オオクニヌシは今日一日見回り当番だった。
山間部の村で悪霊を討伐し、行商の護衛をして都まで辿り着いた頃には夕方になっていた。
大通りから小道に入れば、長屋から夕餉の匂いが漂い、混じり合っている。
見る限り、今日は悪霊に襲われる事無く平和に過ごせたようだ。
ほんの一時でも家族が向かい合って食事を取る事が出来たのなら、英傑として、この地を作った神として満足である。

(……ん。泣き声?……赤ん坊か。元気な事だ)

悪霊によるものではない事にほっと胸を撫で下ろした。赤子とは須らく喜ばしい。絶滅の危機に瀕している我々だが、新たな生命が芽吹いているのなら希望はある。独神と、集った仲間たちと必ずや悪霊を一掃して、八百万界を再建するのだ。

(しかし、長いな。これでは母親は大変だろう)

夕方と言えば食事の支度に入浴、寝かしつけに、明日の為の細々とした支度と母親は大忙しだ。
だが、赤子にはそんな事情は関係ない。
泣きたい時に泣くのが仕事である。少し様子を見てみようかと、歩を進めていくと、長屋の前で母親と思しき者と抱かれた赤子、そして。

(スクナヒコ……?)

「本当は今日する事じゃねえから効果は薄いが、少しはましだろ。そのままじっとしてな」

スクナヒコはきんきんと甲高い声で泣き叫ぶ赤子の腹を指で押さえると、短く言霊を放った。
すると、真っ赤な顔で鼻水と涎を垂れ流していた赤子の声が少しずつ小さくなっていく。

「虫封じだ。つっても、簡易的なもんだからな。長くは続かねえし、効果も薄い。もう少しで虫切りの儀式があるんだが、それまで……大変だけど、頑張れるか?」

「あと数日、ですもんね。頑張ります。今日はありがとうございました、本当に助かります」

母親の声は震えていた。

「今までよく頑張ったな。当日は、このおれがしっかり疳の虫切ってやるから」

スクナヒコが母子と別れた所で、オオクニヌシは長屋の影から一歩踏み出し「よう」と声をかけた。

「げ。相棒」

「相棒に、げ、とは何だ?」

オオクニヌシは緩んでしまう顔を抑えられない。

「その顔が嫌なんだよ。全部判ってますって含み顔がな」

全部判っているのは相棒であるスクナヒコも同じである。オオクニヌシが何を言うかも見通しているのだろう。

「しっかり神様やってるじゃないか」

「神様なもんでね。って相棒もだろ」

二人で笑う。歩きながら話す。

「ほら、そろそろおれの魂が集まるだろ?それでおれも変に浮足立ってな」

スクナヒコは一人だけだが、スクナヒコを祀る場所は各地に点在している。
ご神体にはスクナヒコから分かれた神霊が入っており、それらがスクナヒコの中に帰ってくる祭りがこの時期なのだ。

「おれが一つになる日には、虫を切りまくらなきゃならねえし……肩が凝るぜ」

赤子はそもそも泣くものであるが、時折その程度が酷い者がいる。
特に夕方、訳もなく泣き叫び、奇声をあげ続ける。その原因は赤子の中にいる「疳の虫」が原因で、スクナヒコはその虫を封じたり、外に出したりすることが出来るのだ。

「これをやらねえと出雲に行けねえからな。……はぁ」

十二ヵ月に一度、神族が出雲に集う。それは、オオクニヌシも同様であるが、スクナヒコほど忙しくはない。

「頑張るスクナヒコに、一杯奢ろうか?」

「やったぜ。……って言いてえとこだが、悪いな相棒。暫くは一緒に呑めねえや。偶にはおれも神らしい事してやらねえと」

普段は酒浸りだが、この時期はあくせくと働く。会う度に面倒だ大変だとは零すが、その顔はいつだって嬉しそうで、とても輝いて見える。

「そっか。じゃあ、また出雲でな」

「おうよ」

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