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◇◇第十話◇◇
朝日が昇る頃、英傑たちは既に桜霞亭に集まっていた。
昨日の意見交換から、何かが変わったように感じられる。
「今日は形を定めましょう」
霞月は静かに告げた。その声に、英傑たちは身を引き締める。
「それぞれの和菓子に、はっきりとした姿を与える日です」
作業台には、新しい材料が並べられていた。
彫刻刀のような道具や、紋様を付ける型、色付けのための自然の染料。
いずれも神秘的な輝きを放っている。
「ただし、形だけでなく、中身も大切です。美しくても、美味しくなければ意味がない」
霞月は、各自の生地を見回った。
和菓子作りとは何かを知った彼らとそれぞれ話を聞き、各々作りたいものに合わせて材料と作り方を指導していく。
昨日までの混乱は影を潜め、それぞれがより安定した状態になっていた。
「さて、まずはアシヤドウマン様から」
アシヤドウマンの和菓子は淡い紅色を帯び、光を反射して艶やかに輝いている。
「昨日の気づきから、何か見えてきましたか?」
「ああ」
アシヤドウマンは力強く頷いた。
「オレの想いは強すぎると知った。だがまだ少し己の感情に振り回されている部分が大きいから、もう少し待ってくれ」
頷いた霞月は次にキッショウテンの元へ。
彼女の餡は最早空へは昇らず、しっとりと彼女の手の中に収まっていた。
「花の形にします。桜と椿を合わせたような」
キッショウテンは、花びらの形を作り始めた。
「主さまの優しさと、強さを表す花に」
一人一人の元を巡る霞月。
ヌラリヒョンの元では、初めて彼の意図した形が現れ始めていた。丸く、艶やかな白玉。
「月光のような和菓子を目指そうと思ってな。主が夜空を見上げる時の、安らぎを表したい。妖の儂は夜が縁深いからな。陽よりも月の方が良い」
にこりと霞月は微笑むと、次はコジロウの作業台へ。
コジロウの生地は、彼の手の中で優しく息づいていた。
「結び飾りの形だ。手間がかかるが……」
彼は言葉を切り、そして小さく続けた。
「主が笑うなら、この程度の手間はそこまで面倒ではない」
アタゴテングの生地は、風に乗りながらも、彼の意志に従って形を保っていた。
「風に形はない。だから僕の好きな山の色を表現する」
彼の周りを舞う風は優しい微風のようだった。
最後にハンゾウの元へ。
中の餡を包むように餅の生地がかけられていた。
「……」
ハンゾウは言葉を発しなかったが、その手の動きには確かな意志が込められていた。
一見すると飾り気がないが、口に含めば深い味わいが広がるような、そんな和菓子を形作っていた。
「皆さま、素晴らしいですよ」
霞月は満足げに頷いた。
「形が定まってきましたね。これなら、きっと独神様も喜ばれるでしょう。明日は、最後の仕上げです」
英傑達が頷いた。
「いよいよだな……」
コジロウまでもが、珍しく期待を込めた声を漏らした。
ハンゾウは何も言わなかったが、彼の目には微かな光が宿っていた。
「絶対に! 主さまを喜ばせてみせますわ!」
キッショウテンが力強く拳を握る。
「当然だ! これまでの修行の全てをかけるぞ!」
アシヤドウマンが大声で宣言した。
「では、明日の朝、早めに集合しましょう」
霞月が暖かく微笑む。
「皆さまの想いが形になる大切な日ですから」
そう告げ、霞月は店の中へと戻っていった。
英傑たちも、それぞれの道を行こうとした時だった。
「おや?」
アタゴテングが立ち止まり、風の動きを感じ取る。
「どうした?」
コジロウが不思議そうに振り返る。
「少し、変な気配がする。……まあ、気のせいかもしれないが」
アタゴテングは首を振り、歩き出した。
◇◇第十一話◇◇
翌朝、まだ夜明け前の暗い時間。
約束通り、英傑たちは早めに桜霞亭へと集まった。
最終日の緊張感からか、言葉少なに黙々と準備を始める。
「いよいよ最後の仕上げだな」
ヌラリヒョンが呟いた。
その目は普段の気ままな様子ではなく、真剣な光を宿している。
「今日こそ決めるぞ」
アシヤドウマンも腕まくりをしながら、力強く頷いた。
窓から差し込む朝日が作業台を照らし始めた頃、霞月が現れた。
白地の割烹着の上に、桜の花びらが舞う上等な前掛けを身につけている。
今日は特別な日だからか、いつもと少し違う装いだ。
「今日が最後の仕上げです。皆さま、これまでの学びを全て込めて──」
その時だった。
突然、桜霞亭全体が大きく揺れ始めた。
和菓子処の天井から、床から、窓から、あらゆる場所から黒い靄のようなものが噴き出してくる。
黒い靄は次第に形を取り始め、小さな悪霊の姿になった。
無数の悪霊たちがあちこちから湧き出るように現れる。
「大変ですわ!!」
キッショウテンが傍にいた妖精たちを庇うように前に出た。
先程までにこにこ浮かんでいた妖精たちが震えている。
「ウマソウナニオイ!!」
悪霊たちが群れを成して一気に作業場になだれ込んできた。
一匹一匹はいつもより小さくて弱そうな悪霊だが、その数があまりにも多い。
「コノ菓子、ベリアル様ニ!」
「ハラヘッタ!」
「甘イモノ、ヨコセ!」
悪霊たちの声が重なり合い、ひとつの大きな声のように聞こえる。
「甘い香りに誘われて来てしまったのですね……」
戦いに参加した事がないのであろう霞月は右往左往している。
「面倒な奴らめ……」
そう言いながらもコジロウは愛刀に向かって一目散に走りだした。
「刃は収めて!」
霞月の声が響く。
「ここは和菓子処。血は許されません」
コジロウは歯噛みしながら刀を取った。
鞘を抜かずに構える。
「戦えない奴は結界に入れ!」
アシヤドウマンが素早く印を結ぶ。
ゆるい顔した式神たちがこっちだよと手招きする。
剣はあっても鞘のないヌラリヒョンは精霊たちの避難に動いていた。
「怪我や身体の異常はうちに任せて下さい!」
キッショウテンは全員に加護を与えていく。
「悪霊は僕に任せてもらおう」
アタゴテングは風を操り、優しく悪霊たちを押し戻していく。
「風よ、導け」
風は作業場を巡り、悪霊たちを少しずつ外へと押し出していく。
だが、悪霊の数があまりにも多い。
血こそ流れていないが、材料や道具が散乱している。
「危ない!」
キッショウテンの声と共に、材料台が大きく揺れた。
その衝撃で、乳白色の壺が傾いた。
ハンゾウの姿が一瞬で消える。
次の瞬間、ハンゾウは床を滑るように壺の元へ到達し、見事に受け止めた。
しかし同時に、悪霊の大群が他の英傑たちの作り上げた和菓子に襲いかかろうとしている。
ハンゾウは壺を安全な場所に置くと、複数の分身を作って、作業台に残された和菓子を守る。
そのとき、予想外の事態が起きた。
悪霊の一団が天井から更に襲い掛かったのだ。
混乱の中、ハンゾウが守った壺は無事だったが、代わりに別の水晶のような壺が床に落ち、粉々に砕け散る音が作業場に響いた。
「天涯の星屑粉が……」
霞月の顔が驚きに染まる。
こぼれ出た星屑粉は光の粒となって舞い上がっていく。
その光は、悪霊たちでさえも動きを止めるほどの神秘的な輝きを放っていた。
光の中に、一つの光景が浮かび上がる。
若かりし日の霞月。そして、独神の姿が。
「これは……」
英傑たちの声が、一様に静まる。
光の中の景色は、はるか昔のものであると窺えた。
若き日の霞月が、旅の装いの幼い独神に和菓子を差し出している。
それは決して上手とは言えない和菓子だが、独神はそれを喜んで口にする。
ぱくぱくぱくぱく。
手を休めることなく、皿が空になるまで食べ続けた。
始終純粋な笑顔で「美味しい」と言う独神の姿に、英傑たちは息を呑んだ。
霞月は静かに目を閉じ、両手を広げた。
光の映像が消える。
「この記憶は、私以外知る必要はありません」
霞月の装いが一変した。
白地の割烹着から、七色に輝く天女の正装へ。
彼女の周りに風が渦巻き、星屑のような光が舞い始めた。
桜霞亭全体が、まるで天界の一部のように輝きを放つ。
天女の霞月は、優雅に手を翳すと、悪霊たちを撫でるように空中に文様を描いた。
「この場所は、争いの地ではない」
その声は柔らかいが、広大な空の如く響き渡った。
悪霊たちが身体を震わせる。
霞月の指先から漏れる光が、悪霊たちの身体をを包み込むと、彼らは一斉に絶叫をあげ、光の粒子となって消滅していった。
天女の正装を纏った霞月が静かに手を下ろす。
その瞳の奥には、深い慈しみと、静かな威厳が宿っていた。
「私は未熟者です。和菓子処で天女の力を使うなんて」
割烹着に戻った霞月は顔を覆って嘆いた。
「あの、霞月様……」
キッショウテンが恐る恐る声をかける。
「本当に申し訳ありません。悪霊の侵入を許してしまったのは店主である私の怠慢でございます」
霞月は深く頭を下げた。
「和菓子作りの極意は、力ではなく心。争いで解決するのではなく、甘さと優しさで分かち合うこと。ここではそれを体現しなけらばならないのに、力によって排除することを選んでしまいました」
彼女は散らばった星屑粉を見つめながら、自分自身に言い聞かせるように続けた。
「私も皆様と同じ修行の身です。もう一度和菓子作りを始めましょうか。独神様の笑顔のために」
散らかった作業場を見回し、英傑たちは決意を新たに頷いた。
◇◇第十二話◇◇
悪霊たちが消え去った後、作業場には静寂が戻ってきた。
床には砕け散った壺の破片と星屑粉が散らばり、作業台も道具も無残に散乱している。
「では、皆さまで片付けましょうか」
キッショウテンが率先して、倒れた椅子を起こし始めた。
他の英傑たちも黙ってそれぞれの持ち場を整え始める。
コジロウは「面倒」とは一切言わず、散乱した道具を丁寧に拾い集め、アシヤドウマンは壊れた壺の破片を拾い集めていた。
「この壺、修復するのか?」
霞月に問いかけると、彼女は首を横に振った。
「壊れた壺は、壊れたままで良いのです。それも思い出の一部ですから」
アタゴテングは風を操り、散らばった粉を一か所に集めていく。
「この粉は貴重なものなのだろう。どうすれば良い」
「食用には出来ませんが畑に撒くことは出来ます。こちらにまとめてもらっても良いですか」
「造作もない」
霞月は宙に渦巻く星屑粉をそっと眺める。
「……これは私の独神様への想いが形となったものです。あの方にお出しする時はいつも一匙だけ入れる、いわば隠し味」
ふふふと笑う。
「これは天女の私だから出来ることです。皆様はお気になさらず、自身の形を模索して下さい」
ハンゾウはいつも通り無言のまま、壊れた物を一所にまとめ、無事だった物を除け、見つけた雑巾で拭いている。
厄介事を持ってくる才能に特化した独神に仕えたおかげで身に着けた技術が役に立っていた。
「ありがとうございます、ハンゾウ様」
ヌラリヒョンは、逃げ惑っていた和菓子の妖精たちを呼び戻している。
悪霊が去り、和菓子作りの準備が整っていくと妖精たちは元気になった。。
「さて、皆さん」
片付けが一段落した頃、霞月が改めて英傑たちの前に立った。
今の彼女は、いつもの和菓子職人だ。
「気を取り直して、独神様への和菓子を完成させましょう」
英傑たちは黙って頷くと、それぞれの作業台に向かった。
乱れた心を整え、深呼吸をし、手を洗う。
悪霊との騒動があったにも関わらず、彼らの手つきは以前よりも更に確かなものになっていた。
それぞれの手元には、何度も挑戦して形になるようになった和菓子が置かれている。
アシヤドウマンの深紅の和菓子は、これまでで最も美しい色合いを帯びていた。
透明感のあった生地が、今は瑞々しく輝いている。
「なにかは秘密だ」
彼は力強く、しかし優しく生地を扱う。
迷いのないその動きは和菓子の本質へ一歩近づいたようだった。
キッショウテンの花の形をした和菓子も、もう空へは浮かばず、彼女の想いをそのまま受け止めている。
「主さまが、喜んでくださいますように」
ヌラリヒョンの白玉は、もう勝手に形を変えることなく、彼の意図した通りの姿に落ち着いていた。
「月夜のような、静かで優しい味わいに」
コジロウの結び飾りの形の和菓子は、繊細な技術が余すところなく発揮されている。
「不思議と面倒ではない。主の笑顔を思うとな」
アタゴテングの風に乗る和菓子は、最早風に翻弄されることなく、風と共に舞っている。
「風も僕も、同じ想いを持っている」
ハンゾウの和菓子は、その質素な見かけの下に、深い味わいを秘めている。
「霞月殿。最後に礼を言わせてもらう。殆ど物を言わない俺への指導は苦労しただろう。これは俺の情報を与えないためだ。すまなかったな。この礼は必ずする。主に渡した後にな」
最後の最後に、己のことを話したハンゾウの和菓子からは確かな想いが伝わってくる。
霞月は彼らの和菓子を一つ一つ見回り、そして自分自身も和菓子作りに取りかかっていた。
彼女の手元には、思い出の和菓子の面影がある和菓子が作られつつあった。
作業場には、甘い香りが漂い始める。
それは悪霊を引き寄せるほど魅力的でありながら、今は静かに心を和ませる。
和菓子の妖精たちは英傑達を祝福するように、くるくると回っている。
ついに、全ての和菓子が完成した。
それぞれ異なる形、異なる色、異なる香り。
しかし、その全てに共通するのは「独神への想い」という真心だった。
「皆様、素晴らしいです」
霞月の顔には、心からの満足の表情が浮かんでいた。
「これらの和菓子には、皆様の魂が込められています。必ず、独神様の心に届くでしょう」
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