全英傑小話-楽士-【桜代+降臨】(クツツラ追加)

オツウ    

 どんどんからり、どんからり
 どんどんからり、どんからり

 廊下を歩いていた独神は自然と足を止めた。
 規則正しい音が延々と繰り返されている。
 機織りが奏でる乱れのない旋律を聴いていると、心の中が落ち着いてくる気がした。

 独神は戸に向かって、声をかけた。

「オツウ」

 どんどんからり、どん………………

 機が止まった。
 木が擦れる音の後、とととと、と軽い足取り。
 かたん、と戸が揺れるが開くことはなかった。

「ご主人様」

 少し、驚いているようだった。

「決して、入ってはなりませんよ」
「入らないよ」

 独神はそのまま廊下に腰を下ろした。板張りの冷たさが着物越しに染みてくる。
 戸に背を預けると、やがて機の音が鳴り出した。

「…………ご主人様、そこにいらっしゃるのですか」

 機の音に混じってオツウの声が聞こえた。

「うん」
「お身体に障りますよ。早くお戻りになって下さい」
「休憩だよ。それとも、休みなく働いた方が嬉しい?」
「…………意地悪ですね」

 どんどんからり、どんからり
 どんどんからり、どんからり

「今度は何を織っているの」
「ご主人様の、上着を」
「また」
「……また、とはどういうことですか」

 口調は柔らかかったが、幾分責めているように聞こえた。

「いや。先月も着物を貰ったからさ」
「今月分はまだですから」

 これには思わず苦笑いをしてしまう。
 オツウの機は見事だ。八百万界の神鳥が織った布で作られた着物は素肌によく馴染む。裸でいるよりも、裸の己を感じられる。
 しかし、オツウの機は自身の羽を使う。
 織れば織るほどオツウの羽はなくなっていき、絹のような髪の毛も短くなっていく。
 己の姿に無頓着なオツウはそれをなんとも思わない。
 ただ独神が喜んでくれればいい。
 と、あっけらかんと言う。

「ご迷惑でしょうか?」

 問いかけた声には不安が滲んでいる。

「そんなことないよ」

 思わず反射で答えると、オツウが小さく笑う声が聞こえた。

「上着にしたのは私の勝手でしたが、ご主人様は何か、ご希望のものはありますか?」
「特にないよ」
「……そうですか」

 落胆したのだろう。顔を見ずとも判る。

「くれたもの、繰り返し着たいからさ。折角作ってくれたものだから大事にしたいんだよ」

 嘘ではない。オツウの作る物は美しいだけでなく耐久性もある。
 一枚で何十年も持つ衣を毎月贈ってくる。百年は困らない計算だった。
 彼女の羽と引き換えに。

「何かないと困る?」

 機の音が、軋んだ。

「私には布を織ることしかできませんから。ご主人様のお役に立てているのか、いつも不安になるのです」
「役に立ってるよ」
「……本当に?」
「本当に」

 しばらく沈黙が続いた。
 庭では夕風が木の葉を揺らした。
 機の音は変わらず続いている。

「ご主人様は」

 オツウが言う。今度は少し違う声だった。

「なぜ、ここにいらしたのですか」
「音が聞こえたから」
「それだけですか」
「それだけ」

 また間があった。今度はずいぶん長かった。
 扉の向こうで何かが動く気配があった。
 機の音がゆっくりと止まった。
 ぎしりと、独神の背中のすぐ傍で床板がたわむ。

「……ご主人様」
「うん」
「私に傍にいるだけでいいと仰ったこと、覚えていますか」

 独神は少し考えた。いつ言っただろうか。
 はっきりとは思い出せなかったが、そういうことを言ったことは覚えている。

「言った、ね」
「あの時は、よく判りませんでした。何もしなくていいなんて、そんなはずがないと思って」

 機の音はまだ止まったまま。

「でも今は、少しだけ判る気がします」

 触れ合っているわけでも、向こうの顔が見えているわけでもない。
 オツウの体温が、目を伏せる表情が聞こえる。

「私も……音を聞いているだけで、良かったのですね」

 独神は何も言わなかった。
 しばらくして、機の音がまた始まった。

 どんどんからり、どんからり
 どんどんからり、どんからり

 兵舎の廊下に静かに響き続けた。

ザシキワラシ    

「陰の気がすごいんだよねぇ」

 ザシキワラシは私の肩を軽くぱしぱしと叩きながら、心配そうな顔をしていた。

「肩こりとかすごくない?」
「いつも固いって言われる」
あるじさまいっつも、きゅっ! ってなってるもんね~」

 確かに、気がつくと肩に力が入っている。
 考え事をしていると、いつの間にか身体が緊張してしまうのだ。
 私は少し肩の力を抜いた。またすぐ力を入れてしまうのだろうが。

「ふふ。僕がいると幸せでしょ~?」
「あ、うん。多分そうだと思う」
「多分じゃなくて、そうなの!」

 ザシキワラシは不満そうに頬を膨らませた。彼の表情を見ていると、確かに心が軽くなる気がする。
 でも、それが本当の気持ちなのか、ただの気のせいなのか、いつも疑ってしまう癖があった。

「ほら。僕が言ったこと繰り返してね。ザシキワラシさまがいて幸せです。はい」
「ザシキワラシ……がいて、しあわ、せです」

 言葉がぎこちないのは恥ずかしいからだ。
 こんなことを言っている自分が滑稽でだんだんと不愉快な気持ちになってくる。

「ぎこちなさすぎるよ~」

 ザシキワラシは苦笑いを浮かべながら首を振った。

「じゃあ次ね。今日は良い日だった。はい」
「今日は良い日? だった」
「良い日だったでしょ! も~」

 これを毎日繰り返させられた。最初は何をしているのか判らなかったし、気恥ずかしさもあった。なぜこんなことを言わなければならないのか、疑問に思うこともあった。
 けれど何日かすると、気恥ずかしさや疑問もなくなり、そういうものだと思って何も考えずにつらつらと唱えるようになった。

「今日も僕と一緒にいられて嬉しい」
「今日も僕と一緒にいられて嬉しい」
「僕は大切にされている」
「僕は大切にされている」

 言葉を繰り返しているうちに、不思議と気持ちが軽くなっていく。
 最初は嘘くさく感じていた言葉も、受け入れ……ることはないが真っ向から否定する気は起きなくなった。

あるじさま、表情が柔らかくなったよぉ」

 ザシキワラシは嬉しそうに微笑んだ。

「そうかな」
「うん。前よりもずっと。僕の言葉、信じてくれるようになったでしょ?」

 確かに、以前ほど疑い深くなくなった気がする。

「でも。他の人は違うよ。本当のことを言っているかどうかなんてきっと言ってない。合わせているだけじゃないかな」
「え~、そんなに合わせられないよぉ。めんど~」

 私はその言い方にむっとした。

「例えば『好き』っていう方が角が立たないでしょ? だから空気を読んでみんな言うんだよ。本当は好きじゃなくても」

 正直な気持ちを口にした。

「いや、いいと思ったら好きっていうでしょ」

 ザシキワラシは当たり前のことを言うように答えた。

「本当に嫌いだったら合わせられないんだから、その好きも嘘じゃなくて、ほんとなんだよ」

 その言葉に、はっとした。
 そうか、完全に嫌いだったら、空気を読んでも「好き」とは言えないだろう。
 だって嫌いだから。意地でも肯定したくないものだ。
 ほんのかすかでも良いと思う気持ちがあるから、「好き」という言葉が出てくるのかもしれない。

「私は、もしかしたら欲張りだったのかもしれない。私ばかり見てくれる『好き』が欲しかったから、がっかりしてたのかも……」
「うんうん。僕はねぇ、あるじさまがそうやって自分に素直になってくれて嬉しいよぉ」

 ザシキワラシは満足げに頷いた。

「素直というか、裏表関係なく話していると言うか。考えて話してないだけだよ」
「それが大事なんだよ。難しく考えすぎると、せっかくの幸せも見えなくなっちゃうからねぇ」

 私は深く頷いた。
 ザシキワラシといて、私は以前より暗い気持ちになっただろうか。絶対になってない。
 前よりは絶対に明るくなった。
 太陽ほど明るいとは言えないが、木陰くらいの明るさ分は変わった。
 気のせいじゃない。

「今日も良い日だった」

 今度は、ザシキワラシに言われる前に、自分から口にした。

「あはは、そうだね。今日も良い日だったよぉ」

 ザシキワラシは嬉しそうに微笑んで、私の手をぎゅっと握った。
 こんな面倒なことに付き合ってくれたひとのことは、疑いたくても疑えない。
 私の疑心暗鬼が発動しないなんて、ザシキワラシはすごいなあ。

イズモオクニ    

 昼下がりの廊下で、イズモオクニは独神に呼び止められた。

「あなたの舞を見たいのだけれど、いくら包めばいいかしら」

 近くにいた英傑たちがざわめいた。
 舞が得意な英傑は幾人もいるがしかし、イズモオクニだけは英傑たちにそれを披露することは殆どなかった。
 自分には客を選ぶ権利があると言って。
 その振る舞いを快く思わない者も、理解を示す者もいて、イズモオクニに舞を強請る者はひとりもいなかった。

「どこで、何人にご覧に入れるのかしら。相場は五ですわよ」
「個人鑑賞よ」
「ならば四十は頂かないと」

 たまたま傍にいたイバラキドウジが鼻を鳴らした。
 四十あれば本殿にいる英傑たちが酒池肉林を楽しむことができるほどの大金だ。
 独神も諦めるだろうと、みんな思った。

「判ったわ。夜の公演であれば日にちは私が合わせる」
「今夜はいかがかしら」
「問題ない」
「夕餉が終わりましたら参りますわ。――それまでに、しっかり心の準備をなさっておいて下さいませ」

 独神は一つ頷き、執務室へと歩いて行った。
 取り残された英傑たちはイズモオクニを見ていた。

「師匠相手に凄いな!」

 ワニュウドウが驚いていると、イズモオクニは髪をかき上げた。

「当然ですわ」

 踵を返し、一言だけ言い捨てた。





 夜の庭は静かだった。当然のこと。
 普段であれば飲めや歌えやと騒がしいが、夕餉前に舞台の邪魔になる英傑たちに界貨を握らせ、夜の町へ遊びに行かせている。
 本殿に残っているのは、静かにしていろと言えば静かにする、大人しくて従順で理解のある英傑だけだ。
 今日はここで舞う。
 イズモオクニは神経を研ぎ澄ました。

 独神が八尋殿から拝殿へ姿を見せた。
 拝殿に隣接する廊下に置いておいた座布団にすぐに気づいて、着物が乱れぬように座った。
 背筋をぴんと伸ばして。まっすぐにイズモオクニに視線を向ける。
 演者と観客。互いの息が重なった。
 これより、イズモオクニの舞台を始める。

 男の衣をまとい、髪を高く結い上げたイズモオクニは昼間の自信家な女とは違う。
 独神の目には、海を背にした巨大な鳥居を背景に、凛々しく、妖しく美しく舞うイズモオクニが見えているはずだ。
 自分が一番美しく見える場所を選んだ。
 舞は庶民受けの良い、花に恋した男のものにした。
 独神は庶民的なものが好きだからだ。崇め奉られることに飽きている。
 自由への憧れを持っていると知っている。
 だから、これを選んだ。
 イズモオクニ渾身の舞を、独神は黙って見ていた。
 舞が終わった後も、しばらく動かなかった。
 イズモオクニが囁くように声をかける。

「いかがかしら」
「よかったよ」

 たった一言だった。
 だがイズモオクニにとってはそれで十分だ。
 独神の眼前に、英傑イズモオクニはいない。
 舞の名手、イズモオクニが舞台の上で踊り続けている。
 無粋に引き戻す必要はない。

「それでは失礼します」

 さっと背を向け、独神の前から姿を消した。



 数日後、廊下でイズモオクニを呼び止めた独神が小さな包みを差し出した。

「先日はありがとう。心が洗われたようだったよ」

 中には簪が入っていた。一目で良い物だと判る。
 近くにいた英傑が羨ましそうに目を向けている。
 包みの中にさっと戻した。

「当然ですわ」

 イズモオクニは微笑んだ。
 独神は「また。頼むよ」と言って、錬金堂の方へと向かう。
 いつものことながら小さな敷地内をちょこまかと忙しそうだ。

「ね、ねえ。さっきの簪って、すーーっごいものじゃない!?」

 オリヒメが星のように目を輝かせている。

「この私への贈り物ですもの。凄くて当然。座頭はその辺りをわきまえていますわね」
「羨ましいわ。私も、アメノワカヒコ様からもらえたらなあ」
「渡す価値さえ己にあればいくらでももらえますわよ」

 落ち込んだオリヒメを置いて、自室へ向かって廊下を歩く。
 誰もいないことを確認し、包みの中にそっと手を入れ、簪の感触を指先で確かめる。
 冷たい石。
 八百万界では殆ど取れない、渡来の石があしらわれている。
 滅多にない、貴重な物だ。
 英傑だからといって、軽々しく渡せるようなものではない。
 独神は、イズモオクニの舞を認めている。
 だから対価を払う。色をつけて。
 誰もができることではない。価値を理解し、支払うだけの力があるからこそのもの。
 英傑たちが羨ましいと思うのも当然だ。
 だが。
 独神とイズモオクニは、あくまで、演者と観客。

(座頭は私の舞を大切にしてくれる。けれど舞の向こうにいる”私”には、他の英傑が当たり前に向けてもらっている、温かな視線を向けてはくれない)

 包みから取り出した簪をそっと懐にしまった。

(………………みんなが羨ましいですわね)

クツツラ    

クツツラ
 ――――完璧だ。

 磨き上げられた靴が朝の光を跳ね返す瞬間は、八百万三景の一つにあげられる。
 隣の相棒もクツツラと同じく輝く靴を見つめている。
 今日も独神の靴は完璧に仕上げられた。

 朝の早い独神よりも早く起きて磨くことは、気づけば習慣になっていた。
 完璧な世話とはなにか、熟考した答えがこれだ。
 独神の靴を磨く。
 クツツラの役目であり、誇りであり、完璧な日課だった。

「クツツラ、来てる?」

 部屋の中から独神の声がした。

「いるよ。いつだっているじゃないか」

 開かれた引き戸から独神が顔を出した。その手には見慣れない箱を抱えている。
 表面を布で包んだ丁寧な仕立ての箱で、見慣れないものだ。

「アスガルズ界からの荷物が届いたの。先日、英傑を向こうに派遣したじゃない? そのお礼にってオーディンが」
「……アスガルズから」

 クツツラはその箱を一瞥し、わずかに眉を寄せた。
 以前ヨルムンガンドが「靴? 足がいらねぇのに、靴なんてもっといらねぇだろ」と言ったことを昨日のことのように覚えている。そんな者の故郷からの贈り物。あまり興味が持てない。
 だが、独神はわざわざ自分が来るまで開封せずにいたのだろう。
 そのいじらしさに免じて、一目見てやることにした。

「じゃあ早速あけまーす」

 中にはまず、衣装が入っていた。深い藍色の、見慣れない仕立て。どうやら上から下まで一続きの形らしく、独神がそれを広げると朝日を受けてわずかに艶めいた。

「じゃじゃーん。アスガルズではこういう礼装を着るそうだよ」
「ふうん」

 良い品なのは判るが興味は薄かった。
 しかし次に取り出したものを見た瞬間、指が止まった。
 革で出来ている。それは確かだ。底の部分に踵がある。それも確かだ。
 しかし……踵が、細い。不自然なほど細く、高く突き出している。地面に接する面積がまるでない。

「……これは、何だ」
「靴じゃない?」
「靴? これが?」
「アマテラスの靴みたいなものでしょ。それよりは踵が細くて鋭いけど」

 クツツラは手を伸ばしソレに触れた。
 許可を得ず手に取り、裏返し、横から、上から、丹念に観察する。
 指で踵の先端を押すと堅かった。土の上に立てれば、間違いなく沈む。石畳では歩くたびに傷むだろう。
 そもそもこの踵一本で、ひとひとりの体重を支えるというのか。

「欠陥品だ」
「アスガルズではこの形が礼装に合わせる靴なんだって。向こうで私が着られるようにってオーディンが」
「見てごらん、この踵を。こんなに細くては体重が安定しない。一歩踏み出すたびに全身が揺れる。歩くたびに地面に刺さり、踵が削れていく。これのどこが完璧なんだい」

 独神は苦笑いをした。

「いやぁ…………フレイヤもブリュンヒルデもフリッグも似たもの履いてるし…………。タマモゴゼンが本気出す時の衣装もそういう靴じゃないっけ…………?」
「私は靴の付喪神だよ。靴のことは誰よりも判る。それら以上に、これは、欠陥品だ」

 先程独神が例にあげたそれらはそもそも靴と考えていなかった。履き物であって、決して靴ではない。
 良い靴を選べない者にも当然興味がない。

「頂き物に対して辛辣な………じゃ、試しに履いてみせよっか?」

 クツツラが答える前に、独神はそれを床に置いた。
 裸の足が、するりとその中に入っていく。
 そいっと立ち上がった。
 独神の姿勢がいつもと違う。
 踵が上がった分だけ背筋が伸び、重心が前に移る。
 足の線が、今まで見たことのない形を描いていた。
 沓を履いた独神の足が美しいと思っていた。完璧だと思っていた。
 そう、思っていたはずだ。しかしこれは。

「ぐ、ぐらぐらしそう。…………どう?」

 独神が聞いた。クツツラは口を開いたが、言葉が出なかった。

(不格好だ)

 そう思った。
 だってそうだろう。
 とにもかくにも踵が細すぎるのが気に食わない。
 靴とは身体と一体になっていなければならない。不安定などという、履いた者を脅かす道具は道具とは言えない。
 だから欠陥品だ。
 そのはずだ。そのはずなのに、視線が不完全なそれから離れない。

「……歩いてみて」

 気づけばそう言っていた。
 独神は小首を傾げながらも素直に数歩歩いた。
 踵が床板を打つ音がする。
 コツ、コツ、コツ。
 規則正しく、小さく、硬い音。
 クツツラはその音を聞きながら、独神の足だけを見ていた。

(なぜだ)

 自分に問う。
 欠陥品だと下し、不完全だと結論を出した。なのになぜ目が離せない。

(足だ。ぬしの足が入っているからだ)

 靴の付喪神が靴を見るのは当然のこと。
 しかし、中にどんな足が入るかまでは重視していない。
 大事なのは、どんな仕上がりの靴か、手入れが行き届いている靴か、色は、形は。
 足はおまけに過ぎない。
 会った相手の名前は忘れても、履いていた靴は忘れないくらいだ。
 そんな自分が、今、何を見ている。

「クツツラ?」

 独神がこちらを見ていた。

「どうしたの?」
「……いや」

 クツツラは視線を外した。相棒がそっと傍らに寄ってきた。

「実際に見てもやっぱり気に入らない?」
「気に入るか入らないかの話じゃない」

 クツツラは思案しながら正確であろう言葉を拾い上げる。

「靴として、欠陥がある。それは変わらない」
「うん」
「……けれど」

 そこで止まる。
 クツツラは床を見た。
 独神の足を包んでいるその靴を、見た。
 不格好な踵。小さすぎる接地面。どう見ても完璧とは言えない形。
 しかしひとたび独神の足先が入ったら――――独神の足が飾ったから、あの不格好な靴が目を惹く代物へとなった。
 他の誰かの足がこれを履いていても、欠陥品だと見做してすぐに忘れたことだろう。
 ならばそれは、靴の評価ではない。

「……ぬしの足だから、だ」

 思わず声に出ていた。独神が小首を傾げる。

「え?」
「私が見ているのは――――」

 クツツラはそこで一度止まり、何かを飲み込むように目を伏せた。

ぬしの足だから、かろうじて許せる」

 それがクツツラの、精一杯だった。
 独神は少し間を置いてから、静かに笑った。

「……そう」

 それだけ言った。それ以上は何も聞かなかった。
 クツツラは独神から視線を外し、沓磨きの布を手に取った。

「その靴を貸して」
「え、でもさっき欠陥品って」
「欠陥品でも、ぬしのものは完璧に磨く。それが私の役目だろう」

 独神は少し黙り、それからそっと靴を脱いで差し出した。
 クツツラはそれを受け取り、手の中で確かめるように持った。
 細い踵。見慣れない形。
 しかし、今この瞬間まで、独神の足を包んでいたもの。

「……しかし何度見ても不格好だな」

 呟きながら手製の布を当てた。丁寧に、一点の曇りも残さぬように。
 隣で相棒が、何も言わずに寄り添っていた。

ウシワカマル    

 ほんの気紛れだった。
 たまには八傑全員で海でも行こうかと思い立ったのは。

「ねぇ、釣りもいいけどみんなで泳ぎに行かない? 折角だから八傑で」

 スサノヲは大きな口を開けて「いいぜ」と言うと私の手を取った。

「なんなら二人で行かねぇか? ちょうど良い場所見つけたんだよ」

 そんなつもりはなかった。みんなでわいわいと楽しめたらいいなと思っていて。
 言葉を探していると、シュテンドウジが全速力で走ってきて、

「どっか行くのか! おれも連れてけ!」

 スサノヲは私の前で盛大な舌打ちをしていた。
 申し訳ないが、シュテンドウジに心の内で感謝した。
 そこから一人、二人と集まっては賛同し、残るはウシワカマルだけになった。

「ウシワカちゃんはどうかしらね。バカばっかりだもの」
「あ? 当然そのバカにはおまえも入ってるよな、バカヨミ」
「なんですって!!! シューちゃん! 口の利き方を教えてやるわよ!!!」
「だはは! バカヨミだってよ!!」
「キーーー!!!!!」
「ツクちゃん落ち着いて!」
「はぁ。これだからバカって言われるんでしょ……」
「全くだな」
「ぐー」

 せっかく七人まで誘えたのだ。出来ることなら全員で行きたい。
 神代八傑の内七人が騒いでいたからだろう、向こうからやってきてくれた。

あるじ様? それに皆さんは……」

 あのね。
 と言う前に。

「ウシオも来い。明日。ゼッテー遅れんなよ」
「はい」

 場所も聞いていないのにあっさりと返事をしたウシワカマルにぎょっとした。
 慌てて説明する。

「明日。海に行こうって話をしててね、八傑で行こうかと思うんだけど……」
「ではベンケイは留守番ですね」
「あ、どうしてもって言うなら来てくれても」
「置いていく」

 スサノヲがおすすめだという海はとても静かだった。
 きめの細かい白砂が素足にくすぐったい。悪霊に襲われなかった海岸は自然が産み出した芸術だ。
 独神である私がここで楽しんでいいのか、少しだけ罪悪感を覚えた。

あるじちゃん行くわよ!」
「先行ってて。すぐ行くから、みんなは海の中にいてね!」

 八傑全員が海の中へ行ったのを確認してから、私は浜辺に等間隔に呪を埋め込む。
 なにが襲ってくるか判らない。戦闘になっても良いように簡単な結界を張っておく。
 とはいえ、ここに集まっているのは八百万界でも最強と呼ばれる者達だ。
 私の術などおまじない程度だろうが、備えあれば憂いなし。
 張り終えた頃には額の生え際が汗ばんでいた。

あるじさーん。早く来なよ」

 モモタロウに呼ばれて振りかえった。
 少しだけ肌を焼く太陽光に照らされた仲間たちは笑顔に溢れていて、私は眩しくて仕方がなかった。
 その中にはウシワカマルもいた。
 普段なら輪に加わらず、少し離れたところから私たちを見ているのに。
 今日は高い位置で結い上げた髪がぐっしょりと濡れてしまうくらいに輪の中にいる。
 スサノヲやシュテンドウジに混じって口角を上げる姿に、少しだけ心が揺れた。

あるじ様」

 なかなか来ない私を迎えにウシワカマルがやってきた。

「一人だけ観客はずるいですよ」

 私は笑って。

「じゃあいっぱいかけちゃおうかな」
「どうぞ。できるものならね」

 いつもなら遠慮して狙わないけれど、今日はみんなと同じように水を掛け合い、ナマコを投げたり、術で海を真っ二つに割ったり。
 好き勝手して遊んだ。


「遊んだあとって楽しいけどだるいー」

 全力で遊んでくたくただ。
 ヤマトタケルだけは途中ずっと寝ていたので一人だけ元気に帰路についている。
 ツクヨミとモモタロウは少し目がとろんとしていて、アマテラスが二人の様子を見てくれている。
 スサノヲとシュテンドウジはどっちが速いかと争い出して、先に行ってしまった。
 元気が有り余っているなら荷物を少し多めに持たせておくんだった。
 右手に持った手提げを左手に持ち替えた。

「持とうか」

 ふいにウシワカマルに言われた私は咄嗟に。

「いいよ。分担してるんだもん」

 と返した。冷たくならないように言い訳を続けて。

「これは失礼」

 ウシワカマルがさっと退いたのでほっとした。
 大柄な者が多い八傑の中では小柄なのに、私よりも重い荷物を軽々と持っているのは凄いなと思う。

「ウシワカマル。今日、楽しかった?」
「ええ。とても」

 何の比喩もない真っ直ぐな言葉が、私には気持ち良かった。
 きっと本当に楽しんでくれたのだろう。

「じゃあ良かった。今日のこと、ウシワカマルには気を遣わせたかと思ってた」

 言わなくて良い事を言った気がした。
 ウシワカマルは小さく笑った。

あるじ様、飛燕は決して空ばかり飛んでいるわけではない。皆とこうしてはしゃいで羽を休めることができた。誘ってくれて感謝している」
「ううん。こっちこそありがと」

 未だに接し方の判らないウシワカマルだけど少しだけ、仲良くなれた気がした。







 僕は静かすぎるのだろう。
 自分の見る世界と、主様の見える世界は大きく違う。
 主様は僕をとらえきれていない。
 それを残念に思う。
 囚われたくないが、捉えてほしい。
 なんと身勝手なことだろう。
 気付けば、いつも主様たちを遠くから眺めるばかりだ。

 八傑で海へ行く話も聞こえていた。あまりに大声だったので判らない者はいまい。
 僕は、少しだけ迷った。
 主様は僕を苦手に思っている。
 僕もまた、主様とどう接していいのか悩んでいる。

 主様と海へ行きたい。
 僕は行くことに決めた。違和感を抱かれないように、一番最後に登場しながら。
 それは正解だった。主様は八人そろって行けることを喜んでいるようだった。

 海に来てからは、不思議と開放的な気持ちになり、僕は海の中へと足を運んだ。
 足を撫でる波を楽しんでいると、空気を入れた水球をモモタロウ様が投げつけてきた。
 山で天狗と遊んだ時を思い出して、僕は水球を思い切りスサノヲ様の後頭部へ投げつけた。
 そうやって騒いで待っていたのに、主様はなかなか来ない。
 結界を張り終えただろうに、なかなか沖へ来ないで僕達を見ている。
 聖母のように慈愛にあふれた微笑みを浮かべている。
 輪の外で眺めて満足そうにしている。いつもとは逆だ。
 僕は思い切って主様に話しかけた。

あるじ様。一人だけ観客はずるいですよ」

 主様は眉をぴょんと上げて、やがて唇を引き上げた。

「じゃあいっぱいかけちゃおうかな」
「どうぞ。できるものならね」

 なんだか、自然に言葉が出てしまった。
 わざとかかると、主様は大きく笑った。
 行儀よく笑うばかりの主様が今日は楽しそうで。僕も悪くないと思った。
 水に濡れぬように羽ばたいていただけでは、主様の笑顔はなかっただろう。

「ウシワカマル。今日、楽しかった?」

 主様が僕の名前を呼んで、心配そうに見つめている。
 ああ、僕が楽しめていないと思われているのか。
 やはり、気を遣わせてしまっている。

「ええ。とても」

 嘘ではない。主様が僕を気にかけてくれただけで、十分楽しかったのだ。
 胸をなでおろす主様を見て、僕も同じく安堵した。

「じゃあ良かった。今日のこと、ウシワカマルには気を遣わせたかと思ってた」

 主様は僕を騒がしいところが苦手だと考えているのだろう。
 神代八傑が七人も集まれば、いや二人集まるだけでもがやがやと騒がしいのは事実だ。
 だが僕はすぐさま主様の考えを否定した。

あるじ様、飛燕は決して空ばかり飛んでいるわけではない。皆とこうしてはしゃいで羽を休めることができた。誘ってくれて感謝している」

 悪ノリをした方々に海月の集中砲火を食らった時には少し、……ではあったが、概ね楽しんだ。
 なにより、主様が僕の傍にいてくれる。
 なのに、僕ときたら、ひらひらとした布に飾られた可愛らしい水着の主様が眩しくて、正面から見ることは終ぞ出来なかった。

「ううん。こっちこそありがと」

 主様の綺麗な微笑みに僕は「いいえ」と小さく否定した。
 感謝を述べるのはこちらだ。
 今日は少しだけ、主様との距離を縮められたような気がした。

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