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◇◇第三話◇◇
翌朝。約束の時間より早く、英傑たちは桜霞亭に集まっていた。
一人として遅れる者はなく、それぞれが独神への想いを胸に、真剣な表情で待っている。
「お待たせしました」
霞月が店の奥から現れた。
白地の割烹着に身を包み、黒髪は丁寧に束ねられていた。
手ぬぐいを額に巻き、たすきをかけた姿は、まさに菓子職人そのものである。
「では早速、和菓子作りの基本を教えましょう」
霞月は英傑たちを広い作業場へと案内した。
作業台は六つ、人数分並んでいる。
その上には木製の型や竹べら、石臼に、神秘的な輝きを放つ材料たちが並ぶ。
「最初は餡作りから。馴染みがあるものの方が良いでしょう」
そう言って霞月は銀色に輝く小豆を取り出す。
色こそ神秘的だが、八百万界でよく使われる小豆と同じに見える。
「これは月光小豆と申します。普通の小豆より扱いが難しいのですが、その分美味しい餡ができるのです」
英傑達はその不思議な小豆をしげしげと眺めた。
「まずは、小豆を研ぐところから」
霞月が自らの作業台で手本を見せる。
小豆に触れた瞬間、ほのかな光が指先から零れ落ちた。
美しい光景に英傑達は息を呑む。
「さて、皆さまもどうぞ」
早速、英傑たちは餡作りに挑戦することになったのだが──。
「む? まんじゅうができてしまった……」
ヌラリヒョンの作業台からは餡子たっぷりの薄皮のまんじゅうがあった。
小豆を研いだだけなのに、何故か完成された和菓子になってしまった。
「まだ餡を作っている段階ですよ? いったいどうやって?」
霞月は困惑気味に首を傾げる。
天女の長い経験の中でも、このような現象は初めてのことだったのだろう。
「貴様ら、この程度で躓くとは情けない。見よ、オレの餡を!」
アシヤドウマンは得意げに自分の作業台を指差した。
「……それは煮すぎです」
真っ黒になった小豆を前に、霞月は静かに指摘する。
「な、なんだと……!」
自分の失敗が信じられないアシヤドウマンの隣の作業台では、コジロウが「面倒だな」と言いながらも、繊細な手つきで小豆を研いでいた。
愛想はからっきしで、態度も良くないが、作業自体は丁寧そのものだった。
「あら、その手の動きは良いですよ」
霞月に褒められ、思わず顔を背ける。
普段料理をしないコジロウは内心はほっとしていた。
「何故貴様だけ……さては天女を買収したのか!?」
「お前が下手なだけだろ」
キーキーと一方的に喚く作業台と離れた所では、キッショウテンが几帳面に、一粒一粒丁寧に小豆と向き合っていた。
アタゴテングは「風に任せてみようか」と言い、小豆が舞い踊るのを慌てて霞月が止める。
そしてハンゾウは。
「……」
無言で言われた作業するハンゾウの手元を、霞月はじっと見つめていた。
その動きには無駄がなく、まるで長年修練をつんだかのような安定感があった。
霞月はふっと微笑んだ。
「皆さま、和菓子作りは基本が大切です。焦らず、一つ一つ──」
霞月の言葉が響く中、英傑たちの修行の一日目は、そうして過ぎていった。
◇◇第四話◇◇
「今日は出来上がった餡を見せていただきましょうか」
一人で餡を作らせ、その出来栄えを見ようというのだ。
霞月は英傑たちの作業台を順に見て回る。
まずはヌラリヒョンの元へ。
「これは……?」
「餡のはずなのだが。いつの間にかこのような姿に」
作業台の上には、月光のように輝くまんじゅうの山。
見事な出来栄えだが、餡ではない。
初日でまんじゅうを作った者なので、霞月も目を離さないでいたのだが、気付けば毎度まんじゅうになってしまう。
「月光小豆の特性が、あなたの中で独自の反応を見せたのでしょう」
霞月は何かを思いついたように目を輝かせた。
霞月ですら未知の現象に、職人としての好奇心が刺激されたようだ。
次にアシヤドウマンの元へ。
彼は何度も失敗をしたが、挑戦を諦めようとする言葉は一切吐かなかった。
「フッ。この程度オレにかかれば容易いことだ」
豪快に腕を組み、得意げな表情を浮かべる。
「ええ、なかなかいい色に──」
「いや、まだだ。貴様の作る物には遠く及ばない。これでは主人は喜ばせられないだろう」
そんなこと、という言葉を霞月は呑み込んだ。
傲慢な態度を絶やさないアシヤドウマンであるが、向上心に溢れている。
何も言わないまま、コジロウの作業台へ進んだ。
「コジロウ様のは……素晴らしい出来栄えです」
霞月は感心したように餡を見つめる。
「まあまあだな」
そっぽを向きながら、コジロウはどこか嬉しそうだった。
きっと独神のことを考えているのだろう。
霞月はアタゴテングの作業台に行こうと身体を向けると、アタゴテングの作業台の上で餡が風に乗り、精霊たちと踊っていた。
「邪魔してはいけませんよ」
精霊に注意をすると、アタゴテングは首を振った。
「邪魔などしていない。そうしたいと小豆も望んでいた」
霞月はにこりと微笑んだ。
アタゴテングは常人には聞こえない材料の声を聞き取っているのだろう。
職人の霞月から見ても、餡の状態はとても良かった。
常識から外れていたとしても否定しないのが霞月である。
次はキッショウテンの作業台だ。
キッショウテンはあまり几帳面ではなく、本人も自覚しているために緊張していて、作る度に状態が変わり失敗も多かった。
だが今作業台の上に乗った餡は、ちゃんと輝く餡に仕上がっていた。
「とても綺麗にできましたね」
「はい! ベンザイテンさまに見られていることを想像して作りましたわ。ベンザイテンさまの前で一時たりとも適当にはできませんもの。……で、でも! 主さまが召し上がって美味しいと思って下さるようにともちゃんと考えていますのよ!」
キッショウテンは慌てて言い直した。
二人の大切な人のことを考えた結果、餡が仕上がったのだ。
霞月は微笑んだ。
最後にハンゾウの作業台へ行く。
作業台の上には、完璧な餡、色も艶も理想的な状態に仕上がっていた。
霞月は一瞬、目を見開いた。
「……なにか不備でも?」
「いいえ、なんでもありません。とてもよく出来ていますよ」
「そうか」
霞月は動揺を隠しながら、最初の立ち位置へ戻っていく。
(独神様の好みに完璧に仕上げてあった……!)
霞月の口元が弓のように上がった。
梅の花びらが更にふわふわと舞う。
英傑達が見える位置へ戻った霞月は言った。
「では、明日からは本格的な修行に入りましょう」
その言葉に英傑達は緊張を緩ませ、明日へのやる気をみなぎらせていた。
だがまだ彼らは気付いていなかった。
和菓子作りとは、こんなものではないと。
◇◇第五話◇◇
「さて、本日からは」
霞月は作業台の上に並んだ道具を手にしていく。
彼女が触れると、その一つ一つに、かすかな光が宿っているように見える。
「和菓子の形作りを学んでいただきます」
霞月の声は静かだが、その言葉には重みがあった。
英傑たちは思わず背筋を伸ばす。
「茶席などでお出しする和菓子は、見た目も大切な要素です。もちろん独神様にお出しする際も、目で楽しませなくてはなりません。和菓子は食べる前から始まっているのです」
そう言いながら、霞月は作ってあった餡子を取り出した。
まるで星屑のようにきらめいている。
「今日はまず、練り切りの技法を」
早速実演が始まる。
霞月の手にかかると、こし餡がみるみるうちに桜の形になった。
「このようになります」
だが。
英傑たちが真似をすると、思いもよらぬ事態が起こった。
「げ、消えてしまった!?」
アシヤドウマンの練り餡が、突如として透明に変わる。
彼は慌てて手を動かすが、それでも練り餡は見えないままだ。
「あ、浮いていく……」
キッショウテンの練り餡は、風船のように膨らみ始め、やがて彼女の手から離れて空中へと漂い始めた。
彼女は慌てて飛び上がり、それを掴もうとするが、練り餡はさらに高く舞い上がる。
「……」
ハンゾウの練り餡からは、忍術の煙幕のような霧が立ち始めた。
静かに立ち込める白い霧に、ハンゾウの眉間に僅かに皺が寄る。
「はっはっは。皆の者、慌てるでない」
ヌラリヒョンが呑気に笑う。
その余裕の表情とは対照的に、彼の作業台の上では月見だんごが転がっていた。
本来作るはずの和菓子とはまったく違う物が出来上がっている。
「やれやれ、また違うものが」
彼は肩をすくめるが、その目は興味深そうに自分の作ったものを眺めていた。
「おいっ。何故動かない!」
コジロウの練り餡は、硬質で竹ヘラをものともしない。
彼が苛立ちを見せて力を込めるほどに、練り餡は頑固に反発していくようだった。
アタゴテングだけは──
「ほう、面白い」
生地が風と一体化し、桜の花びらのような形を自在に作り出していた。
彼は自分の周りを漂う風に身を任せ、まるで風と会話するかのように微笑んでいる。
「ふふ、予想通りですね」
困惑する英傑たちを前に、霞月は楽しそうに微笑む。
「月光小豆の難しさとはこれです。作った餡には作り手の心が強く映り込みます」
そして一歩前に出て、彼女は静かに、しかし力強く告げた。
「これこそが、本当の修行の始まり。和菓子とは心を映す鏡なのです」
その言葉が、作業場に静かに響き渡った。
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