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午後 壱
訓練場から聞こえる木刀がぶつかる音が、昼下がりの本殿に響いていた。英傑たちが日々鍛錬を積む場所だが、今日は特に活気があった。汗の匂いと熱気が漂ってくる。
独神は本殿を見回りながら、その様子を眺めていた。
「はぁ……またか」
不意に聞こえてきた溜息に振り返ると、ササキコジロウが疲れた表情で立っていた。彼の手には包帯と軟膏の入った小箱がある。
「コジロウ、どうしたの?」
「ああ……主か。怪我人が出たらしい。手当てをしてこいと言われてな」
コジロウは面倒くさそうに肩をすくめた。長い刀を背負う姿勢から気だるさが滲み出ている。まるで常に眠気と戦っているかのような独特の間延びした口調で続けた。
「わざわざ俺に頼むことでもないだろうに……」
そう言いながらも、コジロウは訓練場へと向かっていく。独神も気になって建物の外から覗き込んだ。
訓練場に着くと、一人の英傑が膝を押さえて座り込んでいた。周りには他の英傑たちが心配そうに集まっている。
「どけ。見せてみろ」
コジロウが人々を掻き分けて近づくと、怪我人は少し緊張した表情を浮かべた。
「みんな大袈裟なんだって。こんなの大したことねぇから」
「黙って見せろ」
コジロウは膝をついて怪我を確認した。確かに大きな怪我ではなさそうだが、出血が止まらない。多分誰かの術が当たったのだろう。放っておいて良くなるものでもない。
「ちっ……面倒な」
そう呟きながらも、手の動きは意外にも丁寧だった。小箱から清潔な布を取り出し、傷口を優しく拭う。その後、軟膏を塗り、包帯を巻いていく。独神は思わず見入ってしまった。
「動かすな。そのまま……」
コジロウの包帯を巻く手つきは見事なものだった。確かにこの手つきならば治療を頼まれもするだろう。新しい発見だと独神は楽しそうに眺める。
「意外な特技だよな。手当てが上手いなんて」
周りから声が上がると、コジロウは鼻を鳴らした。
「刀で人を斬る者なら治療の機会も多いからな」
コジロウの言葉に、場の空気が少し引き締まった。その平坦な口調の中に、数え切れない戦場を渡り歩いてきた過去が垣間見える。悪霊襲来以前より日常的に人を斬って生きた者の言葉には重みがある。
「ありがとな」
手当てを終えた英傑がお礼を言うと、コジロウは「気にするな」と短く答えた。
手当てを終えたコジロウが立ち上がった時、少し顔を歪めた。すぐにいつもの眠そうな顔に戻ったが、独神は目を細めた。
コジロウが訓練所を出てきたところを捕まえた。
「さっきの怪我はどうだった?」
「大したことはない。ただのかすり傷だ」
「じゃあこっちも?」
独神はコジロウの袖を引っ張った。
「……何のことだ」
「判らないならついてきて」
独神は袖を掴んだまま、人気のない庭の隅へと連れていった。コジロウは面倒くさそうにしながらも従った。
「どうしたんだ、主……」
「脱いで」
「は?」
コジロウの普段の眠そうな目が一瞬で見開かれた。
「上着だけでいいから。怪我してるでしょ?」
独神は真っ直ぐにコジロウを見つめた。その熱い視線を受け、思わず目を逸らす。
「放っておいてくれ」
「ダメ。他の人の手当てはするのに、自分のことは放っておくの?」
独神の強い口調に、コジロウは諦めたように溜息をついた。
「……ただ面倒なだけだ」
「私がやるなら面倒じゃないでしょ。観念してね」
コジロウはゆっくりと上着を脱いだ。上腕部に赤い傷があり、血が少し滲んでいた。傷口はヤスリで擦ったようにズタズタだ。
「こんなに酷くてどこが大したことないのよ」
「……はあ」
「はあじゃないでしょ。こんな傷放っておいたら化膿する」
独神は医療箱から清潔な布を取り出し、彼の傷をきれいに拭き始めた。コジロウは黙って独神の手当てを受けていたが、どこか落ち着かない様子だった。
「痛い?」
「俺はこれくらいの痛みには耐えられる」
そう強がるコジロウだが、独神の指が触れる度に身体が微かに震えていた。どこか落ち着かない様子。いつもの眠たげな目は逸らされ、耳の先が僅かに赤くなっている。
「ごめん。もっと優しくするね」
独神はより丁寧に手当てを続けた。まず清潔な布で傷口を優しく拭い、手の平全体を使って患部を支えながら、もう片方の手の指先で軟膏を取る。その仕草はどこか美しかった。傷に塗る際には指先に力を入れすぎないよう細心の注意を払い、まるで絹を撫でるかのように優しく薬を広げていく。
コジロウは独神の手元を見つめていたが、その視線が独神の顔に移るたびに慌てて目を逸らした。コジロウの呼吸は普段より速く、独神の指が触れる度に僅かに息を止めている。いい大人だが、今は少年のように落ち着かない。
「主……わざと時間をかけてないか?」
「さっきの手当て、すごく上手だったから。実はちょっと緊張してる」
独神は一つ一つ丁寧に治療しながら、コジロウの様子を観察していた。いつも人を見下ろすように立つ高身長の剣士が、今は視線を泳がせている。独神に見せるこの弱さが、なぜか嬉しかった。
対悪霊用の軟膏を塗り、包帯を巻き終えると、独神は満足そうにコジロウの腕を見つめた。
「これでよし。ちゃんと毎日取り替えてね」
コジロウは言葉を詰まらせていた。
「……、っ感謝する」
小さな声で感謝を伝えると、コジロウは素早く上着を羽織り直した。逃げるように去ろうとするので、独神は引き留めるために話しかけた。
「さっきの任務の時に怪我したの?」
案の定、コジロウは足を止めて返事をした。
「……ああ」
「そうなんだ。疲れてるのに手当てして回ってたんだね」
コジロウは顔を背けた。
「大したことじゃない……主が命じるなら今すぐにでも戦いにいける」
「違う違う。無理はしないでって言っておきたくて。だってあなたが倒れたら、私が困るから」
コジロウの表情が微かに和らいだのが判った。
「俺のことをそこまで気にかけてくれるのか」
「当たり前じゃない。大切な英傑なんだから」
独神はそう言って微笑んだ。
「主……」
コジロウは何か言いかけて、すぐに言葉を飲み込んだ。
「何?」
「いや……何でもない」
しばらくの沈黙の後、コジロウはポツリと言った。
「次からは……自分もちゃんと手当てする。主に心配をかけないように」
「約束だよ」
用でもあったのか、足早に行ってしまうコジロウを独神は不思議そうに眺め続けた。
(一太刀も浴びないよう俺が強くなればいいだけの話だ。治療の腕なんぞ上げてたまるか)
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