ある本殿の一日

早朝



 まだ日が昇る前の薄暗い本殿。厨房からかすかな物音が聞こえていた。

「一枚、二枚、三枚……よし、八枚……ここにもう一枚あれば……」

 震える手で慎重に皿を並べていたのは、サラカゾエだ。他に人影はない。
 本来ならば調理に特化した英傑が独神の朝食を用意する。しかし各人討伐や遠征中のため、今朝の朝食はサラカゾエが担当することになった。
 サラカゾエは昨夜「明日は主様に喜んでいただける朝食を作ろう」と何度も心に誓ってなかなか寝付けなかった。寝返りの度に独神の笑顔が浮かんで、胸が甘く締め付けられてはゴロゴロと転がる。そのせいであまり眠れていないが、失敗するわけにはいかない。

「あと一枚……どこに……」

 サラカゾエが棚を探っていると、突然「おい」と後ろから声がかかった。思わず身体が飛び跳ねる。

「こんな早くからこそこそ何をやっている?」

 振り返るとツチグモの姿があった。腕を組んで壁に寄りかかり、サラカゾエを見下ろしている。

「あ、あの……ツチグモさん。お、おはようございます」

 サラカゾエは慌てて頭を下げた。厨房とあまりに縁がないツチグモの威圧的な雰囲気に緊張していた。

「ふん。ただの疑問だ。注意をしたわけじゃない」

 ツチグモは厨房の中を見回した。磨き上げられた立派な皿は並んでいるが、肝心の鍋は空っぽだった。
 昨夜の独神とのやり取りが脳裏によみがえる。
 夜分に部屋を訪れた独神と話し込んで、つい、感情が止まらなくなってしまった。

「もう決めたんだ。主の傍にずっといることを」

 ツチグモは一歩主に近づき、真剣な眼差しで見つめた。

「他の誰でもない、主だけが俺の主人だ。俺の糸が切れるまで、いや、死んでも。主を守り続けてやる」

 さらに近づき、独神の肩を掴んだ。

「だからどんな時でももっと俺を頼ってくれよ。主の敵は俺が仕留めてやる。困ったことがあれば、下らないことでも俺を呼べ」

 その熱烈な告白に、独神は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

「じゃあ、一つお願いがあるんだけど……いい?」
「ああ、なんでも言ってくれ」

 即答したツチグモに、独神は、

「明日の早朝、サラカゾエの様子を見てきてくれない? 厨房で朝食を作るって言ってたから」

 と頼んだのだ。

「はあ? サラカゾエ?」

 まさかこの流れで、他の英傑の面倒を見るよう頼まれるとは夢にも思わなかった。しかもツチグモは朝が弱いと知っていて、だ。だがツチグモは強がって「まあ、主が頼むならやってやるよ」と答えてしまった。
 告白直後にこんな任務。独神に便利に使われている気がしたが、自分から「下らないことでも」と口にしたからには断ることが出来なかった。今は後悔している。

「ここには何の御用ですか?」

 サラカゾエが恐々話しかけてきて、ツチグモは我に返った。

「大した用じゃねぇ。俺も朝飯を作りに来ただけだ」
「え? ツチグモさんが……朝食をですか?」

 サラカゾエは目を丸くした。

「なんだ、おかしいか?」
「い、いえ! そんなことは……」

 サラカゾエは慌てて手を振った。皿を持ったまま振り回してしまい、危うく落としそうになる。

「っ!」

 ツチグモが素早く動き、皿を受け止めた。

「あ……ありがとうございます」
「ちっ、皿一枚くらい割れたって構わねぇだろ」

 そう言いながらも、ツチグモは丁寧に皿を机に置いた。サラカゾエが皿にこだわりを持っていることは有名だ。皿の扱いは慎重に行う。人族から妖族になった者は往々に特定の事柄への執着が尋常ではない。むやみに刺激するべきではない。
 その丁寧さがサラカゾエには不思議に思えたらしく、おどおどとしながらも尋ねた。

「ツチグモさんはどうして朝食を?」
「俺の知ってる獲物の調理法を試してみたくなっただけだ」
「そうだったんですね……」

 サラカゾエは小さく微笑んだ。

「私……主様に喜んでいただきたくて……いつかお料理を作りたいと思っていたんです。そうしたらたまたまそういう機会がきて」

 彼女は頬を赤らめながら続けた。

「主様が喜んで下さるとすごく幸せなんです。主様のためなら何でもします。お皿もずっと数えますし、お料理もしますし、悪霊も呪い尽くします」

 おどおどしていた姿とは違う。昨夜の自分と同じく「なんでもする」と熱く語る姿にツチグモは一瞬動揺した。そして独神が自分を派遣した理由も理解した。このドジで主に夢中な女が厨房で何かやらかさないか、と。

「なるほどな。貴様も主に惚れてるってわけか」
「え!? そ、そんな……!」

 サラカゾエは慌てふためき、机に置いていた木べらを落としてしまった。

「おかしな話じゃないだろ。この本殿の連中は、ほとんどみんな主に惚れてる。貴様もその一人ってだけだ」

 サラカゾエは真っ赤になりながら床に落ちた木べらを拾おうとしゃがみ込んだ。

「俺だって……」

 ツチグモがぽつりと漏らした言葉に、サラカゾエは顔を上げた。

「え?」
「なんでもねぇよ。それより朝飯はいいのか」
「あっ!」

 サラカゾエが慌てて二歩踏み出したことで、棚の鍋が大きく揺れた。とっさに糸で支えて事なきを得たが、ツチグモは額を抑えた。この調子だと終わりそうにない。

「あの……ツチグモさん」

 おずおずとサラカゾエが顔を窺った。

「よろしければ……一緒に作りませんか?」
「は!?」

 ツチグモは驚いた表情を見せた後、怪訝そうに眉を寄せた。

「なぜそうなる」
「二人で作れば、もっと主様を喜ばせられると思うんです。それに……今のままだと主様が朝食を食べられない気がして」

「だろうな」

 ツチグモはしまったと口を押えた。これは完全に手伝う流れだ。案の定サラカゾエはきらきらとした目でツチグモを見つめている。
 ──脳裏の独神がにやりと笑っていた。

「ちっ、仕方ねぇな。手伝ってやるよ」

「ありがとうございます!」

 サラカゾエの顔が明るく輝いた。ツチグモはそんな彼女から目を逸らし、包丁を手に取った。

「切り刻むものを出せ。俺がやる。貴様は指示と皿の用意と盛り付けだ」
「はい! お任せください!」

 時間は刻々と迫っている。二人は黙々と作業した。厨房に漂う食材の香りと、包丁が切り分ける音だけが静かに響く。
 サラカゾエは料理本を何度も指差し確認しながら指示を出す。ツチグモは言われた通りに山菜や魚を切っていく。

「お上手なんですね。知りませんでした」

 サラカゾエが思わず口にすると、ツチグモは一瞥するだけで返事もしない。
 しばらくして、ようやくそっけない返事が返ってきた。

「……まあ、獲物を解体するのと同じだからな」

 時間差で返ってきた言葉に、サラカゾエはほっとして話をつづけた。

「私なら絶対に指まで切ってしまいますね」
「だから貴様には指示と盛り付けをやらせているんだ」

 ツチグモはサラカゾエが具材の入った鍋を危うく落としそうになるのを見て、ため息をつきながら糸で支えた。

「何度目だ」

「すみません! 黙ってやります」

 二人は必要最低限の言葉だけを交わし、それぞれの作業に集中する。普段関わることのない二人だが、独神への想いという共通点だけを胸に、朝食を作り上げていく。
 ツチグモはサラカゾエが何かを落としそうになる度に素早く受け止め、サラカゾエはツチグモの切る時以外の粗雑な調理に遠慮がちに意見を挟む。

「あの、もう少し弱火の方が良いかもしれません……」
「……これでいいか」

 態度は冷たいままだが、サラカゾエの言うことには従った。ツチグモは料理をしたことがなく、全く知識がなかったので異議を唱えられなかったのだ。それに、サラカゾエはそそっかしいが、朝食の献立はよく考えられていた。本も幾度となく開かれた跡がある。独神のことを考えて何度も考え抜いたのだろう。その努力に意味なく逆らう気は起きない。
 料理が出来上がりが近づくにつれ、朝日が窓から差し込み、厨房内を温かな光で満たし始めた。湯気の立つ鍋からは香ばしい出汁の香りが立ち込め、ツチグモは無意識のうちに深く息を吸い込んでいた。サラカゾエは始終嬉しそうに料理の乗った皿を見ている。それを見て、ツチグモは思わず口にした。

「貴様は単純だな」

「え。なにがですか。献立が普通過ぎましたか?」

 動揺したサラカゾエが無意味に歩くのを見て、ツチグモは待てと手を出した。

「違う。まず動くな。料理に文句はない」

 ほっと肩を撫でおろすサラカゾエに、ツチグモは失言を大いに後悔した。余計なことを言うべきではない。
 ──こういうヤツが主に好かれるんだろうな。
 などと思ったことを、不安そうに料理本を読み直しているサラカゾエに知られたくない。

「おはよう。二人とも朝早いのにどうしたの?」

 元凶がしれっと現れ、サラカゾエは本を持ったまま独神に釘付けになった。

「主様!」

 カチコチに固まるサラカゾエに独神はひらひらと手を振った。

「おいしそうだね。私丁度お腹減ってるんだ。食べていい?」

「も、もちろんです!」

 手頃な棚に腰かけようとする独神をツチグモは制した。

「まだだ。部屋に持っていくから大人しくしていろ」
「……って言ってるけど、その方がいい?」

 独神がサラカゾエに確認すると、うんうんと頷いていた。

「そっか。楽しみにしてるね」

 唐突に現れた独神は、また唐突に帰って行った。独神の後ろ姿を二人は見送り、厨房には再び静けさが戻った。

「あの。主様を止めて下さってありがとうございます。お待たせする方が良くないと思ったんですけど、せっかく用意したお皿が使えないのは残念でしたので」

 素人目にも高価に見える皿が鎮座していた。

「ここまで手伝わされて中途半端が気持ち悪いだけだ。それよりさっさと済ませるぞ」

「はい!」

 あとは盛りつけるだけ。ツチグモはサラカゾエが最後の仕上げをする様子をじっと見つめていた。ぎこちない動きながらも、その一挙手一投足には主への想いが込められているのが伝わってくる。ツチグモは何か言いかけて、結局口をつぐんだ。
 二人が完成させた朝食は、思いのほか見栄えが良かった。主に出すものとしては恥ずかしくないだろう、とツチグモは密かに満足した。
 料理を盆に載せて、二人は独神の部屋へ向かった。扉は既に開いていた。中から独神の声がかかる。

「二人ともお疲れさま」

 穏やかな声に、サラカゾエの緊張が一瞬で高まるのが判った。彼女の手が微かに震え、盆が揺れそうになったが、ツチグモがさりげなく支えた。机に並ぶ料理を独神はすごいすごいと喜んでいる。

「用は済んだ。俺は帰るぞ」

 ツチグモは素っ気なく言い放つ。

「待って。せっかくだから感想聞いていったら?」

 独神の提案に、ツチグモは一瞬戸惑ったように立ち止まった。

「そうです。ツチグモさんには殆どやっていただきましたし。……それに一人は不安なので」

 最後は小声であったが、彼女の目はツチグモへの絶対的な信頼があった。ツチグモはやれやれと溜息をつき、壁際に立って腕を組んだ。
 独神は満足そうに笑った。

「じゃあ、さっそく。いただきます」

 盛り付けられた料理を前にする独神に、サラカゾエは少し不安そうに微笑んだ。長い時間をかけて準備した朝食が、今まさに独神の口に運ばれようとしている。ツチグモもまた、表情こそ変えないものの、独神の反応を固唾を呑んで待っていた。

「美味しい」

 たった一言だったが、独神の声には心からの満足感が溢れていた。その言葉を聞いて、二人はほっと胸を撫で下ろした。サラカゾエの表情が明るく輝き、ツチグモも僅かに口元が緩んだ。

「料理も良いし、お皿も素敵だね」

 独神は一品一品を丁寧に味わいながら言った。

「二人ともありがとう」
「喜んでいただけて良かったです」

 声を震わせて喜ぶサラカゾエに頷くと、次に独神はツチグモに目線を向けた。

「ありがとう」

 ツチグモは目を逸らした。少し俯いて長い髪で顔を隠す。

「もう二度としないからな」

 と言って身を翻して退室するツチグモを、サラカゾエは残念そうに見た。

「ツチグモさんのお皿も用意していましたのに……」
「大丈夫だよ。また次の機会があるから」

 自信満々に言う独神に、サラカゾエは微笑んだ。

「次もまた一緒にお料理したいです」
「二人の料理すごく美味しかったよ。……ありがとね、我儘聞いてくれて」

 廊下では一人の英傑が微笑んだ気配があった。
 柔らかな陽光に包まれた本殿の一日が始まろうとしていた。

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