
 ならば慣れれば良いのだ。
 その日から出来るだけ主君と一緒にいるようにした。主君もにこにこしていた。この光景を日常と受け入れたのか、ミチザネ殿やショウトクタイシ殿も私たちに苦言を零すことはなくなった。
 順調に進んでいる。
 主君は奴を部屋に入れなくなった。本当は私が代わりに行きたいところだが、不貞は独神としての評判を大きく下げるからと強く拒否された。最初はそれもそうかと納得していたが、あの頼光様の遺品を思い出すたびに欲望が募った。
 日々傍にいて分かった。主君は魅力的すぎる。触らずにいられない。頭や髪や手だけではどんどん足りなくなる。全てを手に入れたい。
 だが気に食わないこともあった。いつまでもあの蜘蛛を意識し、奴に接触しないよう私を見張り続けている。不愉快なので叱咤し、教育的指導として殴ったが、主君は痛がるだけで屈することはなかった。
 言いなりのようで、全く言いなりにならない。
 この強情な性格に困り果てた私は、もう待つのをやめた。

「主君が私に身体を許すならば、今までのことは全て水に流そう。ツチグモにも二度と接触しないと誓う」

 瞬きをする主君の耳元で囁いた。

「躊躇うことはない。兄とはしていたのだろう……?」

 予想以上の力で振り払われた。

「私たちを穢すような言葉、二度と口にしないで」

 主君の声は震えていた。怒りで、それとも屈辱で。走り去っていく後ろ姿は小さく見えたが、その肩は怒りに震えているように見えた。
 穢すもなにも、兄妹で愛を通わせる方が穢れている。
 まあじきに私の言うことも判るようになる。
 もう主君は私の手から逃れられないのだから。

25/07/09 加筆修正

次は独神の視点。それでこの長編は完全完結。
+で解説とオマケ小話。

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