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すっ。ふっ。すっ。
私はそっと短く切った息を繰り返す。聞いた人に違和感を抱かせないように。
そうやって慎重に呼吸をしながら、私の右手は足の付け根にある、気持ちの良い所を探すことに必死だった。
蒲団を出来るだけ動かさないように変な曲げ方をしている手首が少し痛むが、それ以上に自分の指先から与えられる刺激が上回って夢中だった。
ふわっと温かくなる熱を受け止めると、身体がぶるりと震える。
脱力した身体で天井を仰ぐ。誰もいないといいなと思いながら。
気怠さを押しやり、私は蒲団から這い出て机の上の懐紙で粘ついた指を拭う。
最悪である。
一人でしている最中と、終わった瞬間は何もかも塗りつぶされていく感覚で気にならないが、終わって暫くすると大体後悔する。
誰かに会わないことを祈って、足早に手を洗いに行く時ほど惨めで情けないことはない。
外でも手洗いは出来るのだが、こんな夜中に手を洗う奇行を説明できないのでいつも遠くても室内で洗うようにしている。手洗いの言い訳がしやすい雪隠横の手水で、石鹸を使って爪の間まで念入りに洗う。洗っても洗っても匂いがこびりついているような気がしてしまうのは、殺した後に血の匂いが取れない感覚と似ていると思う。ちょっと馬鹿なことを言った自覚があるので忘れよう。
手を洗い終えて振り返ると、そこにカグツチが立っていた。
「幽霊じゃねぇ!?」
突然現れたカグツチに驚く前に、あっちが変な声を上げる。
「小豆も洗ってませんが」
私は独神業で養われた冷静さで軽く答えた。実際は心臓が握りつぶされそうである。
会ったのがカグツチなのは幸運だった。
言い訳すらせず帰ろうとすると、カグツチが呼び止めた。
「どっかいくのか」
「部屋に戻るよ」
「途中まで一緒に行く」
会話もないまま二人で歩き、私の部屋の前に差し掛かった時、カグツチが重い口を開いた。
「もう少し時間あるか?」
時間はある。
だがなんとなく、このままさっき一人でしていた部屋に入れるのは恥ずかしい。
「カグツチの部屋ならいいよ」
そう答えると、カグツチは嬉しそうに頷いた。
カグツチの部屋に着いたがなにもすることがなく、しかも何を話せばいいのか判らず沈黙が続く。
誘った方が話題を提供してくれれば良いのに。仕方がない、私がやるか。
「ねぇ」
「おお!?」
私が口を開くと、カグツチが大げさに反応した。
「今日討伐でさ」
英傑なら誰でも話しやすい話題から始めてみる。カグツチもいくらか喋ったが、話が膨らむわけでもなく、すぐに途切れてしまった。
どうやら話したいことが別にあるようだが、なかなか切り出せずにいる。
今晩は眠いわけでもないし、このままダラダラと付き合ってあげてもいいかと腹をくくり始めた時だった。
「主《ぬし》、さっき誰かに会ってたか」
ふと、カグツチがそんなことを聞いてきた。
「夜中はカグツチだけだよ。寝る前はシュテンに会ったような……見ただけというか。いつものメンツで酒盛りだったけど、私が遅れて行ったらみんな潰れてて帰っちゃったんだよね」
すっかり出来上がった酔っ払いたちが楽しそうにしているのを見て、私はそっと立ち去った。
今更入ったところで疎外感しかないような気がしたのだ。
仕方なく寝ようとして、人肌が恋しくなって、一人でして誤魔化していた。
「ほんとにそれだけか?」
「それだけだけど。なんで?」
「いや。なんでもねぇ」
カグツチは満足げにしていた。
そして再び沈黙が訪れる。この感じ、話を切り上げるのも私なのだろうか。
カグツチってこんなに会話が下手だっけ。
「……そろそろ。戻ろうかなって思うんだけど」
「ああ……そうだよなぁ」
なぜかお互い動こうともしない。
私はカグツチを動かそうと話を振った。
「カグツチは寝ないの? いつも早く寝てる気がするけど」
「いつもはそうだな。暗いとやる気でねぇし」
「……もう真っ暗だよ」
「夜中過ぎてるからな」
「寝れないの?」
「……多分」
「多分って何」
思わず笑ってしまう。自分のことなのに多分って。
でもさすがに判った。私に帰って欲しくないのだと。
「じゃあ私が添い寝でもしてあげよう。とんとんしてあげる」
冗談半分で言ったのだが、カグツチの反応は予想外だった。
「ほんとか!?」
駄菓子を貰った子供みたいに嬉しそうだ。
敷かれっぱなしと思われる蒲団へ行き、カグツチの横で寝転んだ。
「床は痛ぇし冷てぇだろ」
そう言うと、少しずれて、場所を作ってくれる。
なんだかこれでいいのかという気もするが、確かに床は痛いし冷たいので、遠慮なく寝転んだ。
とんとんしようと手を上げて、なんとなく利き手とは逆の手を使った。洗ったとはいえ、なんとなく気が進まない。
背中を優しくトントンと叩く。
しばらくして、カグツチが呟いた。
「叩かれてるみてぇで寝れねぇ……。嫌じゃねぇけど」
それなら、と手のひらで頭を撫でることにした。
カグツチの呼吸が落ち着いてくる。
「主《ぬし》」
「ん」
「オレ、主《ぬし》がいなくなるんじゃねぇかって思った」
「んー?」
「いつもと違って……色っぽかったし」
ぎくりとする。
一人でしたことがそんなことでバレるものなのだろうか。そもそも顔に出ていたのが猛烈に恥ずかしい。
「誰かと……そうなのかって。ほら。……その……。好きなヤツと、いたとか」
「へえ……ま、そういうの全然ないんだけどね」
恋人はいないし、欲しいと思ったことがない。
ただ時折、少しだけ人に近づきたい日があるだけだ。
「だよな。じゃなきゃ添い寝なんてするわけねぇよな」
「そうそう」
「オレが寝るまでずっと起きてんのか」
「んー……」
「主《ぬし》も寝りゃ良いだろ。狭いけどな」
「それもいいかな」
ずっと上げ続けていた頭を下ろすと、カグツチが蒲団をかけてくれた。
二人で一つの蒲団は確かに狭く、私の身体ははみ出している。
「カグツチ、そっち蒲団ないでしょ」
「あんまいらねぇ。暑ぃ」
「じゃあ遠慮なく」
同じ敷布団にいながら、お互いに触れることはない。
カグツチも手を出してくる様子はない。我慢しているようも見えない。
少し動けば手や腕や膝や背中が当たるが、温かいなという感想でしかなかった。
寝返りを打てばそれも離れる。追いかけるほどではない。
すぐ近くにある。それで十分だった。
「カグツチ」
「なんだ」
「なんか、ありがと」
「なにがだよ」
「気にしないで。寝て」
「気になるだろ」
「寝ないと明日起きれないよ」
「そうだな……」
カグツチはずっと眠かったのだろう。あまり気にする様子もなく、しばらくすると規則正しい寝息を立て始めた。
追いかけるように私もすぐに寝てしまった。
朝、ボヤ騒ぎが起こった。
いつものようにカグツチの部屋から火が出たと思えば、そこに独神がいたという話で、別の意味で炎上してしまった。
一夜を共にしたということで疑いの目を向けられるが、私は落ち着いて答えた。
「寝かしつけてた」
嘘は言っていない。だが、この場では何を言おうと説得力に欠ける。本当であってほしいと思いながらも、嘘である可能性を捨てきれずにすがるような目で見てくる英傑たち。困ったなぁ。
「寝れないっていうから付き合ったら、そのまま寝落ちしただけだよ」
「よかったぁ! 主《あるじ》ちゃんが嘘言ってなくて」
サトリの一声で、英傑たちはにっこりとしながら解散していく。この分かりやすさと素直さは結構好きだ。
目配せしてきたサトリには、指だけで合図を送った。次回は私の奢りだ。
「だぁ! かぁ! らぁ! 添い寝してもらっただけだっての!!」
「添い寝もずるいだろ!!」
案の定、カグツチは他の英傑に涙ながらに詰められている。私が助けると火に油を注ぐので、他人事のように着替えに部屋へ帰った。
いつもの日々に戻り、仕事をこなす。
小腹が空いたなと八尋殿を出ると、物陰に隠れたカグツチが「主《ぬし》!」と小声で呼んだ。
「主《ぬし》、悪ぃ。起きたら隣に主《ぬし》がいてびっくりしちまって、気付いたら燃えてた」
そうだと思った。おかげで朝から絶叫を受けて、耳は痛くなるわ、肌が焼けるわで散々な目に遭った。
「今度はボヤ起こさねぇからさ、……」
私はカグツチの言葉に被せるように言った。
「また添い寝してもいい?」
口元で人差し指を立てる。
カグツチは嬉しそうに、ぶんぶんと頭を振っていた。
本当は私もそんな気分だったけれど、へへと笑うだけにした。
人肌が恋しい話。
コロナ禍の小説ではよくあったんだよね。
もっと軽いやつだと、人が生きているという気配があればいい。って。
ちょっとどの小説だったか忘れたけれど。
私たちって、なんだかんだ社会的動物なんだなって思ったの。
喋る人がいて、仕事も充実していて、でも寂しい。なんとなく人に触れたい。
それを叶えるには友人じゃ駄目で、どうしても恋人の領域になる。
だが恋人自体は必要としていなくて……になると、叶えるのが難しいのよね。
今回は添い寝ってことで。お互いに納得した上でだから、ありだよね。
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