糸の行方-独神視点【完結】

「サスケ!」

 私は絶対服従の忍を呼び出した。

「一連のこと、全部見てるよね」
「当然」
「私が脅されてるのも、なにが弱味になってるかも判ってるよね」
「承知している」
「……もう、ツチグモにバレてもいい」

 口にするだけで屈辱感で頭がグラグラしてくる。

「私の兄がツチグモを殺しちゃった張本人だって知られても良い」

 私も兄もあんな男に穢されてたまるか。馬鹿げてる。

「ツチグモにそれとなく知らせて。最近ずっと私を探ろうとしてる。辿らせてあげて」

 もう糸は切らなくていい。

「ウシワカマルへ誘導して。ヨリトモを動かすのに使えるから」

 飄々としているウシワカマルが、ヨリトモにだけは執着している。
 この異常事態にもとうに気付いているはずだ。出方を迷っているなら示せばいい。あとは自動的に事が動く。

「ツチグモが私に接触してきたら、あとは自分でやる」
「御意」

 ツチグモ。今までほんとうにごめん。
 嫌われたくなくて、別れたくなくて、兄のことを知られまいと他人の思い通りに動いてしまった。
 そのせいで触られる羽目になって、ツチグモを避けて心配させて、全くツチグモのためになってなかった。
 けれど、さすがに目が覚めた。
 私はちゃんと、頼光の妹として、ツチグモの復讐心を解消させる。
 煮るなり焼くなり、ツチグモの望むまま。受け入れる。
 嫌われるのも我慢する。大事なのはツチグモの気持ちだから。
 私と別れて私じゃない子を好きになってもいいもん。我慢する。我慢できる。あんなにいいひとだから、意外とすぐ言い寄られたりするのかな。ははっ。だってあんなにかっこよくて優しくて、素敵な妖だよ。私を好きになってくれて、いっぱい……いっぱい……味わったことのない幸せをくれた。
 手放す勇気を持たなきゃ。
 だってツチグモのためなんだから。
 ……でもその代わり、私の最期の景色はツチグモ一色にしてもらう。
 どうせ、私のことなんか忘れちゃうんでしょ。でも独神を殺したのが誰かなんて、私と八百万界は忘れない。この血でしっかり染めてから死んでやる。

「……サスケ。あなたの願い、今、教えて」
「今?」
「だって、私が死んだら叶えてあげられないじゃない」
かしらに重用されて伊賀より抜きんでた。それで満足した」
「嘘。本当はもっとあるくせに。……答えなかったサスケが悪いんだからね」

 私がさっさと踵を返すと、背中に声がかかった。

「なら最後まで契約を果たせ」

 なんのことだろうと一瞬思った。けれど少し考えたら言わんとしていることが判った。
 ふっと笑ってしまった。その不器用さに。
 振りかえると、サスケは真剣な顔をして言った。

「ご武運を」

 私は片手をあげてそれに応えた。
 私はツチグモの望みが一番だから、生きて戻ってあげるかは別だけどね。



 ────なーんて決意したは良いものの、何もかもが想定外。
 ツチグモは私のことを殺すどころか手加減し、私も途中で演技が破綻してしまった。
 兄の刀を引っ張り出して、兄の技を真似て、躊躇いなく斬れるように嫌な人間になってあげたのに。
 必死だった。兄の動きは完全に覚えていたけど、刀が重くて再現しきれない。ただ振るだけじゃない。兄の刀はもっと早くて正確に命を断ち切った。兄は天才だったのだろう。兄の凄さを改めて思い知らされた。
 そして、ツチグモも。凄かった。
 最初に会った頃とは動きが違う。正確さと速さが上がっていて、討伐を繰り返した成果が出ていたのだと思う。本当に強くなった。
 ツチグモの強さは戦いの技術に限らない。私に関する情報を耳にし、私に斬られ、それでも尚許したことだ。
 …………あんな濃厚な口吸いには驚いたけど。
 憎い相手の妹の舌を噛み千切りもせず、いつも通り、いやそれ以上に気持ちの良いことをされてしまった。息すら奪われそうなほどに貪って、私の内側を蹂躙していた。
 もっと罪悪感を持たないと。
 もっと強くならないと。
 もっと嫌われないと。
 そんな建前を全て壊して、私はただ、久しく感じていなかった好きな人の本気に溺れていた。

 唇を離されて、ようやく我に返った時だった。
 久しぶりに向けられる、あの独占的な眼差しに見下ろされて心臓が跳ね上がった。

 身体が伝える温もりも、言葉が伝える優しさも。
 このひとは私にないものばかりくれる。
 離れるなんて無理だ。誰にも渡したくない。ずっと私を見て。

「愛してる。死ぬまで私のこと飼って欲しい」

 最悪の告白だと自分でも思った。
 でも本音だった。私の首に糸をつけてずっと操って欲しい。

「俺の物だからな。ちゃんと弁えろよ」
「うん」
「さっさと本殿に帰るぞ。ぬしがいなくなったって、あいつら慌ててるはずだ」

 引かれて当然のことを言ったのに、ツチグモは顔色一つ変えないから変な人だと思ったくらい。
 同時に、そんなツチグモに身体が熱くなってしまった。

「足でもひねったのか?」
「……手をつないでくれないと歩けない」

 代わりに言った我儘に、ツチグモはどこか嬉しそうに手を差し出した。

「ほらよ」

 温かい手のひらが重なった瞬間、我慢の限界を超えた私はツチグモを引っ張り、勢いよく押し倒した。
 葉っぱが舞って、ツチグモは少しだけ驚いた顔をしていた。

「…………やっぱり待てない。今すぐ抱いて欲、」

 全て言い終わる前に、ツチグモは私の襟を掴んで口付けた。
 激しい口付けをしながらも一時も我慢できないかのように衣を荒々しく脱がし、痛いほど強く執拗に身体を掴んでいく。私も同じ気持ちで身体の全てを委ねた。
 そして太陽が出ている中、私はなにもかもを曝け出してる。外でするなんてありえないのに止められない。いけないと判っていて快楽を貪る姿を兄はどう思うだろう。

「今、余計なこと考えただろ。なら遠慮はいらねぇな?」
「え。いや、違。っ!」

 再び考えられるようになったのは、何度もした後だった。
 二人とも『気持ちいい』から『限界』へと移行していた。

「……近くに水が湧いてる。行くかぁ」
「うん……」

 このまま野宿したいくらい疲れた身体を引き摺って、身体や髪についた草や各種液体やトコトコ登ってきたアリ等を水で一気に落とした。
 ツチグモも黒髪に同じように葉っぱがくっ付いていたり、砂でくすんでいた。
 引き締まった細身の身体に赤い痕が沢山ついていて、私はそっと自分の身体に視線を落とした。
 胸や肩、腕、腹、内もも。見えないが首や背中にもありそうだ。
 専用風呂があって良かったと心底思った。

「帰ったら一緒にちっちゃいお風呂入ろうね」
「俺は他の奴らがいる湯殿で構わないが」
「私が構うから私のお風呂に入ろ!!!!」

 慌てる私をおかしそうに笑って、手で掬った水を私にかけた。
 くるくると細い草が回って流れていった。それを目で追っていると、ツチグモも同じことをしていて少し笑ってしまった。
 最近は忙しかったからこんなにのんびりとした空気は変な感じ。

 今日はもう、いいやと思った。
 山の裾に潜んでいるであろうサスケが、私たちが色々している間どんな顔して待っているかなんて知らない。
 私が抜け出したことで苛々しているだろうミチザネや、笑顔を引きつらせながら各所の対応をしていくショウトクタイシのことも考えない。
 またツチグモと一緒にいられるのだから。
 どれも取るに足らないこと。



 ツチグモがまた私の傍にいてくれる。
 だからと言って、ヨリトモを許す気なんてなかった。
 ツチグモに私のねちっこいところを見られるのは嫌だが、目を盗んでこそこそするのも心苦しい。
 だからいっそのこと、ツチグモ不在の間に環境を整えることを決めた。
 まずは下準備。
 最近、私はツチグモやその他のあれやこれやで本当に疲れていた。薬で誤魔化したり、倒れたこともあった。
 だからこの疲れをもっと大袈裟にすることにした。

「最近、判断に迷うことが多くて」

 ミチザネに相談を持ちかける。

「私の決定で、みんなに迷惑かけてるよね……。しかも象徴のくせに倒れたりなんかして」

 ショウトクタイシには、私が罪悪感たっぷり持っているように。

「この前の件だってそう。英傑だからって戸惑ってモタついて。絶対もっと上手くやれたと思う。……私にもっと能力があれば」

 弱音を吐いた愚か者を二人とも否定してくれた。

「馬鹿馬鹿しい。余計なことを考えず前だけを見ていろ。お前はそれでいい」
「肩に力を入れすぎですよ。皆さんも独神様の苦労は判っておられます」

 これで十分。
 このやりとりを他の英傑が影で見ている時にしておいた。
 周囲に「独神様は最近、自信をなくしている」という印象を植え付ける。
 みんな心配性だから。
 私がしっかりしてなくて、不安がらせていたのは事実だからすぐに広まった。

「独神様、最近元気がない」「何かあったのかしら」「思い詰めてるんだよ」

 そんな声がどこかしこで聞こえてくる。
 私って、本当に頼りない主君だと思う。
 でもまあ、今回はそれが役に立つ。

 ヨリトモに身体を求められてから、ヨリトモを避けていた私だったが、今夜はこちらから行く。
 本当はツチグモといる時に着ようと準備していた白の襦袢に身を包んで、ヨリトモの部屋を訪ねた。
 絶対こいつを篭絡してやるという強い意志を持って、私はできるだけ自分を保護欲を掻き立てるか弱い者を演じる。

「頼みがあるの」

 たった一言。それだけでヨリトモの目の色が変わったのが判る。視線が私の顔から身体へと移動するのに気付いていない振りをして、不安そうに片手で反対の腕を抱くように触る。腕の上に乗る胸を少しだけ押すと、豊満でなくとも質量を感じた。

「私が、今皆を不安がらせてるって知ってるよね。率いる存在の癖に倒れたり、疲れを見せたりして、頼りないって」
「聞いているよ。主君たる者が弱音を吐くなど言語道断だ。皆の士気に関わる」

 ヨリトモは不甲斐ない主君に対して厳しい表情を作っていたのだが、視線は雄弁に心を語る。
 曲線を意識した振る舞いに喉を鳴らし、襦袢の合わせの隙間や裾の乱れ、うなじまで貪るような視線を向けている。

「それで考えたの。私にとって大事な物は何かって。……やっぱり八百万界だと思うの。だからその為にやるべきことをやる」

 決意を込めて言うと、ヨリトモが身を乗り出した。
 好きよね、こういう仰々しい目標。

「ヨリトモ。遠征に行って欲しいの。押さえて欲しい戦場がある。そこで勝てたなら私はあなたに全てを差し出す」

 嬉しそうな顔をしているヨリトモ。だが。

「口約束ではな。信じられない」

 手のひらを返されてはたまらないもんね。でも想定済み。

「ツチグモなら多分もう私の元には帰らない。頼光の妹と知っちゃったから、次会ったら殺す気みたい」

 ここで私は切ない気持ちをいっぱいに表情に宿す。あれだけ好きだったひとだから情も残しておかないと。
 と思っていたけれど、尻尾を振る犬みたいに喜ぶヨリトモを見ていると、必要なかったのかも。

「やはり真実に耐えられなかったのだな、あの蜘蛛は!」
「……しょうがないよ。私はもう、さっさと割り切った」

 嘘だけど。

「だから私はツチグモとは袂を分かち、別の道を歩む」

 強い感じで言う。そうすると、ヨリトモの目が少しずつ光を見せる。
 あなた好きよね。
 私の堂々とした振る舞い。

「……判ったよ。主君。このヨリトモ、主君の刀となって道を切り開こう」

 かかった。
 ヨリトモが私の魅了にかかった。

「期待してる」

 従順な臣下に期待を込めて優雅に微笑んでおくと、誰もが信者のように私に平伏すのだ。
 しかし、ヨリトモの呼吸が荒くなってきた。急に声が低くなって、目つきが変わる。

「万が一、私が戦場で命を落としたら? その時、主君は誰に身を委ねるのか」

 汗ばんだ手のひらを伸ばして、じりじりと近づいてくる。

「今のうちに、私のものだという印をつけておかねば……」

 もう下半身が主張しているのが丸わかりだ。
 掴まれる前に、私は自分で長襦袢の紐に手をかけた。

「ヨリトモ……私の覚悟を見せてあげる」

 ゆっくりと紐を緩めて、襦袢の合わせが少し開く。胸元から腹へ、腰から太ももへ、膝へ、足首へ白い肌が露わになる。
 ヨリトモの目が見開かれて、完全に息を呑んでいる。
 私は自分で襦袢の襟元に手を滑り込ませる。柔らかで薄手の布の下で胸を包み込む。少しだけ指を動かすとヨリトモの指も連動し、唇を僅かに開いて息を漏らした。
 私の手が少しだけ襦袢を開こうとして……きゅっと襦袢の前を握った。これ以上は見せてやらない。

「この先は、遠征から帰ってきた、強いあなたにだけ。ね?」

 上目遣いで笑って見せると、さっさと部屋を抜け出した。
 廊下を歩きながら襦袢を皺なく伸ばし、紐でくくって固定する。私は自室に戻るまで拳を握りしめていた。

「なんで私が娼婦みたいなことを!」

 声を抑えながらも、自分の行動への屈辱感と怒りが吐き出さずにはいられなかった。
 刀で斬ってしまえば早いのに、私じゃ英傑に勝てない。

「日にちに余裕があればこんな強行しなくて良かったのに!」

 本当ならもっと自分を消費せずにやれたのに。全ては時間がないのが悪い。
 私は襦袢を勢いよく脱ぎ捨てた。本当はツチグモと一緒に過ごすために用意した、大切な物だったのに。
 こんなことに使っていい物じゃなかった。本気を見せる演出には、小手先ではなく本気をぶつけなければならなかった。
 悔しい悔しい悔しい。
 忌々しくも背後に気配が現れる。サスケだ。私は感情に任せてさっきの布キレを投げつける。

「処分して。跡形もなく」

 返事はないが気配が遠ざかる。少しだけ落ち着いてきた。
 独神の魅力に毒されたヨリトモは、私の言葉に頷くだけの英傑になった。
 あとはもう簡単だ。
 ツチグモが本殿に帰る前にさくっと遠征に出しておくだけ。
 ヨリトモが自分の置かれた状況に気づくのは、遠征地で孤立してから。術が多少薄れてきて正気に戻った時、全てを理解するだろう。

 本当なら殺してしまいたかった。
 でも、兄のことを思い出してしまう。独神の体質を身近で受け続けて壊れてしまった兄を。
 ヨリトモも同じ。私の魅了の術に操られて、本来の自分を見失ってしまったからこんなことになった。

 それに、ウシワカマルにも悪いことをした。
 自分の兄を、こんな風にして、戦禍の激しい遠くへやるなんて。私を恨んでもおかしくない。私だったら復讐している。
 でも、ウシワカマルは何も言わない。視線が合った時、少しだけ寂しそうな顔をするのだが、私はいつも目を逸らしている。
 ────それでも。
 兄を侮辱し、私を穢し、私からツチグモを取り上げるヨリトモを許す気は起きない。
 前線に送り続けるのは妥協案だ。
 勝てばヨリトモや私の功績になる。負けても、死んでも、「独神様のために命を懸けた忠臣」として美談になる。私は悲しむ主君を演じればいい。
 何より、物理的に私とツチグモから遠ざけられる。

 つまり、どう転んでも私の勝ち。

「遅かったな」

 細かい印象操作まで全て終わらせた私を、何も知らないツチグモが変わらず迎えてくれた。

「待ってたぞ。随分疲れてるみたいだな」
「うん……疲れたあ」

 素直にそう言って、ツチグモの胸に顔を埋めた。温かくて、安心する匂い。心から安らげる。

「また面倒ごとか」
「まあね。でももう大丈夫」

 ツチグモの手が私の頬を撫でてくれる。
 ああ、この感触。これを守るためだった。
 なんの変哲もないつまらない私でいさせてくれる温もり。

「……もう何も心配しなくていいからね」

 つい口に出してしまった本音に、ツチグモは「そうか」とだけ答えてくれた。
 詳しく聞こうとしない。信じて、任せてくれているのだと思う。

「ツチグモ」
「なんだ?」
「抱きしめて。今日はずっと一緒にいたい気分なの」
「いつもじゃねぇか」

 そう言いながらも腕がしっかりと私を包み込む。
 安全で、温かくて、やっと手に入れた、私の居場所。私だけのもの。

「頑張ったな、ぬし

 その言葉に、涙が出そうになった。

「うん……頑張った」

 素直に甘えながら、私はツチグモの腕の中で目を閉じた。
 ツチグモのためなら、私は何でもできる。
 今回のヨリトモだって、その前にツチグモの縄張りの周囲の村々を滅ぼした時だって。
 村の人たち、英傑として頑張ってるツチグモを殺せって煩かったんだもん。独神様の私が何言っても聞いてくれないから、どうにかするしかないよね、恋人としては。
 私の暗躍は誰にも知られてない。ちゃんと事故に仕立て上げたから。ショウトクタイシもミチザネも気づけないはず。
 今回は心を奪うだけで済んで良かった。サスケを一応配置していたけれど出番はなかった。

 それにしてもサスケも馬鹿な人。
 私なんかに仕えて。専属契約なんて受けて。



 ────それは、ツチグモと付き合って少し経った頃の話。

「……これは雑談なんだけど」

 と廊下を歩く私に報告しに来たサスケに投げかけた。

「この先、私は困ったことになると思うのね。複数回。悪霊と無関係なことで。何も動けなくて、誰かの言いなりになるしかないような。そんな時」

 私は具体的な想定があった。そう遠くない未来で、きっと私が動けなくなる。

「そんな時に私の意図を汲んで動いてくれる駒が欲しい」

 私は少し緊張していた。

「今、私が欲しいのはひとつだけ。八百万界の平和よりも大事なこと。この願いを叶えてくれるなら、私の全てであなたの願いも叶える」

 これは対等な取引だ。英傑たちとの主従とは違う。

「ただし。扱いは格段に悪くなる。忍としての矜持を曲げてもらうこともあり得る」

 人と扱わない宣言だ。

「それでも、私についてくる気があるなら、受けて欲しい」

 緊張が止まらない。
 誰かを頼ることに。弱味を見せることに。
 あってはならないことだ。作った弱味を涙ながらに語るのは慣れているが、本当の弱味なんて。こんなに、怖いのか。

「承知した」

 サスケは一言で返した。あまりにあっさりとしていてにわかには信じられず私は、

「……え。本当に判ったぁ?」

 と、馬鹿みたいなことを言ってしまった。それに対してサスケは私を馬鹿だなと言うことなく「判っている」と一言。
 実際サスケは馬鹿じゃない。きっと本当に理解した上での発言だろうが、私の臆病さが確かめてしまう。

「甲賀での立場が悪くなるかもよ」
「ないとは言えないな」
「危険かもよ」
かしらの緊急事態だからそうだろうな」
「……将来を左右するからもっと考えていいよ?」
「戦にそんな悠長な時間はない」
「なんで自分がって聞くとか」
「思案の結果俺なのだろう。十分だ」

 ああいえばこういう。
 可愛くないひと。
 これだから弱みを見せてでも手元に置こうと判断したのだ。

「じゃあ最後。あなたの望みは何」
「今更だな。もう叶っている」
「え。いいなあ。なに。どんなこと」

 ぴくりとも動かない。

「……まあそこはお互い様か。でもそうすると私ばかり頼んで対等じゃないなあ」
「他人のことを気にかけてる暇があるなら身辺をもっと固めてはどうだ」

 言われなくても判ってるよそんなこと。
 私の命令は絶対だけど、頷くだけの人は要らない。
 やはりサスケに声をかけて良かった。

「ん」
「なんだ」
「握手ってやつ。文字通り手を組んだわけだから。但し私の手を取ったら最後、契約の破棄は死ぬまでさせない」
「……」
「一応私、ツチグモ以外のひとに自分から触りに行くなんてないんだからね」

 ふっと笑われた。すっと手を握ってくる。がっしりした手。ツチグモの繊細な手と違う。積み重ねた研鑽と経験が現れている。
 私はこの能力を買ったんだ。

「頼むよ。必ず、あなたしか頼れない場面があるんだから」

 味方は少なくていい。
 人が多ければ多いほど誤解されるから。
 本当に大事なことは一人しか知らなくていい。
 ……一人と半くらいになっちゃった気がするけど。誤差ってことで。
 それに、全部ツチグモのためだから。…………いいよね?

 こうしてまた、ツチグモへの秘密が増えた。
 これでいいのか判らないけれど、そのままずるずると隠し続けている。
 だが罪悪感も薄れてきた頃に、何かあるものだ。

「わぁーん、どうしよう」

 ツチグモが部屋にいるのに、私は机に突っ伏していた。

「できない! 人が足りない! 私が五人欲しい!!」

 英傑が百人以上いたとて八百万界は広い。最低限の人数で回したいが、少なすぎると怪我の危険性が増え、最悪昇天させてしまう。人数の采配については最も悩むところだった。最近は英傑が全てなんとかするのではなく、民衆たちの自衛力の底上げが必要なのではないかと話すこともあるくらいだ。
 そして独神の私は、人の少なさをなんとかすべく一血卍傑に励んでいるが、あれは身体の負担が大きく、毎日行うことは出来ない。続けてやると大体倒れて他の執務に悪影響を与え、士気まで下がる。最悪だ。

「ツチグモしか頼れないでもツチグモにこれ以上頼みたくないでもみんなに言えないことはみんなに頼めない困っちゃったよお」
「……サルトビサスケに頼めば良いんじゃねぇの」
「え……?」

 関係がバレたのかと思った。背筋がひやりとする。

「あ? いつもいるショウトクタイシでも良いだろ。あの嫌味なやつも」
「……その人選は何?」
「……ぬしはあいつらは信用しているように見えただけだ。俺も見ていて、ぬしに害があるようには見えなかった。それだけだ」

 近かったかな。嫌だったかな。
 顔に出ていたのだろう、ツチグモが慌てた様子を見せた。

「なんだよ。違うのかよ」
「ああうん。そうだけど。能力面や相性の話でそれ以外は何もないよ」
ぬし

 優しい声音で諭された。

「俺を気にして抱え込むぐらいなら、もっと他の奴に頼ればいいじゃねぇか。さすがにぬしが倒れちまう時に嫉妬してる場合じゃないと判ってる」
「……うん」

 私が人を頼りたがらないのは、それだけではない。
 独神が近づきすぎれば相手の理性を壊す。その加減が難しい。

「ツチグモは大丈夫なの? 嫌じゃない?」
「……………………ああ」

 長すぎる間が気になる。だが追及すると機嫌が悪くなりそうで、この件はおしまい。
 まあ私だって、あの二人とは独神仕事でしかこの先も関わる気はない。

「私のこと、もっと監視して良いからね。最近糸が減ってて寂しいよ」
「本数はな。だが張り方を変えて効率が良くしたから以前と変わらないぞ」
「そうなの? なんだ。私のこと興味なくなっちゃったのかと思った」
「ないわけないだろ」

 ほっとした。ちゃんと見てもらえているなら、少しだけ歩み寄っても良いだろう。
 早速次の日、ふと笑顔を向けたらミチザネは普通だった。なんだ。私に興味ない人もちゃんといるんだ。単純なひとはこれだけで言い寄ってくるんだから。

「今日は随分機嫌が良いのですね」

 ショウトクタイシが大量の報告書を抱えてやってきた。

「……いつもありがとう。って、改めてそう思っただけ」

 というと、ショウトクタイシは普遍的な笑顔で「こちらこそありがとうございます」と言った。
 いつも通りの対応に安堵した。
 なんだ、この二人は私の魅了がそんなに効かないんだ。良かった。
 もしかすると長い間過ごしてきたから耐性ができたのかもしれない。
 これからは少しずつ、お願いを増やしていこう。
 ツチグモがいいよって、言ってるんだから。



「お兄ちゃんのこと、話してもいい?」

 夜。もう寝ようとしている時、私は恐る恐る切り出した。

「少しだけな」

 ツチグモは優しく答えて、私の唇に口付けた。

「明日もあるだろ」
「うん」

 私は頷いて、意を決して言った。

「……いきなりなんだけど、私とお兄ちゃん、身体の関係があったと思う?」
「ないだろ」

 ツチグモは即座に否定した。

「うん。ない。……よく勘違いされるけど、お兄ちゃんは兄として大事にしてくれて、私も兄として好きだったから…………」

 話しているうちに、胸が苦しくなってきた。
 あの頃のことを思い出すのは、今でも辛い。

「……」

 言葉が続かなくなった。

「やっぱり言うのやめる」
「は? なんだったんだよ」

 ツチグモが眉をひそめた。

「勘違いされたくないだけなの。話さなきゃって思うのに。色々ありすぎて。どう話していいか判らない。気持ちばっかり出てくる。……ツチグモが嫌になることはなにもない。それだけは判ってほしい」

 私は必死に伝えようとした。でも、うまく言葉にならない。
 ツチグモが一番だって、どうしたら判ってもらえるか。

「……俺はぬしと兄貴のことは判んねぇよ。けど、もしもまた俺を斬るなら返り討ちにする。いいな?」
「いいよ。返り討ちにしてくれなきゃ困る!」

 私は慌てて答えた。

「……? よくわかんねえ兄妹だな」

 ツチグモは呆れたように呟いた。
 そう、ツチグモの言う通り、私たちはよく判らない兄妹だ。



 ────────とおいむかしのこと



 出来の良い兄。多少出来の良い妹。
 私たちはそういう兄妹だった。

 当主を継ぐべく教育された華やかな兄と、教えられたことは全て覚えられるがなんとなく可愛げのない妹。
 兄は女だてらに一度で覚える私が疎ましかっただろう。私は私でいつも持ち上げられる未来の当主様に嫌悪感を抱いていた。
 最初は仲良くなんて全然なかったのだ。
 時が経つにつれ、関係がじわじわと変わった。事件が起きたわけではない。
 ただ本当にじっくりと私たちはお互いの見る目が変わった。最初に変わったのは兄の方だった。

「兄の方にその能力があれば! なぜお前に」

 私はよくそう父親に詰られていた。いつも通り説教を聞き流し終えると、兄が私を呼んだ。

「おいで」

 私は興味本位で着いて行った。行ったところでなにもなかった。
 けれど兄はそうやって、少しずつ私に声をかけることが増えた。私もまた、私と関わってくれる兄を少しずつ好きになった。この時、現当主に嫌われていた娘を家人は遠巻きに見ていたから、会話できる相手はいなかったのだ。

「あにさま」

 と呼ぶと兄は、

「姫」

 と返事をした。人と言葉のやり取りが面白くて、私は兄との会話は一言一句全て覚えている。
 私の記憶力を、兄は凄いと言った。ずっと疎ましかったのも事実だけれど、と本音も言った。私も言った。後に産まれただけで疎ましいと扱われるのは嫌です、と。
 すると兄は、じゃあ代わりに自分が姫を可愛がってあげると言った。
 私は、それならいいや、と思ったものだ。あの時は愛情に飢えていたから、優しくしてくれるなら誰でも良かった。

 初めての化粧をした時のことだ。
 兄が私をじっと見て視線を動かさなかった。

「頼光様。どうですか、お綺麗でしょう」
「ああ。とても……綺麗だ」

 使用人がいなくなって、二人きりになると兄は私を抱きしめた。

「あにさま?」
「……すまない」

 兄からの抱擁だったので私は何も思わなかった。しかし、この場面を分別がついてから再生すると、兄の行動が不可解であることが判る。その頃には私のことを、妹ではないと、思っていたのかもしれない。

「とても綺麗だよ」
「…………でもすぐ忘れてしまうんですよね。私はずっと覚えているのに。みんなすぐ忘れて。ずるいです」

 私の寂しさを込めた言葉に、兄は優しく微笑んだ。

「ならば、初めての記念として物をとっておくのはどうだろう」

 兄は私に化粧をした道具を取ってきて、私に見せた。

「物があれば、姫ほどの記憶力がなくとも思い出せることは多々あるだろう。また数年後に今日の事を話してくれるか?」

 慰めてくれる兄に私もぎゅっと心を掴まれた。

「はい、もちろんです!」

 嬉しかった私は調子に乗って着物も差し出した。後から兄は私の髪を欲しがった。歳を取る度に一房。成長の記念に、だそうだ。少しずつ、私より兄の収集癖が凄くなっていたが、私は特段気にならなかった。
 周囲が変だと思い始めたのは夜伽の指南が入った時だろうか。
 気味の悪い私をさっさと嫁にやりたいが、粗相があって出戻られては困るということで、私は月のものが始まってから、指南が入ることになった。私は嫌だなと思いながらもそういうものだと納得していた。
 否と声を上げたのは兄だった。当時の私では情報不足だったのだが、多分脅したのだろうと推測する。
 指南の日、私の寝床に来たのは兄だった。夜着を纏った兄は私の前に座った。私は、少しだけ怖かった。兄に抱かれるのは良くないとぼんやり感じ取っていたからだ。
 恐怖を押し殺す私に兄は指南を始めた。口頭で。私には一切触れることなく。
 自分のものも見せてくれた。本当は隠しておきたいはずなのに。

「お兄ちゃん……どうして。その……」
「こうなっては遅い。そうなる前に殺すか逃げなければならない。一番はそのような事態にならないよう危機管理を徹底することが望ましい」
「でも怖いです。……その時に動ける自信だってありません」
「捕まった時のことも考えておこう。対処としては手や口で相手を果てさせてしまうのも手だろう。自分の身体を守ることが優先だからね」
「果てさせるって……?」
「…………。……と、いうと…………」

 ここは思い出すたびに自分を殴りたくなる。誰だってそんなの言いたいわけがないだろう。なんてことを聞くんだと自分を引っ掻きまわしたい。兄は愚かな私に、自分のものを使って教えてくれた。……引いたのを覚えている。兄がどんな思いで教えてくれたかも知らずに。

「無理です! お嫁になんて行きたくない。こんなに怖いことをするなんて。だって本当はこんなものじゃないですよね? さっきおっしゃってましたよね?」
「……そうだね。俺も、姫がお嫁に行くと寂しいよ」
「けれどこれも、家の為には必要な事ですもんね……。次の当主であるお兄ちゃんの為にも私は務めを果たさないと」
「違う。義務ではなく姫は望んだ者と結ばれるべきだ!」

 そして兄は私の婚約者が決まる度に斬った。表向きは辻斬りであったが、私は知っていた。
 ここから兄の殺しは加速する。偶然庭で出会って仲良くなった妖の子も、一族全員が斬られてしまった。あれは姫を邪な目で見ていたと言って。そんなことなかったのに。
 私は兄の外面を守るため、血と殺戮が好きな人間を装い、兄を操っていると吹聴した。跡継ぎを悪く言いたくなかった家人たちはすぐに信用し、兄の奇行は妹のせいだと詰った。私は兄が出かけないよう必死に甘えて被害を減らすようにした。
 ……それが兄を悪化させる行為と気付かずに。
 魅了の術を常に纏った私が「あなただけ」と擦り寄るとどうなるか。

 ────壊れるのだ。

 壊れ切った兄は私を座敷牢へ閉じ込めた。もう自分以外を見ないでくれと切に訴えていた。兄はいつも静かに私を眺めていた。
 兄が若干まともな時に、教えてくれた。

「……姫は、他人を魅了する力がある。性的な魅力の話ではない。強制的に魅了するのだ。呪術のように。条件は判らない。だが俺は……駄目みたいだ」

 そこで私は初めて己の行いの愚かさに気づいた。兄から正気を奪ったのは自分だったのだと。
 私の独自調査であるが、この術は血が近ければ近いほど強く作用するのではないかと考えている。兄は理性を失い、ヨリトモも兄ほどではないが正常な思考を失った。そしてツチグモはこれだけ共に過ごして肌を重ねても、精神が壊れる様子はまるでない。
 私を牢に置いたことで多少安心出来たのか、兄は時折外へ出て行った。そして、いつの日か帰らなくなった。
 私は暫く放っておかれたが、跡取りのいないのも不都合だったのだろう、外に出された。地上に出てすぐ、私の景色は大きく変わる。私が独神になったと、知らない男に告げられたのだ。
 そして今に至る。
 兄が死んだと判った時は、私から解放されて楽になれたと思っていたのに、今回英傑として蘇ってしまった。
 今更会わせる顔なんてない。

ぬし

 口付けられて、現実に戻った。また昔のこと、思い出してた。

「俺は兄貴相手でも容赦しねえよ。良いんだよな」

 ツチグモにとって兄は仇だ。邪魔な存在だろう。好きにしてもらうしかない。

「うん」

 と、私は答えた。
 ツチグモは口付けるのをやめた。

「……はぁ。ったく、面倒くせぇ。迷ってるならさっさとなんとかしろ。いつもの行動力はどうしたんだよ」
「……いいの?」
「俺を殺した奴と同じ場所にいるだけでも気が狂うのに、そいつがぬしを取り返しに来るかもしれねえんだぞ。白黒はっきりさせてこいよ」

 そして静かに付け加える。

「……俺はぬしがいりゃ後はどうでも良いんだよ」

 兄が本殿に来てからのツチグモは不安そうに見える。毎晩抱かれ、痛いことが多かった。当たり前だ。ずっと探していた復讐相手がすぐそこにいるのだから。そしてそれが、私の兄でもある。
 ツチグモは十分我慢してくれている。でも、いつまでこの状況が続けるのか。
 確かに兄は好きだ。たった一人の兄だ。ずっと守ってくれた。
 でも自分の足で追いかけていくならツチグモが良い。

 このままでは、ツチグモがいつか限界を迎える。
 いっそ兄を捨てればいい?
 昇天させてしまえば、ツチグモの不安はなくなる?

 ツチグモの「後はどうでも良い」という言葉が胸に刺さる。
 私だって同じ。ツチグモが一番なんだから。
 なら私はその為に。…………我が身を犠牲に守ってくれた恩人を捨てよう。
 感謝しても、過去は過去。
 どちらかしか選べないなら、私が今掴むべきは、未来に持っていきたい方だ。
 だとしたら選ぶ者は決まっている。…………やる。やろう。やるべきだ。
 思い立ったらすぐに行動を起こす。行動力はツチグモだって褒めていた。誰かに悟られる前に急がないと。
 私はツチグモが寝たのを確認して蒲団から抜け出した。

「痛っ!」

 転んだ。違う。糸だ。粘着性が強くて動けない。
 がっくりと力が抜けた私は、そのまま数刻身動きが取れずにぷらぷら浮かぶ羽目になった。

「ふわぁ。……よう。ぬし
「お、おはよう……」

 起きて糸だらけの私を見ても何も驚いていない。

「随分無様じゃねぇの」
「つ、ツチグモの糸が悪いんだよ。ちょっと外に出ようとしたらこうだもの。水も飲みに行けないよ」
「水ねぇ……。それなら俺を起こせばすぐ助けてやっただろ。……何故黙ってた」

 しまった、そうだ。宙に浮かされて反省なんて気持ちにさせられて。馬鹿なことした。

「大方ろくでもないこと考えてたんだろ」

 私をゆっくりと降ろす。

「兄貴を殺すとかな」

 お見通しだったらしい。しかし呆れた様子も怒った様子もない。

「ったく、ぬしは俺より物騒なんだよ」

 身内を殺そうとした私を、なんで引かないんだろう。どうして怖がらないんだろう。
 そっちの方が怖い。お門違いだって判ってるけど。
 何故かすごく怒られた気分になって私は一瞬泣きそうな気持ちになりながら頭を下げた。

「ごめんなさい」

 ツチグモは強めに抱きしめてくれた。

「兄貴を殺しに行ってくれて喜んでる俺も大概だがな」

 笑ってる。こんな醜い私を見ても。

「私、ツチグモが嫌な思いするなら、今からでもお兄ちゃんのこと」

 糸で口を塞がれた。

「もういいつってんだよ。ぬしが俺に本気と判れば許してやれる」

 やっぱり判らない。戸惑ってしまう。どうして許せるの。

「……兄貴のこと、大事なんだろ。ならもっと狡くやれよ。得意だろ、そういうの」

 糸を外しながらそう言われて、胸のつかえが取れた気がした。
 見上げると、ツチグモは苦笑いを浮かべていた。

「人生何周目?」
「二周目」
「ひとが出来すぎてる」
「出来てりゃ実の兄貴に嫉妬もしないし、ぬしにそんな顔もさせない」

 優しい言葉が私の心を通っていく。風が吹いて頬が火照ってくる。
 このひとといると、私の牙が抜ける。普通のひとでいられる。
 完璧でなくても、きちんとしてなくても、受け入れてくれる。
 不安という言葉すら消え去ってしまったみたいに軽やかな気持ちだ。
 自分を殺した仇をあんなに殺したがっていたのに、私の兄と分かった途端、殺さない道を考えてくれている。
 独神の私なんかより、よっぽど器が大きい。

「殺す前に話せよ」
「……」
「出来ないのか」
「……向き合うのが怖くて」
ぬしも普通のヤツみたいなこと言うんだな。安心したぞ」

 おかしそうに笑っていて、ちょっと恥ずかしかったけど、嫌じゃなかった。

「行ってこい。待ってる」

 ツチグモが背中を押してくれている。
 私、頑張るよ。

 日中はどうしても独神としての顔があって、自由に身動きが取れない。
 とすると、やはり夜しかない。
 夜になってから、初日に用意した兄の部屋を訪ねた。

「兄上。私……その、……私です。……お時間宜しいでしょうか」
「どうぞ」

 障子をそっと開けると、行灯の橙色い光と畳の冷たい空気が一度に肌を撫でた。
 兄が立っていた。
 座敷牢で見ていた時とは違って、凛とした美貌に威厳が宿っている。英傑として蘇った兄は、あの頃の憔悴した様子とは別人のように堂々としていた。

「主君。俺は君の臣下だ、敬語はいらない」
「はい。存じております……じゃなく、はい。……じゃなかった、うん」

 久しぶりの兄上との距離感が判らず口調がぐちゃぐちゃになってしまう。兄に笑われた。

「判ってるよ。突然俺が出てきて戸惑っているのだろう。俺の気配を感じたら隣に蜘蛛がいてもいの一番に逃げていたな」
「ご存知だったのですか……」

 そうなのだ。時にツチグモを置いてでも逃げていた。私が兄と会いたくなかったから。

「案内の時も、表面的な話ばかりで、結局何も話せなかった」
「おっしゃる通りです」

 ツチグモたちがいた時はまだいつもの私でいたのに、二人になった瞬間私は自分の振る舞いが全く判らなくなってしまった。
 自分を見失い、事務連絡のみを伝えてさっと部屋に押し込んだ。その後は一切顔を合わせないようにしていた。
 所属英傑に対する独神の振る舞いではない。ただの妹に戻ってしまった。

「それで。夜に男の部屋に来て何がしたいんだ。嫉妬深い恋人が許すとは思えないが」
「許可は得ています」

 息を大きく吸って、私は覚悟を決めた。

「……お兄ちゃん…………」

 土下座した。畳に額をつけ、両手を床に押し付ける。

「昔の、色々! 沢山のこと、本当にごめんなさい! 私が馬鹿だったから、お兄ちゃんを壊してごめんなさい。お兄ちゃんにいっぱい守ってもらって、私は生きてて、お兄ちゃんは死んで、なんで私ばかりが生きていて、お兄ちゃんが死んじゃったのか、ずっとおかしいって、私が死んでしまえば良かったのに。本当にごめんなさい」

 言葉が止まらなかった。ずっと言いたかった謝罪が、堰を切ったように溢れ出す。私が『独神』を出来たのは、この罪悪感のお陰だ。兄がいなくなって自暴自棄になっていた。失った兄の存在がいつも後ろめたくて、罪滅ぼしのように世を救っていた。

「おいおい。聞いていた独神像とは随分違うな」

 同じく床に膝をついて私に向き合う兄の様子に、私は少しだけ安心した。

「……英傑達に聞いた。頑張っているそうだな。信頼されている。甘いだけじゃなく、下すべき時には迷わず判断しているともな」

 兄は続けてはははと笑い、はぁ……と溜息をついた。

「驚いたよ。あの小さな子が兵をまとめる将になって、界外からの敵を打ち破っているとはな」
「それは……独神の義務だから」
「出来るのが凄いんだ。姫は精神力も強い……だが、やはり人だ。支えられたい時もあるだろう。それが、俺が殺した妖だったんだな」
「はい」

 私はツチグモがどんなひとか一生懸命伝えた。隣にいると肯定される。なんでもできる。私を受け入れてくれる。まともになれる。残酷な自分が影を潜めていく。説明している間、兄は静かに聞いていた。時折頷きながら、真剣な表情で。

「……概ね、俺が聞いた通りだ」

 遠くを見ている。その横顔には、どこか寂しげな影が差していた。

「なあ、姫。俺が邪魔なんだろ」

 言われた。核心を突かれて、私は言葉に詰まる。

「駆け引きはなしだ。俺と姫は似ている」

 奥底を知られている。本性を。血を分けた兄妹だから。

「………………実のところ、話し合いを飛ばして、兄上を殺そうとしました。いるとツチグモが嫌かな、って……」
「その考えに至っても常人は実行しないものだが、姫は実行したんだな」
「ええ。……ツチグモに止められました。殺す前に話し合うだろ普通、って顔されました」

 噴き出すほど笑われた。嬉しそうに。

「俺なら、相手に止められる前に殺しているがな」

 その言い方にはむっとした。

「止められる私が、ノロマで隙だらけだって言いたいの?」
「少なくとも俺なら速い」
「そういう身体能力に頼ったものはどうなの! 私ならもっと見えない所で見えないようにしてた! いつもなら! 今のとこバレてないし!」
「今の立場で? 皆が独神様の一挙手一投足に注目しているのに?」
「それが狙い目でしょ。監視だらけの私には出来ないと思っているからこそ、私の領域外の行動に目がいかない」
「ふうん。それで姫は暗躍している、というわけか」

 しまった。言ってしまった。絶対に秘密にしておくべきことを。

「好きだよ。その手段を選ばないところ。俺とそっくりだ」

 その言葉に、何かが込み上げてきた。温かくて、懐かしくて、切ない何かが。

「……。あ、俺と似ているのは嫌だったか」
「違う」

 首を振った。どんどん涙が滲んでくる。

「…………私も、好き。お兄ちゃんのこと。大好き」

 泣いた。堪えきれずに声を上げて。

「私のお兄ちゃん。私だけのお兄ちゃん。私が、あの家で幸せだったのは、お兄ちゃんのおかげ。ツチグモと会えたのも。ツチグモに大事なものをあげられたのも。全部、お兄ちゃんが守ってくれたおかげ」

 兄は声を震わせた。その目にも、薄っすらと涙が浮かんでいるのが見えた。

「あの頃は申し訳なかった。俺は兄として、姫を守るべきだったのに、逆に苦しめてしまった」
「違うよ。私の、この独神の術のせい。お兄ちゃんは悪くない」
「……全て、術か」
「そう。術のせい」

 兄は目を閉じて、長く息を吐いた。その表情には、安堵と同時に何か複雑な感情が浮かんでいるようだった。

「姫。……俺はこの本殿を出ようと思う。そして二度と俺たちは会わないようにしよう」

 なんでと聞きたい。でも、きっと理由は判っている。

「もう俺は必要ない。ちゃんと姫のことを考えてくれる者が傍にいる。俺がいると邪魔になるだろう? それに……兄としても自分より弱い妖が妹と交際しているという事実を見続けるのは……なかなか辛いものがある」
「ツチグモ強くなってるよ! 私がお兄ちゃんの技を真似しても、ちゃーんと勝ててたもん」
「髭切で? 姫が?」

 鼻で笑われた。

「ならそういうことにしてあげよう」

 馬鹿にされている気がする。そりゃ私じゃ髭切を満足に扱えなかったけど。ツチグモだって強くなったんだからね。そのあたりちゃんと判って欲しい。

「落ち着いて。独神として考えて欲しい。俺がここにいることの影響を」

 兄の表情が急に真剣になった。私も気を引き締める。

「……ヨリミツが顕現されたことで源の家も大盛り上がりでしょう。余計なことをされる前に既に手は打っています。でも! 妹としては、生を受けたお兄ちゃんをもっと見たい。もっと話したい。もっと楽しいことしたい。もう家にいるわけじゃないんだから、一緒に買い物もいけるんだよ。今は好きな物が食べられるし、好きな所へ行ける。自由にできるんだよ!」

 本音だった。せっかく再会できたのに、また離ればなれになるなんて。

「……俺が英傑として生まれたように、主君も同じく独神として新たな道を授かった。以前は兄妹だったが、もう俺たちは違う道を歩んでいる。理解しているだろう、聡明な主君ならば」

 判っている。頭では、理屈では理解している。でも心がついていかない。

「独神がヨリミツの妹である事実は、現状英傑達しか知りません。口止めはしておきます。完璧ではないでしょうが、外で話した所で与太話と扱われるように環境は整えます」
「面倒をかける。俺は遠くで主君のことを支えさせてもらおう。遠方に手が回らなくて困っているそうじゃないか」
「恥ずかしながら事実です。ヨリミツが指揮を取ってくれれば大変助かります」

 私たちは真面目な顔をしていたが、少しずつ空気が和らいでいった。最後の最後で、やっぱり兄妹なのだと思った。

「……さらばだ、妹よ」
「お元気で。兄上」

 それが、私たちの本当の別れだった。

 私は涙を拭いた。お兄ちゃんのために流した涙は、ツチグモには要らない。
 妹から、ツチグモの恋人としての顔に戻す。深く息を吸って、気持ちを切り替える。
 ツチグモには全て報告した。
 兄は本殿を出て二度と戻らないこと。
 必要な時以外は二度と私たちは会わないこと。
 ツチグモとの交際を認めること。
 ツチグモはそれを聞いて「判った」と言った。

「……言ってたよ、ちゃんと私を見てくれるひとと会えて良かったって」
「妖がって言わねえのかよ」
「俺に負けるやつは嫌だって言ってたけど」
「うぜえ……」

 でも話して良かった。お兄ちゃんが好きだって、伝えられたから。
 これは心の中だけで。ツチグモには言わない。この気持ちは、私だけが知っていればいい。
 ゆっくりとツチグモの手が頬に伸びてきた。

「あの兄貴の公認ってことでいいんだな」
「うん」
「ならもう、ぬしは俺だけのものになったんだよな」
「うん」
ぬしは、俺だけ、だよな?」
「うん」

 ツチグモの手が首筋に触れる。糸を巻きつけるみたいに、やさしく、幾重にも。その感触が心地よくて、私は目を細めた。

「俺以外に縛られるな」
「うん!」

 そう答えた時、ツチグモの肩から力が抜けるのが分かった。
 ああ、本当に不安だったんだ。それを抑えて送り出してくれた。
 最高にかっこいい!
 私は思い切り抱き着いた。温かくて、安心する。私の大好きなひと。
 ツチグモは抱き返しながら、「それと」と指に力を込めながら言った。

「もう兄貴の話は禁止だ。抱く度に兄貴のこと考えてんじゃねぇよ。俺以外考えるな」

 さあっと背筋が冷たくなった。無意識だった。最中は本当にツチグモのことしか考えてない。でもなぜか、抱かれて安心した後、兄の話をよくしていた。毎回ではないけど。しょっちゅう。
 怒られたことは一度もない。
 ずっと我慢してたんだ。ツチグモは受け入れてくれたから気にも留めてなかった。でもそうじゃない。

「……ツチグモ。あの。……」
「終わりだと言っただろ。今までのことは……まあ、多めに見てやる」

 頷いた。

「俺も、もっと早く言えば良かった」

 言われなかったら、私はずうっと気づかなかったと思う。そして知らないうちに距離が出来てた。
 お兄ちゃんのことも、話しに行くまでは嫌だったけど、話した方がすっきりした。言いたいことが言えて、知りたいことが聞けて。
 ツチグモのことも、自分で決めて行動する前に相談してみるのもいいかもしれない。

「兄貴のことは片付いたが、まだ残ってる」

 ツチグモが首を触った。

「悪霊共のこともさっさと終わらせるぞ」

 ツチグモは私から最後の首輪を外そうとしてくれている。
 八百万界から。独神から。
 あともう少し。悪霊さえ排除してしまえば、私は自由になれる。
 ツチグモだけに縛られる、この世で一番幸せな不自由。

25/07/09 加筆修正

完結しました。
でもこのあと、キャラ解説+小話を用意しています。
長編小説としては、これでおしまい。
書けば書くほどツチグモ、めっちゃええやん……ってなれました。最高だぜ。

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